こんにちは(`・ω・´)ゞ
師走も早、後半へと向かい
何気に気忙しく感じる年の瀬となりましたw
先日の日曜日に保健センターで
予約してた総合検診を受けて来た
昨年の健診の結果、春頃に
今ならまだ間に合います!やり直せます(笑)
と保健師さんの訪問指導を受ける事態に…
その指導に対する決意と努力の賜物で
腹囲と体重は…
少しですが、5cmと3.4kgの減でした
来月送られてくる健診結果で
脂質も改善されてると良いのですがね〜
手順はいつもと同じで
特別にやる事は健診料を余分に払うだけじゃがね〜
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ということで
9時過ぎには終了して、昨年と同じく
健診終了後、お隣の三島図書館へ立ち寄りました
昨年は、此の方なくして
赤石山系は語れない伊藤玉男氏の本を見つけた↓
2021-12-14
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今回も何か面白そうな本は無いかな~
興味ある本が2冊見つかったよ〜\(^o^)/
ひとつ目は…
「三好の古道」三好郷土史研究会
三好と云えば四国中央市に隣接する
徳島県旧三好郡一円のこと
やまびこ打線で全国区になった
県立池田高校のある旧三好郡池田町や
腕(かいな)山スキー場のある旧三好郡井川町など
四国の中心に位置する山間(やまあい)の街です
「山あいの町の子供たちに 一度でいいから大海を見せてやりたかったんじゃ!」
つたは~ん
2020-05-19
5、6年前からウォーキングを始め、
土讃線秘境駅の坪尻駅や箸蔵寺
阿讃山脈を越えてうどん県に跨る箸蔵街道や猪鼻峠、中蓮寺山
この辺りは随分と歩いたり、迷ったりしましたw
昭和8年版の5万分の1地形図「池田」が載ってる
土讃線(当時は讃予線)は既に通っていますが
坪尻駅はまだ誕生していないようです
1929(昭和4)年に坪尻信号所として設置され
1950(昭和25)年に坪尻駅として開業
もともと信号所として建てられたため
建物財産標は現在も「待合所」のままになってるそうな
25‰の急勾配に位置するこの駅では
スイッチバックでホームに入ってくる列車を見ることができます↓
2016-11-24
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この昭和8年版の5万分の1地形図で
大きな疑問を1つ解消することが出来ました
2017年10月1日の探訪で見た
箸蔵寺への登山口に設置されていたこの標識
このロープウェイ乗り場近くの
「雲辺寺まで約19km」の表示が謎でした
ご存知の通り、箸蔵寺は
四国霊場八十八カ所の札所ではありませんが
四国別格二十霊場第15番札所でもあります
65番札所三角寺から別格15番箸蔵寺へ寄って
66番札所雲辺寺に向かうのかな?
ここから山道を1.8km登って箸蔵寺
さらに17km余り歩いて雲辺寺へ
となると…
この19kmはいったい何処をどう辿るのか
箸蔵寺から箸蔵街道を辿って
猪鼻峠から阿讃山脈の稜線を雲辺寺まで辿るのだろうか?
にしては距離が19kmでは短すぎる
雲辺寺を訪れた際には
東側の稜線に遍路道が続いて無いか確認したけど
此処で、同じ様にこの19kmの謎に疑問を持って
ここまでワザワザ確認にやって来た同郷のシコチュウマンに遭遇しました
チョット変わってるね!
イヤイヤおたくこそでしょ^o^↓
2017-10-11
いやぁ〜、
そんなモノズキさん、私以外にもおったとはビックリたまげたがね
しかも、同じ四国中央の人やったけんね〜(≧∀≦)
此処じゃないとすると
三角寺から歩いてきた道を引き返し
再び三角寺からの遍路道と合流して南から雲辺寺に登るのだろうか?
長い間思案し続けていましたが・・・
ホントかな(^◇^;)ワッセトンタンヤナカロカネ↓
2017-10-03
雲辺寺迄19kmの謎がやっと解けた(≧▽≦)
箸蔵寺から雲辺寺までの遍路道は
箸蔵街道とはすぐに分かれて
倉谷、船原、落集落を経由して西へ向かい
現在の国道32号線を西北へ
県道6号込野観音寺線入口で国道32号から分かれて西へ、登り尾から下野呂内へと進む
下野呂内から上野呂内にかけては5丁毎に丁石が続いてるそうな
落、船原、倉谷は土讃線坪尻駅から
箸蔵寺を目指した時に歩いたコース↓
2016-10-24
落集落には谷底の坪尻駅を俯瞰する
ポイントもありました
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今回は手抜きのリンク貼りが目立つな
こうなったら備忘録代わりにリンク帳として
とことん貼りまくるからね〜
お役に立てる様な記事じゃ無いけど(^◇^;)
興味とお暇なお時間あったら覗いてね!
