快速 庄原ライナーに乗りました。 | 安芸もみじ / Photos, Historys, Trains - Hiroshima JAPAN

快速 庄原ライナーに乗りました。


快速 庄原ライナーの最終日だった12月11日。

今日はせっかくなので、備後庄原まで乗ってみました。

発車標は9番ホームに表示されていましたが、実際は8番ホームからの発車です。


今回は着席した位置から、各停車駅の車窓風景をUPします。

まずはJR貨物 広島車両所の最寄 矢賀駅ですが、ここでは広島行きの普通列車と行き違いがありました。

上の高架は新幹線の、広島基地への引き込み線です。


続いては戸坂駅。

庄原ライナーの停車駅で唯一、進行方向右側にホームがありません。

その代わりではありませんが、正一位の扁額を掲げた重氏稲荷神社の、赤い鳥居が見られました。


広島を7時33分に発車した庄原ライナーは、矢賀 7時38分・戸坂 7時43分と定刻に運転され、安芸矢口駅では7時48分の発着です。

ここでも広島行きの普通列車と行き違いがありました。

30秒の停車で速やかな発車でした。


そして玖村駅へ7時52分の到着です。

走っている間の車窓は、時おり山肌が近くまで迫る場所もありますが、広島市内ということもあり住宅街が広がります。

ここでは高校生が降りていきました。


次は下深川駅へ7時58分の着発ですが、庄原ライナーはこの下深川駅までが各駅停車となります。

芸備線唯一の黒字区間である広島~下深川ですが、今日は日曜日と言うこともあって、乗降者はわずかでした。

ここから先が芸備線問題と取り上げられる区間となりますが、庄原ライナーの乗車率はまずまずと言ったところです。




続いては各駅を通過して快調に飛ばし、志和口駅へ7時19分に到着し6分の停車時間があります。

入線すると行き違いで広島行きの普通列車が発車して行きます。

が、入線時に左手へマルタイが止まっているのが見えたので、少し降りてみることにしました。




マルタイ = マルチタイタンパーは、保線用の事業用車両です。

6分の時間があったので、駅名標も撮ってみましたが、ホームとの段差がなかなか大変な駅でもありました。

発車したら、のどかな風景をバックに、キハ47のボックスシートも撮ってみました。



8時40分、向原駅に到着です。

ここでは上りの快速みよしライナーと離合します。

発車して行く時に、キハ120の窓ガラスへ、備後庄原の行先表示が写っていたので、向原の駅名と合わせて撮りました。



通過駅が多くて駅間が長いので、車内では車掌さんによる検札が行われました。

お隣さんは知らない人なので、顔にはボカシを入れてUPさせて頂きました。

もちろん私も切符を検めて頂き、検札印を押してもらいましたよ。


そして広島~三次間の最後の停車駅 甲立へは8時51分の着発です。

雨が降ったようですが、この時には既に上がっていて、時々雲の薄い箇所から太陽の光が漏れてきます。

かつては広い構内を持った駅でしたが、ホーム上下線と留置線が1本あるだけの今の姿は、芸備線の衰退の歴史を垣間見るようでした。




三次駅には9時8分の到着で、9時21分の発車まで13分の停車です。

留置線にはカープラッピングのキハ120がいました。

発車は留置回送と同時発車で、短い区間ではありますが、併走しているキハ120を撮りました。



と言うことで、9時45分に終点の備後庄原駅へ到着しました。

今回は10月22日から12月11日までの運転でしたが、年間の運転日数は春の″庄原上野公園さくら祭り″など、もう少し増やしても利用者はあるのではないかと感じます。

4年連続で運転された快速 庄原ライナーですが、芸備線存続の守護神となるかどうかはまだ判りません。

今日は庄原市から帰宅してからの、ブログの更新でした。

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