11日目 徳川家康のお膝元 東照宮と東海道一(ひと)次
徒歩旅行日:2021年4月4日(日)
前日に薩埵峠を越えたものの足に疲労感は残っていなかった。初の一泊2日での街道歩き、何とか大丈夫そうだ。
前回の記事:会社員の東海道53次 徒歩旅行記⑩【静岡 蒲原〜薩埵峠〜江尻】 - 旅の記憶
初訪問の静岡市、折角なので観光を。駿府城公園と久能山東照宮に行ってみる。昼前から雨予報、早めに宿を出る。歩いて駿府城公園へ。1589年に家康が完成させた駿府城。そのあと家康はここを離れ、江戸幕府を開いたが、1605年に再び戻ってくる。この時に現市街地の原型となる町割りが作られたそうだ。桜はちょうど見頃のようだ。マラソンランナーたちが気持ち良さそうに花の下を走り抜けていく。公園近くの静岡市役所。1937年築のモダンな建物は登録有形文化財。塔のドームが印象的。今度は久能山東照宮を目指す。歩いて静岡駅まで移動して、バス・ロープウェイ・久能山のセット券を購入。さくらももこさんの静岡の絵が良い。静鉄バスに乗り込むと床が板張りでこれまた良い。バスは9時5分に日本平に到着。日本平は高台で、ホテルや動物園もある風光明媚な観光地。晴れていれば富士山が眺められるらしいが、展望台から見たものは灰色の雲だけ。
日本平から久能山へはロープウェイで。満載の人を乗せたロープウェイが下り続けるのは怖いものがある。谷を跨いで。そして久能山の向こうに駿河湾も見える。
駿河湾沿いには久能街道という道があって、表参道はその海側の街道から始まっている。海抜0メートルからの急斜面、こちらはかなり登るのが大変なようだ。ロープウェイで来ると、東照宮はもう間近。少し階段を上るだけ。ここは徳川家康の遺言に従って、1616年に創建され、家康のお墓もある。同じく東照宮の日光東照宮は家康の遺言に従って一周忌の後に創建されているらしい。後から調べてみると、実際の徳川家康の遺骨は、久能山と日光のどちらにあるか分からないという記事を読んだ。しかし遺骨のありかが大事なのではなくて、徳川家康の存在感を示す東照宮が存在し続けている、ということ自体が凄いことなんだと思う。境内をゆっくりと散策してみる。色彩がどこも強い。境内の一番奥に家康のお墓があり、手を合わせると、まるで対峙しているかのよう。歴史の中では馴染み深いけれども、一人の人間として実在していたと考えると、一気に信じがたいような不思議な気持ちになる。
再びロープウェイとバス、JRを乗り継いで、清水駅前へ。東海道歩きを始める。今回は隣の府中宿(静岡市街地付近)まで12.2キロの道のり。もったりとした空気が流れていて、雨雲が近づいているのが分かる。街道沿いは古い建物が並ぶ。タイルや窓枠が凝っている可愛い写真館が目を引いた。この辺りにかつての本陣もあったらしく江尻宿(かつてはそう呼ばれていた)の中心のよう。暖簾に江尻宿と書いてあお店を発見したので、嬉しくて入ってみる。お茶の名産地だから茶蕎麦にしてみて大正解。腹ごしらえを済ませたら本腰を据えて歩き始める。稚児橋にある河童の像。徳川家康の命で作られた橋で、渡り初めに不思議な男の子が走って現れて、河童だったのではないかと言い伝えられているそう。商店街を抜け、JRと静岡鉄道の線路を渡る。草薙という地区へ。ここは三種の神器である「草薙の剣」の由来になった場所。逆賊が草原に火を放ったが、ヤマトタケルは剣で草を薙ぎ払って難を逃れたという話から「草薙の剣」と呼ばれるようになったそう。今の草薙は草原では無くなっている。この辺りで雨が降り始め、剣ではなく傘を取り出す。路地に入ると緩やかな坂道になってきた。Googlemapを見ると、今朝行った日本平が近いらしく、その丘陵の端を歩いているのだと思われる。少し登って平らになって、また登って平らになる。この坂道は自然の地形なのか、人工的に作られた地形なのか、気になるところ。坂の街は続く。大木の街路樹と坂道、函館の景色に見えなくもない。静岡駅の一つ手前、東静岡駅近くへ。どうやら貨物ターミナルが旧東海道を遮っているらしく、狭い地下通路を歩くことに。ここが東海道中一番怖かった箇所と言っても過言ではない。歩道なんて無論なく、暗くて向こうは全く見えない。しかも車は相互通行、意外と来るのだ。これは江戸時代にはなかった、旅人への新たな脅威。トンネルを抜けると今度は静岡鉄道が並走。カラフルな車両は全部で7色あるらしく、早速3色発見できた。大きな楠が見事な軍神社。ここもヤマトタケルにゆかりがあって、東征に行く際に戦勝祈願をしたところらしい。そうなるとヤマトタケルも東海道に近いルートを辿ったということになるのだろうか。ご当地マンホール、富士山と安倍川と登呂遺跡。15時半すぎ、だいぶ市街地に入って来た感じがする。歩き始めて3時間少々、雨だとやっぱり体力の消耗が早い。だいぶ疲れてくる。4色目のブルーの車両を発見。欅並木と横切る電車と、絵になる瞬間。かなり街に近づいて来て昔の宿場(府中宿)内、かつ城下町の中に入って来たのだと思われる。細かな地名の案内板があって、由来を読みながらゆっくり進む。本陣・脇本陣と貫目改所跡。貫目改所とは荷物の重さを計って馬に載せる運賃などを計算する場所のようだ。しっかりと交通・流通のシステムが整っていて毎度感心する。勝海舟と西郷隆盛の無血開城の話合いの前に、静岡で山岡鉄舟と西郷隆盛が話し合いをしたと記される記念碑があった。そして程なくして桜の咲く駿府城の石垣が目に飛び込んできた。府中宿に到着、この日はここをゴールとする。新静岡駅前の喫茶店に入り、疲れを癒して旅の振り返りを。前日に蒲原から薩埵峠を抜け、一泊二日で約31キロの行程。海も山も、晴れも雨もあった二日間を振り返り達成感に浸る。
ただ一つ後悔があった。それは、まだ歩いて到達していない静岡の街に前日宿泊したせいで、どうしてもゴールした瞬間に既視感が拭えず素直に感動できなかったのだ。これからは到達してない場所には移動・観光・宿泊で先に行かない、このことを新ルールとして定ることとした(静岡ルール)。この後、JRバスで新宿まで帰り、翌日からまた何も無かったように、普通の会社員に戻ったのであった。