前回から投稿して頂いています「ふたまたせん」さんの2回目の投稿は渋めの北陸本線の交直流接続区間で活躍していたSLはD50形式からです。貨物牽引用のカマとして誕生し、撮影時でも既に古典機の粋を出ないD50ですが、SLの近代化に貢献したカマでもありました。そんなカマは果たしてどんな様子だったのでしょうか?

 

   ふたまたせんさんより

 昔は北陸本線の交直流接続区間のデッドセクションが坂田~田村間にあり、米原~田村間ではカマの付け替えを行ってきました。この辺りは少し前に「SL北びわこ号」が走っていましね。

 

 そして・・当区間では昔にD50が活躍していた時代がありました。米原機関区には200号機、300号機が化粧煙突仕様で見た目もすっきりして、車番もキリのよい番号でしたので、これらを目的に撮影に行ったのが、もう半世紀近く昔の昭和43年8月9日でした。

 

 この年の春頃までは彼らは元気だったのですが、時すでに遅し・・稼働していたのは唯一300号機のみで、すでに彼の地の主力カマはD51になっていました。200号機は131号機、328号機と共に1休車になっていて、廃車を待つ身で機関区に留置されていました。稼働している300号機を見る事が出来たのが、せめてもの幸いでした。

 

 留置されているD50 131号機の前には、この3~4か月後にD51に置き換わる後継機のDLはDD50も顔を見せていました。D50 300号機は米原駅と田村駅で抑え、D51にただ1機が混じっての奮闘ぶりでした。

 

 それでは往年のデッドセクションで活躍していたカマたちからです。よく見れば・・デフの形も様々ですが、集煙装置を装備したカマや様々な機体の寄せ集めのような状態は今は目にできない様子ですね。

 

 ※撮影は全てふたまたせんさんです。