令和4年12月9日にて35歳となりました。
人生70まで生きれたとしたら折り返し地点。
そこで久しぶりに生まれ故郷の新庄の街を廻る事にしました。
こちらは山形県立新庄病院。
昭和62年12月9日に私はこちらで生を授かりました。
その新庄病院のすぐ隣の公園にいるのがC58 304です。
一時期は荒廃したことで解体も検討されておりましたが、地元国鉄OBの方々によって塗装修繕が行われました。
秋田の土崎工場で整備された記録もしっかり残されています。
羽前赤倉の実家から新庄まで陸羽東線に乗り買い物に来たり祖母の家に行ったとき、母はよくこの公園に私を連れてきてくれておりました。
あの頃の目線で一枚、小さな子供の頃の私はこの大きな動輪が動く様を想像し興奮したものです。
このC58 304が走り出す夢も見たことがありました。
黒塗りされて綺麗になったC58 304、実はナンバープレートが欠如しておりましたがこちらも修復されております。
よく見ると木彫りです。
「なんだ木彫りかよ」と思う人はダメですね。
ご高齢である国鉄OBの方々の気持ちがこもったプレートの良さがわからないのかね?
というだけではなく、木製プレートというものも実在しておりました。
陸羽東線シゴハチ歴史保存会の特別顧問であるM先生いわく、
「現役の蒸気機関車でも木製の手彫りがありました。C108です。ナンバープレートが欠けた状態でラサ工業に国鉄から払い下げられて、運輸課が自作しました。後面のナンバーが木製でした。何れにせよ、木製ナンバー=愛されているということでしょう。」
だそうです。
改めてC58 304を見て回ったのはいつぶりでしょうか。
デフレクターの点検口が開閉式だったんですね。
かすれていた文字も修繕されておりました。
なんと腕木式信号機も塗装修繕されておりました。
子供心に「これ動くのかな?」とレバーを動かそうと試みたものでした。
キャブはブルーシートで覆われておりました。
おそらくこのまま冬ごもりして、来年春に修繕が再開されるのではないでしょうか。
おしり(テンダー)も綺麗ですね。
しかしよくまぁここまで綺麗に手掘りされたと思います。
そういえば厚狭のD51 300も地元の小学生たちによってナンバープレートが作成されておりました。
山形県立新庄病院は2023年に新病院へ移管され、この新庄市若葉町の病院はそう遠くない将来姿を消すことになります。
寂しい限りですが、その隣にいるC58 304が解体の危機を乗り越えて整備されたことは色々と感慨深いものです。
自分の原点がここにはあります。
病院とC58を見たあとは「お城」と呼ばれ新庄市民に親しまれている戸澤神社へ参拝。
私はこちらで神前式の挙式を行いました。
また平日にもかかわらず参拝者を見かけましたが、歴史と文化を重んじる新庄市だなぁと感じたところです。
続けて隣接する新庄ふるさと歴史センターへ。
ユネスコ無形世界文化遺産に登録された新庄まつりの山車が展示されております。
お祭り男だった私は祖母にせがって何度ここに来たかわかりません。
こちらの施設には山車の他にも様々な歴史や文化、芸術に関わるものが展示されております。
幼少期からこうしたものを見て育った私にとって、こうした施設はどこにでもあるものと思っておりました。
お昼になったところで「さぶん」にてお蕎麦と鰊煮を頂きます。
山形は蕎麦処ですが、他県と比べて量が1.5~2倍、そして「十割蕎麦」がスタンダードです。
他県で蕎麦を食べたとき、量が少ないし固さも無くてガッカリしましたが、これもまた風土の違いなんでしょうね。
食事を終えて新庄駅を目指す途中、北本町のアーケードが解体工事中でした。
祖母の家から母と手をつなぎこのアーケードを歩き、今はなき「ダイエー」に行くのが何よりもの楽しみでした。
なおダイエーだった建物は「こらっせ新庄」として現存しております。
新庄駅に到着。
旧国鉄新庄駅機関庫が見えます。
実は日本で現存する現役の煉瓦機関庫としては最古なんだそうです。
かつてはこの機関庫にC57、C58、D51、8620、C51などが常駐していたと思うと「まるで宝の山ね!」です。
※このセリフがわかる人はいるでしょうか
駅に入り改装された「最上体験館」を見学します。
「鉄道の街」として栄えた新庄ですが、その歴史を活用した鉄道博物館が近年オープンしました。
鉄道好きには最高の場所ですね。
私が高校生のときにこれがあったら毎日入り浸っていたと思います。
どでかいD51もお出迎え。
懐かしのヘッドマークが!