現在の箸蔵山ロープウェイの場所には
戦前から箸蔵登山鉄道というケーブルカーが走ってたけど、戦争で廃止されました
太平洋戦争中に廃止された
箸蔵登山鉄道赤鳥居駅跡の記事↓
2016-12-08
これより1992年の
阿佐海岸鉄道 阿佐東線開業まで
徳島県には国鉄(JR四国)以外が経営する鉄道路線が存在しませんでした
阿佐海岸鉄道 阿佐東線↓
2019-06-12
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土讃線JR讃岐財田駅とJR箸蔵駅
双方から歩いた箸蔵街道
一度目は廃道状態の林道に迷い込み、箸蔵寺を経由せずにJR箸蔵駅へ
その途中にあった二軒茶屋も地形図に載ってますね↓
2017-07-12
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箸蔵街道から大久保諶之丞が作った
四国新道が残る猪鼻峠を経て若狭峰、中蓮寺峰と稜線を辿った探訪記↓
2017-10-05
全行程40km超の苦行の迷走記
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讃岐への道・入体越えは
坪尻駅から小屋床を経て箸蔵寺を目指し
再挑戦で通る予定だったルートと一致してるのでは↓
2016-12-06
この日目指していたルートは黄色のラインでしたが
ポイントのピンカーブを読み違えて
再挑戦もまた失敗に終わり、
未だに目的のラインは踏破出来ず(T ^ T)
このラインがこの本に載っている古道
讃岐への道・入体越えと酷似してるんでないかい
「入体」という地名に違和感満載でしたが・・・
昔の主要道は小屋床を経由して猪鼻峠を越え、讃岐に向かってたのね
この1933(昭和8)年の地形図に載ってる鉄道は讃予線(現在の土讃線)で、
1929(昭和4)年、全長3,845mの猪鼻トンネルが開通し
4月28日、讃岐財田~佃間が開業します
土讃線の讃岐財田-箸蔵間は
四国三大難所と言われた猪鼻峠を9つのトンネルで越えて行きます
この猪鼻峠に鉄道を建設するにあたっては
鮎苦谷川の流れを3つの導水トンネルで変え
線路の施設場所として、
元の川底を埋めたてるなど数々の難工事を重ねました
坪尻駅は鮎苦谷川の川底を埋立てた谷にあります↓
2017-11-04
未だ iPhoneにGeographicaをインストールする前だったので
GPSログが無く、手書きでは何が何やら分からんがね
僅かな金額で利用させて頂いてますが
改めて開発者の方にはホントに感謝です!
この入体越えのルートと一致すると思われる
未踏破区間の再挑戦をしたいけど・・・
JR四国のダイヤ改正で下り列車の
午前中に坪尻駅に停車する便は無くなった
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もう一つの本は、「千足山物語」
旧石鎚村の前身
千足山(せんぞくやま)村の中村地区に
石鎚黒茶を製造する高齢の夫婦が暮らしておられました
2014(平成26)年12月28日に
最後の住民のこの夫婦が山を下りられて
旧石鎚村は湯浪地区を除いて無住となります
最後までここで生活されていた御夫婦
この家屋は1834(天保5)年に建てられたそうな
戦国時代より千足山と呼ばれていた千足山村は
1889(明治22)年の町村制施行で正式に千足山村となり
1951(昭和26)年に石鎚村に改称しますが
4年後の1955(昭和30)年に小松町と石根村と合併して小松町となって
自治体としての歴史を閉じ、石鎚村と呼ばれた期間は僅か4年間でした
千足山村には山間の標高が200~600m程の処に20余りの集落があって
明治時代、多い時で1,300人余りの人が暮らしていました
2022-02-10
中村地区と磯貝地区に今も残っていると云われる
石鎚山遥拝の常夜灯をいつか訪ねてみたいと思ってます
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1944(昭和19)年10月25日、フィリピンマバラカット東飛行場から
神風特別攻撃隊敷島隊(指揮官関行男大尉(23歳))が飛び立ちます↓
2022-01-13
その母、関サカエさんが戦後、毀誉褒貶の世に
用務員として勤められた石鎚村立石鎚小・中学校(サカエさん終焉の地)は
土場という加茂川の木材集積地跡にありました↓
2022-01-22