雪の碓氷峠 と 横軽用軌道モーターカー
~横軽を陰で支え続けた TMC500A~
■雪の碓氷峠
▼長野行新幹線の開業で廃止された、信越線 横川 - 軽井沢間
を行く、上り特急<あさま> を従えて峠を下る EF63 の姿
▲一面雪化粧の旧丸山変電所付近を行く EF63 + 189系
この雪景色を見るまでは意識したことはなかったのですが、
横軽でそれなりの積雪量があった場合には、他線区と同じ様
な除雪作業を行ったことと思われますが、急勾配区間という
背景から、車両を使ったラッセルというのは、どんな手段で
実行していたのでしょうか。
→雪景色の碓氷峠を走る列車走行シーン集はこちら
(YouTube -[Hobby videos 41] さまのサイト 1993年1月16日撮影)
やはり本線上のラッセルは、ロクサンありきだったのか、
あるいは、横軽専用の保線用モーターカー「TMC500A」を
用いてラッセルを行ったのか、いささか気になりました。
明確なエビデンスをお持ちの方、実績をご存じの方がおられ
ましたら、ご教示ください。
■横軽用 軌道モーターカー
横軽には、国鉄高崎鉄道管理局さんと富士重工さんの共同
研究により誕生した、横軽用軌道モーターカーがいました。
▼横川のはずれで佇む、横軽用軌道モーターカー TMC500A
▲265 PS エンジンを搭載し、66.7 ‰ 勾配上で 25 t の
牽引性能を誇り、ブレーキ装置も重装備となっています
ロクサンと共に横軽の主であった TMC500A は、横軽の保線
業務に従事し、横軽の廃止後は 碓氷峠鉄道文化むらへの展示
車両の搬入にも活躍しました。
▼上の写真からズームアップ
その後、鉄道文化むらの DB20 となって、赤塗装 に 白帯を
巻いた姿となり、このオリジナル塗装は見納めとなりました。
2001年の鉄道の日イベントでは、鉄道文化むら- 旧丸山変電
所間で ヨ8841 を連結して「碓氷線トロッコ列車」が運転さ
れました。
→2001年10月14日「鉄道の日」イベントの様子は こちら
("横軽のホームページさま" の ページへリンク)
▼後に、整形手術とお化粧直しをして、碓氷峠鉄道文化むら
トロッコ列車「シェルパくん」の一員に化けることに・・▼
▲建設中のトロッコ列車用 丸山駅ホームの柵に掲示された、
トロッコ列車の運行を告知する横断幕
・DB20 1 シェルパくん→@(保守用車総合データベースサイトへ)
▼横軽用に特化した性能が幸いし、生まれ育ったこの地で、
再就職が叶った TMC500A(DB20 1)
▲茶色に赤帯を巻き、新しいトロッコ列車の山麓側に連結し
2011年5月 に故障するまで、約6年間活躍しました▼
▲鉄道文化むらの外にいたロクサンと向き合う DB20 1 の姿
シェルパくんとしての役割を解かれた後は、鉄道文化むらの
片隅でひっそりと余生を送っているようですが、国鉄~JR
時代の横軽を、陰で支え続けたモーターカーであったことを、
忘れないでいて欲しいと願っています・・
※陰で支えたという印象を得るために、いずれも遠目に見た感じで、
接写を避けた撮影を行いましたことを、添えさせていただきます
・TMC500A の 諸元など→@(保守用車総合データベースサイトへ)
雪の碓氷峠 と 横軽用軌道モーターカー
~横軽を陰で支え続けた TMC500A~
おわり
~横軽を陰で支え続けた TMC500A~
■雪の碓氷峠
▼長野行新幹線の開業で廃止された、信越線 横川 - 軽井沢間
を行く、上り特急<あさま> を従えて峠を下る EF63 の姿
▲一面雪化粧の旧丸山変電所付近を行く EF63 + 189系
この雪景色を見るまでは意識したことはなかったのですが、
横軽でそれなりの積雪量があった場合には、他線区と同じ様
な除雪作業を行ったことと思われますが、急勾配区間という
背景から、車両を使ったラッセルというのは、どんな手段で
実行していたのでしょうか。
→雪景色の碓氷峠を走る列車走行シーン集はこちら
(YouTube -[Hobby videos 41] さまのサイト 1993年1月16日撮影)
やはり本線上のラッセルは、ロクサンありきだったのか、
あるいは、横軽専用の保線用モーターカー「TMC500A」を
用いてラッセルを行ったのか、いささか気になりました。
明確なエビデンスをお持ちの方、実績をご存じの方がおられ
ましたら、ご教示ください。
■横軽用 軌道モーターカー
横軽には、国鉄高崎鉄道管理局さんと富士重工さんの共同
研究により誕生した、横軽用軌道モーターカーがいました。
▼横川のはずれで佇む、横軽用軌道モーターカー TMC500A
▲265 PS エンジンを搭載し、66.7 ‰ 勾配上で 25 t の
牽引性能を誇り、ブレーキ装置も重装備となっています
ロクサンと共に横軽の主であった TMC500A は、横軽の保線
業務に従事し、横軽の廃止後は 碓氷峠鉄道文化むらへの展示
車両の搬入にも活躍しました。
▼上の写真からズームアップ
その後、鉄道文化むらの DB20 となって、赤塗装 に 白帯を
巻いた姿となり、このオリジナル塗装は見納めとなりました。
2001年の鉄道の日イベントでは、鉄道文化むら- 旧丸山変電
所間で ヨ8841 を連結して「碓氷線トロッコ列車」が運転さ
れました。
→2001年10月14日「鉄道の日」イベントの様子は こちら
("横軽のホームページさま" の ページへリンク)
▼後に、整形手術とお化粧直しをして、碓氷峠鉄道文化むら
トロッコ列車「シェルパくん」の一員に化けることに・・▼
▲建設中のトロッコ列車用 丸山駅ホームの柵に掲示された、
トロッコ列車の運行を告知する横断幕
・DB20 1 シェルパくん→@(保守用車総合データベースサイトへ)
▼横軽用に特化した性能が幸いし、生まれ育ったこの地で、
再就職が叶った TMC500A(DB20 1)
▲茶色に赤帯を巻き、新しいトロッコ列車の山麓側に連結し
2011年5月 に故障するまで、約6年間活躍しました▼
▲鉄道文化むらの外にいたロクサンと向き合う DB20 1 の姿
シェルパくんとしての役割を解かれた後は、鉄道文化むらの
片隅でひっそりと余生を送っているようですが、国鉄~JR
時代の横軽を、陰で支え続けたモーターカーであったことを、
忘れないでいて欲しいと願っています・・
※陰で支えたという印象を得るために、いずれも遠目に見た感じで、
接写を避けた撮影を行いましたことを、添えさせていただきます
・TMC500A の 諸元など→@(保守用車総合データベースサイトへ)
雪の碓氷峠 と 横軽用軌道モーターカー
~横軽を陰で支え続けた TMC500A~
おわり
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