函館本線・室蘭本線全駅間歩き(函館-大岸) その20・和人地と蝦夷地の境界を越える | 駅から駅まで・旅のあしあと

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鉄道路線全ての駅間を歩く全駅間歩きを10年以上続けています。
今は東海~北海道エリアを歩いていますが、目指すは全国全路線全区間踏破!
そんな壮大な目標、たぶん一生レベルでかかるので、長い目で見守っていただけるとうれしいです。
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その19からの続き

 

-野田生(14:40発)-

 

 

なんとか熊に出遭うことなく小道を抜け、野田生駅へ向かいました。

 

野田生(のだおい)駅に着きました。

 

駅に着く間際、函館行きの普通列車が到着しました。

若干ながら乗降があって一安心。

降りた方は駅舎ではなく、反対側の獣道へ消えていきました。

 

 

 

ホームは2面2線の相対式。

それぞれのホームは構内踏切で結ばれています。

 

レインウェアを脱いでしまいたい気持ちは山々ですが、

先ほどの駅間でもパラパラ雨が降っていたから、

もう少し我慢しないといけないかも。

 

 

 

さて、次の駅へ進みます。

先ほどとは違う道で国道へ。

 

 

 

国道に合流。

野田生の中心部はすでに抜けていますが、

民家が点在してるおかげで、歩道がちゃんとある。

 

 

 

それでも敢えて海岸沿いの生活道路へ寄り道。

 

左奥の街灯は壊れていて、

裸電球が垂れ下がっていました。

電気点くなら危ない…。

 

 

 

右手のスペースは網干し場かな?

コンブ干し場かもしれないけど。

 

 

 

海岸沿いも民家がパラパラ続いていました。

 

海が見えると気分的にもテンション上がる。

晴れてたらもっと良かったけど。

 

 

 

ここで再び国道に合流。

まだ歩道続いてた。

 

 

 

バス停の待合室がなぜか屋敷のような雰囲気。

どうやら、この先にあった山越内関所をイメージしているようです。

 

北海道で関所と聞くと違和感がありますが、

山越内関所は蝦夷地への和人の出入りを取り締まるべく1801年に設けられ、

1861年に廃止されるまで日本最北の関所でした。

 

 

 

そのまま国道を進むと、松並木が現れました。

 

なんだか内地の雰囲気ですね。

ここが和人地ということを強調したい?

 

 

 

さらに進むと小さな川。

そして、その手前に碑が立っていました。

この川が蝦夷地と和人地の境界だったそうです。

 

蝦夷地は一貫して日本に属していたものの、

和人以外の民族が住む領域として、長らく位置づけが曖昧だったようです。

アイヌモシリの入口ともいえますが、和人も結構前から住み始めていたようで。

 

 

 

川の名前も境川。

 

境界と聞くと大きな川をイメージしますが、

どこにでも流れていそうな小さな川です。

 

 

 

境界を通過。

アイヌモシリに入った…という変化はありません。

 

ここが境界だったのは60年ほどで、

しかも関所が廃止されてから150年以上経ってますからね。

 

 

 

少し歩いて山越諏訪神社の前を通過。

この神社は1800年頃に建立されたそうです。

関所ができた時期と重なっています。

 

 

 

その隣には、山越内関所の跡の碑が立っていました。

境界からほど近いこの場所に関所が設けられたそうです。

ここが、事実上の境界。

 

 

さて、

いよいよアイヌモシリですよ。

 

 

その21へ続く

 

 

落部駅先から野田生駅先までのGPSログ(1/40,000)です。