皆さんこんにちは。 日田彦山線完乗の後は、門司港に戻り その夜は、急行かいもんに乗車。早朝の西鹿児島駅に。 急行日南の方は、比較的全区間空いているのですが、急行かいもんの場合は、博多からは 自由席はほぼ満席になって 熊本付近までは混雑している印象でした。

 

西鹿児島からは、普通国分行に乗車。 錦江湾の向こう朝焼けと桜島を一枚。山頂右端から 噴煙がたなびいていました。

 

国分には 7時22分到着。国分からは、いよいよ大隅線に乗りました。この大隅線 なかなか乗り潰しはにとっては、乗るのに難しく、国分からだと これから乗る7時26分発626D志布志行のあとは、13時46分発までなく 国分発はの午前中は、7時26発のみ 次の13時46分発から 午後は、15時24分17時36分18時20分21時2分発大隈境行6本のみでした。 本数的には、鹿屋ー志布志間の方が多かったですが、全線を走る列車は 5本しかなく、志布志から乗るにも国分から乗るにも日中に乗ろうとすると2本ぐらいしかありませんでした。

 

途中の古江駅にて。行き違い待ち合わせのために停車。

国分を発車後 桜島の裏側を通って古江駅に。 車内は、マニア以外にも比較的地元の方も乗っていた印象があります。

 

やってきたのは、キハ20の2両編成普通垂水行。乗車してきた志布志行普通は、古江までに大隅境と垂水で国分方面への列車と行き違い この列車が3本目の列車となりますが 日豊本線との接続駅国分までは行かず、垂水止まり。9時なのですが、次の国分まで行く列車は、13時過ぎまでありませんでした。西鹿児島への快速大隅や 宮崎への快速佐多も走っていましたが、日中は、列車がほとんど走っておらず非常に利用しづらい路線でした。

 

列車は この古江付近からガラガラになり 鹿屋を出て山間部に入ってから 徐々に地元の方が増え始め 志布志に着く頃には、満席になっていました。 鹿屋ー志布志間は、列車本数も倍増し一定の支持はあるようでしたが。 この直後に廃線となりました。

 

志布志駅の南西側に広がっていた 志布志機関区。

 

鳥居型の駅名標。

 

角度を変えて。 現在は、宮崎からの日南線の終点駅なので ひしだ駅は、亡くなっていますね。

 

これにて 1987年の九州編は終わりです。

 

 

御覧頂きましてありがとうございました。