雪の青森駅に到着した583系寝台特急「はくつる」。

簡易的な耐寒耐雪装備しか無かった583系にとって、深夜の雪中走行は「キツい」以外の何者でもないわけですが、それでも上野-青森間を9時間弱で走破するんだから、鉄道車両ってスゴいなとあらためて感心してしまいます。

昼夜問わず働きづめだった583系は、他の車両には無いトラブルも頻発して起こっていたようで、メンテを担当していた青森運転所(盛アオ)のメカニックのご苦労は想像を絶するものと推察します。

 

私にとっては583系のイメージが強い「はくつる」ですが、東北初の寝台特急として昭和39年10月に運転を開始した当初は20系による客車列車でした。583系に置き換わったのは昭和43年10月の改正から。この時、常磐線経由で青森まで行っていた「ゆうづる」にも583系が投入されましたが、「ゆうづる」の場合は客車もそのまま存置され、客電共用の列車になりました。「ゆうづる」は最盛期には7往復が設定されましたが、「はくつる」は1往復のまま。以前もお話ししたかと思いますが、上野-青森間は山間部を縫うようにして走る東北本線経由よりも、比較的平坦な区間が続く常磐線経由の方がアドバンテージがあり、電車化される前の「はつかり」は常磐線経由でしたし、東北方面の老舗急行である「十和田」も常磐線を代表する急行列車でした。

 

そんな「はくつる」ですが、一時期2往復運転になったことがありました。それが昭和57年11月改正からで、民営化後の平成5年まで2往復運転は継続されました。「一時期」と言いましたけど、11年も続いたんですね。事実上、上野-盛岡間の「北星」を青森まで延長した上で電車化し、「はくつる」の増発分となった格好になりますが(「ゆうづる」の1往復を東北線経由にして「はくつる」と改称した説もあり)、この改正で盛岡-青森間の運転になった「はつかり」の大多数が485系になったことから583系に余力が生じて増発が可能になりました。 “タラレバ” ですけど、もし「はつかり」が583系をそのまま使っていたとしたら、増発分の「はくつる」は客車になっていたかもしれませんね。「ゆうづる」はこの改正で2往復減になったものの、それでも5往復運転で夜行需要がまだまだ高かった時代、「はくつる」の増発もなるべくしてなったと言えるかもしれません。

 

183系、485系に倣って、583系も耐寒耐雪装備を強化したバージョンを製造しようとは思わなかったかな?

東北向けに583系1000番代なんてのが出来ても良さそうなものですが、ただ、人気とは裏腹に寝台列車は斜陽化の一途を辿っており、加えて「モーター音が五月蠅い電車よりも静かな客車」という風潮もあって、581/583系のアイデンティティはどんどん失われていきました。実際、関西対九州の583系使用の寝台特急は59.2改正で全て客車列車に置き換わったのがその典型例じゃないかと思います。そういう意味で、現在唯一の寝台特急である「サンライズ出雲/瀬戸」が電車なのが皮肉と言えば皮肉。でも、末永い活躍を祈らずにはいられません。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

日本鉄道旅行歴史地図帳第2号「東北」 (新潮社 刊)

国鉄監修・交通公社の時刻表1979年12月号 (日本交通公社 刊)