2022.11.20-21 そろそろの予感と自覚…都営5300形と京成3400形に寄り添う休日⑤ | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。
その時限りも大事だけど、できる限り日常を大事に。

テーマ:

新東京こと成田空港から再び都営5300形に乗り、死にたいくらいに憧れた花の都大東京へ…


…長渕剛かっw


しかし、老けは確実に身体を蝕んでいる。

それを実感させる旅路…やはり土日動きまくってからの月曜日はしんどいということか。

京成佐倉までは、まだギリギリ意識があった。

しかし、いざ発車すると…


…心地良いVVVFの独特な変調音にすっかり気持ち良くなり、また夢の中へ。

誰かの歌みたいに行ってみたいと思わないのにwしばし約1時間ほど夢心地。


14:50。

また押上まで寝てしまったぜっっ。


どんだけこれまで寝足りなかったんだ自分。

この日は結局、移動中だけで3時間近くは寝ていたらしい。

しかも、押上で一度目が覚めてはみたが、そこからもなんか低速走行。

すっかり浅草線内に慣れ切ってしまったゆえかもしれない。


二度三度逡巡して、15:22にようやく五反田で一旦下車。

空腹になり始めてきたのが否めず、五反田駅上のケンタで軽くランチを取る。

20分ちょいでサクリと食べ、また都営浅草線に戻り…


15:49、再迎撃。


しかしそれも、泉岳寺ですぐに降りる。

次の列車で折り返すまで時間があり、またしばらく逡巡していたが…


ふと見ると、5300形の後続でやってきたのは京成3400形3418Fだった。


しかも、行き先は印旛日本医大行き。

京成線内に入るのもそこそこに、北総鉄道に直通していく列車だった。

ちなみに西馬込側のデハ3418の前面行き先表示幕には


北総・公団線


の表記が残されていた。

発車していくのを見送る時に初めて気づいたので、次に機会があれば撮っておきたいものだが…


さて、5300形は今度は1番線へ。

今度は京急線内のアルバイト運用として、泉岳寺始発の快特羽田空港行きに。

引上線からホームまで都営の運転士が担当し、すぐに京急に引き継がれる。

泉岳寺行きとの接続を取り、16:15に発車。


京急線内は急行灯も点灯し、颯爽と踏み出す。

各私鉄では軒並み使用停止している中で、急行灯を輝かせて走る姿は実に凛々しい。


京急線内では、110km/h手前まで加速して最後の奮闘を見せている。


ここでは、京急蒲田まで走りを堪能して一区切り。


夕焼け空の下を、空港線への急カーブを曲がっていく姿を捉えて見送った。


…そして、羽田空港からの折り返しはエアポート急行、地下鉄、京成線内快特の成田空港行き

羽田から成田まで、京成本線経由で走り抜ける数少ない列車であった。

種々考えた結果、今回一連の撮影で空港線内で唯一降りていなかった大鳥居駅で迎撃した。

16:46、トンネル突入の風圧にたじろぎながら迎える。


アクセス特急よりも所要時間は掛かるが、貴重な空港連絡列車だった。


品川から種別を変え、急行灯も消灯し地下線に入っていく。


泉岳寺で都営地下鉄に引き継ぎ、


押上では京成に引き継ぎ、また急行灯を点灯して踏み出していく。


冬の夕暮れは早く、大鳥居から約1時間の青砥では既にどっぷり日が暮れていた。


京成高砂からそのまま京成本線を走り、さらに奮闘を見せていたが…


この日の自分は、京成八幡で乗車を打ち切り。

本八幡駅から都営新宿線に乗り換えて、2日に及ぶ追跡行を締め括ったのだった。


見送り。

後日京急久里浜や逗子・葉山に乗り入れていく日が続きよもや?と思ったが、ダイヤ改正を超え

今日現在に至っても、まだまだ、孤軍奮闘は続いている。

もうちょっと、どこまでその姿を見つめ続けることはできるだろうか?

東急8500系は東武線内のデジタル無線化により遂に東武線への直通を終了したようだが、この

都営5300形と京成3400形は、もう少しその活躍を見守っていようと思う。