2022年も早や師走、久々に「た」の登場ですw
本年当別荘の締めくくり(?)として、前2作からおおくりしている【鉄道150年企画】とのコラボ作でおおくりします
今作が【鉄道150年企画の③、シリーズ最終回】.を兼ねるという事になります
「た」に、この大事な記念企画の有終が飾れるのか?一抹の疑念も抱きつつ(笑)、とりあえず日帰りで、関東近郊のローカル私鉄を訪ねてきました
どんな旅だったのか?ご覧下さい^
↑現れました!w
JR水戸線・下館駅です
(※茨城県筑西市)
ステンドグラスも配された、コンパクトながらお洒落な駅舎です
↑駅前通りですが、通り右側に見える商業ビルっぽい建物には、現在筑西市役所が入っています
元々↑のビル、サティ(マイカル)がメインで入ってたとの事ですが、同社が業績不振で撤退。以降、食品スーパー数社が入れ替わり出店しましたが、地方都市定番の”駅前空洞化”で振るわず、いずれも短期間で退店したとの事
そこで筑西市は、市役所をここへ移転する事を決意。現在フロアの大半を市役所が占めています(※一部、コンビニやスポーツクラブ等の民間入居も残ってます)
これと似た例、当別荘過去作で訪ねた石巻市役所も、駅前の商業ビル跡に入ってました(vol.392参照)
さらに話横道ですが、ここ筑西市、平成大合併で旧下館市ほか4町が併合して出来た市です。旧下館市は、昔から茨城県西部の中心都市でしたが、現在その地位は東北線が通る古河市に奪われつつあります。地勢的・経済的に、隣接する栃木県との繋がりが濃い街です
僕が駅前で撮影している間、「た」は↑待合室でうたた寝w
ホント自由な奴です(笑)
・そろそろ今作の本題へw
これから乗る鉄道の発車時間が近づきました。
「た」を叩き起こして~
再び改札口からホームへ
今作の主題、これから乗るのは、真岡(もおか)鐡道です
下館駅は、真岡鐡道/関東鉄道の2私鉄が接続する要衝駅なんです。改札は共通で、同駅のJR券売機で2社のキップも売っています。
真岡線ホームは、JRホームの片隅にある、1番線から
この日乗る列車ですが、当別荘創設以来で2回目という、特別な列車を予約しました。
真岡鐡道が土日に運転している、SL列車です
真岡線の線路には、もう停まってましたが・
↑ディーゼル機関車です。
というのは~
上の写真、終端部から撮っているので、↑は最後尾になるんです。今各地で保存運転されているSL列車は、出力不足や故障時に備えて、補機を連結している場合が多いです。
前回当別荘でSLが登場したのは2018年の大井川鉄道を訪ねた作でしたが、その時乗ったSL列車も電機の補機を繋いでいました
↑のDLはDE10型、真岡鐡道がJRから購入したものです。DE10が旅客列車を引っ張るというのも全国的にレアで、貴重な光景です。
そして~
↑先頭部には・・
↑SLが!C12型機です。戦前~戦後にかけ、旧国鉄の地方路線で活躍していた貨客両用機です。
発車時間は近づいてますが、SL列車は、↑ホームから離れた側線に停まっています。その訳は~
SL便の前に、↑通常ダイヤの普通列車が1本あるんです。
その列車が出たあと・
SL列車の入換作業が始まりました!
DLがプッシュして、一旦列車を駅外へ出します
そして逆進し、ホームへ入線してきました!
