転轍器

古き良き時代の鉄道情景

ロマンスカー

 プリントしていないネガに2コマだけ東武ロマンスカーが写っていた。撮影旅行ではないのであまり記憶に残ってはいないが、鬼怒川温泉で開催されたゼミのセミナーに参加するのに浅草から乗車した時、もしくはその帰りの時と思われる。ロマンスカーの名前通り華やかで美しい外観が輝いていた。 東武鬼怒川線鬼怒川温泉 S51(1976)/7/4

 DRCと呼ばれた1720系は国鉄“こだま”形を意識したスタイルで日光・鬼怒川方面の観光特急として活躍したエポックメイキングな車輛であった。ボンネットや愛称板の形は国鉄形のようにも見える。国鉄長距離列車ではよく見かける専務車掌の凛々しい姿が写っている。

 時刻表昭和51年1月号より
 ロマンスカーの旅は浅草~鬼怒川温泉間約2時間弱であったことがわかる。“けごん”と“きぬ”は1720系で、“だいや”と“おじか”は6000系だったかもしれない。ベージュとオレンジの塗分けだった東武電車がクリーム色1色に変わった時は下塗りのままかと衝撃的だったのを覚えている。

 時刻表昭和51年1月号索引地図よりルートを振り返ってみる。浅草から杉戸まで41.0km、伊勢崎線から分岐して日光線となり、栃木まで85.9km、新鹿沼107.8km、下今市まで128.4km、ここから鬼怒川線へ入り鬼怒川温泉まで140.8kmの道のりであった。途中国鉄線とは武蔵野線と交差、東北本線は栗橋で接続、両毛線は栃木で接続、日光線と交差する。

 ロマンスカーは子供時代に見た絵本で知っていた。後になって知る近鉄の10000系を始めとする各社流線形の編成は、やはり絵本で見たヨーロッパのミストラルやTEEと同じように見えていた。大人になって近鉄ビスタカーに乗る機会を得た。絵本で印象づけられたあの洋風マスクとは出会えなかったのは当然で新しいデザインのバラエティに富んだ特急電車が行き交っていた。名鉄7000系飯田線撮影の帰途に展望席に乗ったことがある。せっかくの前面展望は前夜の睡眠不足でよく覚えていないのが残念であった。南海特急“こうや”の丸っこい顔も今は新しいマスクに進化している。絵本の印象を抱いたままぜひ極楽橋まで急勾配の旅を味わってみたい。

 東武DRCに乗るのに浅草駅に行ったこと、ターミナルの割りには狭い駅だったこと、業平橋にヤードがあったことをおぼろげに覚えている。小田急ロマンスカー新宿駅地下ホームから乗車した経験があり、末端区間は3線軌条で驚いた記憶がある。写真を撮っていないのでイラストで再現してみた。小田急3100系の塗分けはオレンジバーミリオン・ホワイト・グレーとのこと、オレンジバーミリオン(強烈な赤)のカラーコードで塗ってみたが実車とは少し違う気がする。