京都市電 伏見・稲荷線 全停留場紹介 ➂京都駅八条口 | レールは、こころをつなぐ道。

先日開催の「そうだったのか!伏見を走った路面電車」会場で展示された資料と、福田静二氏の全19停留場紹介写真を始め多くの提供画像を交えて沿線の解説を連載します。

 

前回の②塩小路高倉 ↓

 

京都駅八条口に電停があった?!

 

高倉跨線橋を降り、新幹線高架下から南へ八条通を越えると、京都駅で分断されてはいるが東洞院通の延長上の、竹田街道を勧進橋までの約1.5kmの区間電車は道路中央を走る。

 

➂京都駅八条口現在の京都駅八条口は京都駅の南側に東西に走る八条通のイメージだが…

市電は南北の竹田街道を走っていたので八条通から少し南へ行った辺りに停留場があった。

と言っても島式の安全地帯は無く、写真では乗降客が立っているが車道上に白線で描かれただけの安全地帯だった。

 

この付近には現在は市電同様に八条通を経由しない系統のバス停「京都駅八条口アバンティ前」がある。

 

12月の京都市電ロマンカレンダーで紹介

 

京都電気鉄道時代から現在の京都アバンティビル付近に車庫があり、市電廃止頃は市バスの八条車庫となっていて、市電乗務員の詰所と1本の引込線もあり車両も留置されていた。

 

 

 

日本最初の電気事業用水力発電所の電力で走った京都電気鉄道だったが…

大西友三郎氏の資料によると西側に伏見線の車庫、東側に火力発電所!が描かれている。

 

京都電気鉄道時代の伏見線の画像は殆どみあたらないが… 

その中の1枚 東九条火力発電所前の一等車 左側に車庫がある

(京都府立京都学・歴彩館『京の記憶アーカイブ』より)

 

ところが蹴上発電所は取水口の藻刈り作業のため毎月1日・15日は停電で、故障などによる停電も頻発したため運転できない日が多発した。

そのため京都電気鉄道は開業4年目の1899(明治32)年には東九条に自前の火力発電所を建設し、その4年後の1903(明治36)年には蹴上発電所からの電力購入を取りやめたのでした。

水力発電導入のきっかけには「京都の空を火力発電のスモッグで曇らせないために…」との思いも有ったのですが…

 

 

 

そもそも、1895(明治28)年の開業時には乗降場所は自由だったので停留場の概念は無かったと思われるが…

電停名は開業時「八条新道」、その後「京都駅南口」となり、東海道新幹線開業の1964(昭和39)年に「京都駅八条口」に改称された。

上の1909(明治42)年の「京都電鉄案内」では京都駅の南側はこの場所より150m南の「東寺道」が記載されている。

東寺道電停から西へ1km行くと東寺がある。

現在の「東寺道」バス停は竹田街道東寺道から東寺方向へ約650mの油小路東寺道(イオンモールKYOTO前)にある。

 

 

下の1929(昭和4)年の都市計画地図では「京都駅南口」‐「東寺道」‐「大石橋」となっているがまだ九条通に市電はなく道も細くて途切れている。

東寺道停留場は戦後すぐに廃止された。

 

つづく