大喜びの「た」w
ホームで待つ多数の親子連れの方々も楽しそうに列車入線を眺めています
静かに蒸気を吐き出し、黒光りするC12型機
1933(昭和8)年製。引退後、福島県内で静態保存されていましたが、真岡線でSLを復活させる機運が盛り上がり、状態の良かった同機が選定されました。JR大宮工場で整備後真岡入り、車籍復活を果たしました
↑乗り込む「た」、久々に間近で見るSLに大興奮^
そして、↑繋がれている3両編成の客車も又、貴重なものです。
オハ50型というこの客車、国鉄末期に旧型客車の置換え用として多数製造されました。かつての旧型客車のドアは手動で、走行中にも自由に開閉出来たため(※現在の我が国鉄道では考えられないですが)乗客の落下事故が相次いで社会問題となり、普通列車用客車として初の自動ドア付で造られました。
JR転換後もしばらく各地で使われましたが、やがて客車列車そのものがDCや電車に置換えられて廃止となり、少数が海外に譲渡された以外は廃車となっていきました。↑この真岡線の3両は、現在全国で唯一現役のオハ50です
僕も学生の頃、播但線でよく乗った覚えのある懐かしい車です
懐かしのボックスシートが並ぶ車内、天井の扇風機もgoodです
SL列車は同社HPでの予約制ですが、座席指定ではなく定員制で、乗り込めば自由席ですw
この日は各ボックス平均2~3人の、程よい感じ^
10:35、出発しました!
下館発茂木行、『SLもおか号』です
ここで、真岡鐡道の概要を簡単に纏めます
真岡鐡道は全長約40km、水戸線・下館駅から分岐している盲腸線の3セクです。1988(昭和63)年、旧国鉄真岡線から転換されました。
駅は起終点含め17駅。途中主要駅は、同社本社/車庫がある真岡駅と、焼き物で有名な益子駅、そして終点の茂木駅です(※有人駅は、下館を含め上記4駅のみ)
沿線の様子は、このあとご覧頂きます^^
・冒頭、下館駅前の場面で『茨城県西部』と紹介しましたが、同線の大半は栃木県で(※本社のある真岡は栃木県真岡市)、茨城県内は下館~ひぐち駅の4駅間だけです。なにげに県境越えをしている路線なんです
下館を出てしばらくは、住宅と田んぼ半々といった郊外の光景です
↑”窓が大きく開けられる鉄道車両”というのも今や珍しくなりました。車外からの風を楽しむ「た」
下館を出て最初の離合線がある駅、↑折本駅
対向車とスライド。SLもおか号ですが、”快速”や”急行”といった優等種別は特に付いてなく、途中離合可能駅では全て停車し、乗降も可能です
進むにつれ、次第に緑が多くなってきます
沿線には、↑カメラを構える撮り鉄ちゃんの姿、全線に亘って多数見受けられました。毎週末運転されるにも拘らずこれだけの人が集まっているとは、人気ぶりが窺えます
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・列車は主要駅、真岡駅に近づきましたが、↑アノ駅舎は・・
なんと駅舎と機関庫が、SLの形になってるんです(驚)
3セク転換してから改築したものですが、何とも気合が入ってます^
↑国鉄DCのキハ20型が停まっていますが、状態は良くなく、放置に近い感じです・
真岡駅到着です。SLを撮影する人、一般列車を待つ人が入交じり、活気を感じます
真岡駅で多少降車客がありました。
同駅では10分程停車、撮影や飲料購入も出来ます
また、↑2号車には一角に売店が設けられ、真鐡グッズも購入できるほか、事前予約すれば車内で特注弁当も味わえます
真岡駅で乗客が減り、多少撮影しやすくなりました^
1号車の前には、SLが老体を鞭打って牽引してくれています
窓から流れてくる、煤煙の匂いもまたよし
客車がレールを刻む音とともに、蒸機から『シュシュポポ・・』とつぶやきも聞こえてきます。SL列車の醍醐味です
真岡以北でも通常便と離合する駅があります。
下館から10駅目、↑陶器で有名な街・益子駅ですが、この駅は復路で途中下車します
機関車から吹き出す蒸気、力強い汽笛、よくいわれますがSLってホント生きもののようです・
動き出す時「ガクッ」と前からくる衝撃、そしてその後、ゆっくりゆっくりと走り出す、客車独特の乗り心地も久々に堪能しました^
終点・茂木が近づくころ、↑『道の駅もてぎ』の横を通るんですが、ここにも沢山の人がカメラをSLに向けています
茂木にはサーキット場(※モビリティリゾートもてぎ)があるので、同道の駅は土日になれば沢山の車/バイク好きで賑わいますが、普段鉄道にそんな興味ない人々にまでカメラを構えさせるSLの力、やっぱり凄いです^
そして・
下館を出てから約1時間半、終点・茂木駅到着です!
