1961年から大量製造されたキハ58形だが、DMH17Hエンジンの出力の少なさから2台のエンジンを積んでいた。

そのため走行用エンジンと冷房電源エンジンの両方を搭載しなければならず、そのスペースの確保が難しいという制約があった。


・キハ58形


この問題は、平坦線区ならば1エンジン車でスペースに余裕のあったキハ28形に冷房電源エンジンを設けることによって解決できた。

しかし、1エンジンのキハ28形を多く繋げれば出力不足に陥ってしまうため勾配線区では冷房化が難しかった。


そこで開発されたのがキハ65形である。



キハ91をもとに開発され、走行用で大出力のDML30HSDエンジンと、自車を含め3両分の冷房電源を供給できる4VKエンジンとDM83A発電機を搭載した。


それによって急勾配区間の冷房化が可能となった訳だが、それは四国山地によって勾配の多い路線を多く抱える四国においても大きな賜物になった。




そんなキハ65形。

そのうちの1両が愛媛県西条市、伊予西条駅の隣にある四国鉄道文化館に保存されている。




大阪から約7時間。青春18きっぷを片手に普通列車でひたすら揺られたどり着いた。



四国鉄道文化館の外観 フリーゲージトレインが屋外展示されている






北館と南館がある当館。

北館には0系新幹線とDF50 1が保存されている。


四国とは縁のないはずの新幹線がいるのは、ここ西条は国鉄総裁を経験した十河信二の出身地であるからである。

本題とズレるのでここで詳しく話すのは控えるが、彼は東海道新幹線の開業を実現させたうちの一人で、新幹線の父とも呼ばれている。









南館にはフリーゲージトレイン、C57 44号機、DE10 1そして、

「キハ65 34」

の3両が保存されている。




キハ65 34は1970年新潟鐡工所製で新製当初は高松運転所に配属された。

1990年に急行土佐が特急格上げされた以降は松山運転所に転属しローカル運用で使用された。


JR化後以降は四国色をまとっていたが、2005年には急行色に塗り戻されリバイバル運行などにも充当されるようになった。


200810月に定期運行を終了し、2009年に廃車となった。

引退後多度津工場で保存されていたがのちにここ西条へやってきた。




車体は基本的にはキハ58形と同様の構造だが、設計上は同時期に登場した12系客車との共通点が多い。2段のユニット窓である点や、2枚折戸である点はキハ58形との大きな違いである。







DT39台車




サボは高松ー高知




ジャンパ栓 このゴチャゴチャ感がたまらない



タイフォンはスリット形




ドア横の保護板とタブレットキャッチャー取り付け座は撤去されている。



車内は、床下スペースの確保のためキハ58形にはあったトイレと洗面台の設備を廃止し、またシートピッチを12系客車と同等の1580mmに拡大され、居住性が改善された。






扉の関係で一番端の座席は他の座席より少し横幅が狭い。



その反対側の座席は2人掛けになっている。





荷棚は網ではなくパイプ形状。登場時からこのスタイルだった。




デッキ



反射のおかげでまるで隣にもキハ65がいるかのような写真が撮れた。



運転席



助手席側





ジオラマ横にあるこの扉。

キハ58とかから持ってきたんですかね?





帰りも普通列車。

長い旅はまだまだ終わらないみたい、、、