-野田生(14:40発)-
なんとか熊に出遭うことなく小道を抜け、野田生駅へ向かいました。
野田生(のだおい)駅に着きました。
駅に着く間際、函館行きの普通列車が到着しました。
若干ながら乗降があって一安心。
降りた方は駅舎ではなく、反対側の獣道へ消えていきました。
ホームは2面2線の相対式。
それぞれのホームは構内踏切で結ばれています。
レインウェアを脱いでしまいたい気持ちは山々ですが、
先ほどの駅間でもパラパラ雨が降っていたから、
もう少し我慢しないといけないかも。
さて、次の駅へ進みます。
先ほどとは違う道で国道へ。
国道に合流。
野田生の中心部はすでに抜けていますが、
民家が点在してるおかげで、歩道がちゃんとある。
それでも敢えて海岸沿いの生活道路へ寄り道。
左奥の街灯は壊れていて、
裸電球が垂れ下がっていました。
電気点くなら危ない…。
右手のスペースは網干し場かな?
コンブ干し場かもしれないけど。
海岸沿いも民家がパラパラ続いていました。
海が見えると気分的にもテンション上がる。
晴れてたらもっと良かったけど。
ここで再び国道に合流。
まだ歩道続いてた。
バス停の待合室がなぜか屋敷のような雰囲気。
どうやら、この先にあった山越内関所をイメージしているようです。
北海道で関所と聞くと違和感がありますが、
山越内関所は蝦夷地への和人の出入りを取り締まるべく1801年に設けられ、
1861年に廃止されるまで日本最北の関所でした。
そのまま国道を進むと、松並木が現れました。
なんだか内地の雰囲気ですね。
ここが和人地ということを強調したい?
さらに進むと小さな川。
そして、その手前に碑が立っていました。
この川が蝦夷地と和人地の境界だったそうです。
蝦夷地は一貫して日本に属していたものの、
和人以外の民族が住む領域として、長らく位置づけが曖昧だったようです。
アイヌモシリの入口ともいえますが、和人も結構前から住み始めていたようで。
川の名前も境川。
境界と聞くと大きな川をイメージしますが、
どこにでも流れていそうな小さな川です。
境界を通過。
アイヌモシリに入った…という変化はありません。
ここが境界だったのは60年ほどで、
しかも関所が廃止されてから150年以上経ってますからね。
少し歩いて山越諏訪神社の前を通過。
この神社は1800年頃に建立されたそうです。
関所ができた時期と重なっています。
その隣には、山越内関所の跡の碑が立っていました。
境界からほど近いこの場所に関所が設けられたそうです。
ここが、事実上の境界。
さて、
いよいよアイヌモシリですよ。
(その21へ続く)
落部駅先から野田生駅先までのGPSログ(1/40,000)です。