後ろから押してくれた助っ人・DE10もおつかれさまでした^
到着したSLもおか号、復路の発車まで2時間余あるので、一旦側線に引揚げます
下館駅での入換作業と同様に、駅の外へ引上げてから、側線へ入線させます
そしてC12は、↑方向転換のため転車台へ
↑の転車台、真岡鐡道がSL運行のために新設したものだそうです。ホント気合が入ってます
↑茂木駅舎です(※栃木県芳賀郡茂木町)
駅前からはJRバスが接続します。バスは宇都宮駅を経由し、アノ高校野球が強い作新学園の前まで行くそうです
茂木駅には↑地域交流施設『ききょう館』が併設されて、観光案内や休憩等も出来ます。「た」と入ってちょっと座ったら、ボランティアさんのおばさんがサッとお茶を出して下さいました(感謝)
駅前は、↑な感じ
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・復路は、↑一般列車でのんびり下館へ戻ります
↑真岡線終端部です(※機回し線を兼ねる)
昭和期には、茂木からさらに延伸し、烏山を経由して水郡線の常陸大子まで繋ごうという遠大な計画があったそうです・
茂木駅を離れました。この日午前中は晴れていたんですが、午後から雲が増えてきました
真岡鐡道、基本的には↑のような、全国どの地方にもある典型的な立地のローカル線です。SL列車の効果で今や全国から乗客が訪れる路線になりましたが、現在の盛況は勿論、SLだけでない同社の努力とアイデアの賜物です
同社がSL列車を運行実現できた素地になったのは、↑国鉄から引き継いだ、ローカル線にしては比較的余裕のある各駅の構造
国鉄時代には6両編成の客車列車や、貨物列車も比較的近年まで残っていたそうで、そのためホーム長もこの規模の盲腸線にしては長く、下館/茂木の起終点でも側線を確保するスペースがありました。
ぞして、それを”宝の持ち腐れ”にしなかった真岡鐡道の積極経営。SL列車は勿論、国鉄時代に廃されていた離合線を3駅で復活、また途中5駅を新設しました。さらに、国鉄末期には減便に次ぐ減便で日中ほとんど無かった列車を復活し、毎時1本は走るよう大増発、地域の足を蘇らせました
戻りは、「た」の希望もあり、益子駅に途中下車します
ご存じ、焼き物で有名な街です(※栃木県芳賀郡益子町)
↑益子駅隣にあった観光交流施設内の食堂で昼食(カレー)^^
昼食後、益子街ブラへ
駅からしばらくは、ひなびた街並がつづきます
軒先に陶器を置いている店がポツポツと
古民家が残ってました。日下田(ひげた)家
(※栃木県指定文化財)
茅葺の曲屋、江戸中期の築との事です。
内部は現在、藍染めの工房&お店になっています
お店の縁側で怪しげに休憩する「た」w
・さらに街中をすすむと、↑急に道幅が広がり、整備された街並になりました。益子の街の中心は駅から1km強離れています
この界隈には、大きな陶器屋さんが並びます
江戸末期から盛んになったという益子の陶芸、元々はお隣・茨城の笠間焼の陶芸家が益子に窯を開いたのが始まりといわれています。比較的実用的な品が中心ですが、花器等の芸術性高いものもあります
焼き物と一緒に並べられた、地元野菜の直売を覗き込む「た」
↑陶芸の美術館があるという事なので、行ってみます
その名も”陶芸メッセ・益子陶芸美術館”
↑入口横に『かさましこ』と書かれた縦看板がありますが、前述の笠間焼と共に、日本遺産に指定されたそうです。冒頭下館駅のところでも書きましたが、栃木県南東部と茨城県西部の繋がりが濃い事がわかります。
内部は撮影禁止でしたが、数々の陶芸作品のほか、企画展や益子町の歴史を紹介する一角もあり、楽しめました
駅への戻り、↑栃木という事で大谷石を使った建物もいくつか見受けました
町の所々に↑”土祭”と銘打ったポスターがありましたが、この土祭(ひじさい)は、2009年から益子で行われている新しい祭で、農業と陶芸の街、益子の原点「土」に感謝しようと始まったそうです(※3年おきに開催、次回は2024年予定)
