廃車によって少しずつ本数が減少し、晩年になりつつあることを実感せずにはいられない小田急8000形。
ケイプアイボリーの車体にロイヤルブルーの帯を巻く小田急の車両は、いよいよ最終章になってきたといえそうです。

そんな8000形の車内に目を向けると、近年では珍しくなりつつあるステンレス地肌のドアが目立っていますが、小田急のドアはどのような歴史を歩んできたのでしょうか。

8000形のみに残るステンレス地肌のドア

廃車が進みつつもまとまった両数が残っている8000形は、2002年度以降に大規模なリニューアルが行われており、その際に内装が一新されました。
リニューアルによって車内は明るいイメージに改められていますが、ステンレス地肌のドアはそのままとなっており、昔からの懐かしい姿を残しています。

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小田急の車両といえば、かつてはこのようなドアが圧倒的に多数派であり、冬には少し寒く感じたことを思い出します。
昔は多くの鉄道会社でこのようなドアが採用されており、小田急に限らず広く見られたものでした。

近年はドアの内側に化粧板を貼る車両が多く、小田急もステンレス地肌ではなくなりました。
鉄道会社によっては、化粧板を貼ったドアに移行しつつも、コストダウン等を理由にステンレス地肌へと回帰したケースもありますが、小田急では元に戻ることなく続いています。

ステンレス地肌のドアが採用された時代

小田急でステンレス製のドアを最初に採用したのは、1964年に登場した2600形でした。
耐蝕性や耐久性を向上させることが目的だったようで、車内側は塗装を省略した地肌のままとされ、ヘアライン仕上げとなりました。

2600形よりも前に登場した車両は鋼鉄製のドアを採用しており、車内側は塗装で仕上げられていました。
1800形や2400形には、後にステンレス製のドアに交換した車両もありましたが、ステンレス地肌のドアといえば2600形だったといえます。

ステンレス地肌のドアが標準となった後も、乗務員室のドアは鋼鉄製のままとなっていましたが、5000形や9000形の増備途中からステンレス製に変更され、こちらも無塗装とされました。
8000形では全車の貫通路に仕切扉が設けられましたが、これについては化粧板を貼っており、過渡期の姿となっています。

ステンレス地肌ではないドアを採用したのは1000形で、車内側に化粧板を貼ることで、見た目の印象がかなりよくなりました。
その後も小田急では化粧板を貼ったドアを採用し続けており、冷たい印象を受けにくい車内となっています。

おわりに

8000形が引退すると、小田急でステンレス地肌のドアは見られなくなります。
小田急はこれからも化粧板を貼った仕上げを続けると思われるため、8000形が最後の採用例となりそうですね。