手前の公園遊具はかつて存在した遊園地のものが大切に保管されており、それを復元整備したんだそうです。
巨大ジオラマは私の母校の生徒たちが作成。
やるな後輩たちよ、高校時代にそんなことができるなんて羨ましいぞ。
中には陸羽東線全駅の駅名表示板ガチャがありました。
細部まで作りこまれた手掘りのC62まであります。
HOゲージがずらり!まるで宝の山ね!
陸羽西線の狩川駅特集。
駅舎は近年解体されたそうですが、改札の一部がこちらに移設されました。
なんと蒸気機関車のヘッドライトまで。
休日には点灯するようです。
鉄道ファンにはたまらないお宝コーナーまで。
D51 1108のプレートがありますがこれはレプリカでしょうね。
子供が喜びそうな新幹線の遊具もあります。
実はこちらも無くなった遊園地のもので、これも個人の方が大切に保管されており、それを復元整備されたもの。
温故知新、歴史文化を大事にする故郷新庄に万歳。
特大プラレールまであります。
子育て世代に嬉しいスペースまで。
宮城と比較すると山形は公園も多く、子育てにも力を入れているなと感じます。
こちらは個人の方が制作されたかつての舟形駅ジオラマです。
舟形にはかつて亜炭鉱山があり、鉱山から駅までトロッコで亜炭を運搬していたそうです。
新庄駅の歴史も展示されています。
ぐるっと見て回りましたが鉄道系の展示ボリュームは東北最大ではないでしょうか?
ゆめりあ鉄道ギャラリーを満喫したあとは改札口へ。
高校時代は職場体験でお世話になり、実際に駅構内アナウンスも行いました。
改札口前にはドカンと山車が展示されています。
そうそう、新庄は漫画「幽遊白書」「ハンターハンター」の作者である冨樫義博さんの故郷です。
冨樫さんもまた郷土愛が強く、漫画でも山形が登場したりします。
またご実家である冨樫紙店さんは母の実家のすぐ近く(同じ万場町内)です。
もしかしたら母の下の兄弟と同じ年代かもしれません。
新庄駅から離れ、今回の最後の訪問地「手作り工房 奈々ちゃん」へ。
店内には朝丘雪路・デヴィ夫人両氏と撮った写真が飾られています。
「いい旅・夢気分」のロケ来た際の写真なんだそうです。
実はこの手作り工房 奈々ちゃん、元は新庄駅前にあった「なまら食堂」で人生の半生近くを勤めてこられたお母さんが、名物であった「たい焼き」の味を守られているお店。
このたい焼きは私にとって大切な幼少時代の思い出となります。
生まれは新庄、育ちは羽前赤倉駅前である私は前述のとおり汽車でよく新庄に通ったものでした。
そんな新庄は冬は豪雪となり、雪がしんしんと降り駅前も静かな雰囲気だったのを今でもよく覚えております。
そうした中、母が必ずならま食堂でたい焼きを買ってくれ、それを食べるのが冬の何よりもの楽しみでした。
おそらく2000年代後半にお店が閉店したため、私にとってはもう20年以上は食べれなかった味という訳です。
前置きが長くなりましたがお母さんに承諾をいただき写真を撮らせていただきました。
懐かしい!この焼き型見覚えがあるぞ!
お母さんいわく「焼き型も生地もあんこも昔から変えてないよ!」とのこと。
すっかりお母さんと昔話に花が咲き、あっというまにたい焼きが仕上がりました。
そうそう、「耳」がたくさん付いているのが特徴で、子供心にこれを先に食べるのが楽しみでした。
中にはあんこがぎっしり詰まっています。
約20年ぶりに食べたたいやきの味は、たしかにあのときのたい焼きの味で、思わず目頭が熱くなりました・・・。
たい焼き屋さんのお母さんは「ご縁に感謝」と笑顔で話されておりました。
今回は久しぶりに故郷を廻り、「私の原点がここにあるのだな、たくさん頂いたご縁が今に繋がり、そしてまた新たなご縁に繋がっているんだな」と大切なことに気付かされたところです。