日頃の「た」の行いがたたり、雨が降ってきました(笑)
↑益子駅へ戻ってきました。ホントはこの後、真岡駅にも降りたかったんですが、時間の関係でこれから帰途につきます
夕暮れの下館駅に戻ってきました
行ったのは11月中旬だったんですが、この時コロナが拡大傾向だったので、夏企画に続いて「た」恒例の飲みは割愛、水戸線→小山経由で帰途につきました
なお、下館駅には関東鉄道も入ってきているので、時間に余裕があれば取手経由で来るのも一興です
・いかがでしたでしょうか、茨城/栃木の両県を股にかけ、引継いだ設備を存分に生かして積極経営する真岡鐡道、いま全国の3セクでは各地でその特色を生かした振興策を懸命にやってますが、真岡線の成功はいいお手本の一例といえます。
同社がこれだけ成功しているのは”首都圏から日帰り範囲”という地の利も大きいと思いますが、しかし近傍では、地の利がありながら生かしきれず廃線になった筑波鉄道の例もあります。今後も油断せず、末永く下野の郷に汽笛を響かせ、走り続けてほしいです・
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3作シリーズ・カテゴリー縦断でおおくりした『鉄道150年企画』、今作で終了です。ラストに纏めです
①では、鉄道発祥の地・新橋&大宮の鉄博で、150年の歴史をザッと振り返りました(11/15up vol.426)
つづく②では、いま地方鉄道が抱える最も深刻な課題、ローカル線存廃問題の縮図のような路線、信州・大糸線を訪れました(11/30up vol.427)
そして今回③は、元気に走る地方線の例として、「た」シリーズコラボで真岡鐡道を取り上げました
・『鉄道の歴史は近代日本の歴史』、
また、『鉄道の現状は地方疲弊・少子高齢化の現状』
そして、『鉄道の未来を決めるのは、第一義的には各沿線地域の人々ではあるが、それをトータルにサポートしてバラバラにしない役割と責任は、最終的に国にある』という事だと僕は思います。
当別荘でいつも書いてますように、鉄道の存在は採算や乗客数だけで計るものではない国民の財産だというのが、僕の微動だにしない主張です。
鉄道を廃止してバス転換した街の多くは、その後その代替バスも早々と廃止になり、街が一層衰退した例も枚挙にいとまがありません。各地で成果を挙げつつある地方3セクの取組を、JR各社はもっと本気になって見習い、臆せず採り入れるべきと僕は思います
鉄道200年へと向かうこれから、自動運転やBRT化、バッテリー動力車の普及による”電化/非電化”の垣根が無くなる等、未来の鉄道はどんどん想像を絶する進化を続けていく事と思います。新規に開業する路線、そして残念ながら廃止となる線もあるでしょう。しかし「いいもの」は時代を越えて残っていきます。僕は当別荘が続く限り、鉄道の将来を信じて乗り続け、発信し続けていきます
・さいごに、「た」に、鉄道150年に際して思う事を聞きましたw
答えは~
『鉄道という乗り物から、未来にはどんな価値観が生まれるのか楽しみだ。”懐かしい未来へ”走りつづけてほしい』という、なんかボワッとした感想でしたw^^
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「た」シリーズは又来春から、そして次作は、大晦日恒例のアレです!今年も早や残り少なくなりました。元気でよい年末を^
☆栃木県南部過去作リンク
◎号外◎ 世紀の天体ショー Wo流・金環日食を観る | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)
vol.194 2015ツーリング始め「栃木・大谷」石と歴史の街・産業遺産が芸術の場へ・ | 旅ブログ Wo’s別荘 (ameblo.jp)