京都市電 伏見・稲荷線 全停留場紹介 ①京都駅前 | レールは、こころをつなぐ道。

先日開催の「そうだったのか!伏見を走った路面電車」↓

 

会場で展示されていた軌道敷の位置図(赤線)

京都市電の伏見・稲荷線は道路の片側寄りを走ったり、専用軌道が有ったりと、他の路線と異なる独特の軌道敷配置でした。

※そのため、狭軌のまま継承された北野線も西洞院通や東堀川通の片側寄りを走っていました。

 

伏見線は1895(明治28)年に日本最初の電鉄の京都電気鉄道(狭軌)が下油掛(京橋)~七条停車場(京都駅)に開業した路線を、京都市電が引き継ぎ、そのまま往事のルートを広軌化し、もう52年も前になる、大阪万博開催の1970(昭和45)年に廃止されました。

 

 

会場で展示された資料と、福田静二氏の全19停留場紹介写真を始め多くの提供画像を交えて沿線の解説を連載します。

 

どの停留場から乗りましたか?

 

 

1895年開業時東海道線は塩小路通に近い位置にあり、京都電気鉄道は東洞院通の東海道線を挟んだ両側に伏見線と市内線の乗場を設け、踏切設置を望んだが拒まれ乗客は50m程歩いて乗換えを余儀なくされた。電車は検査などで市内線の車庫に行くため夜間に人力で押して踏切を越えていた。

6年後に高倉跨線橋が開通したが、当時の東海道線は塩小路通に近い位置を走っていたため、東洞院通から東は築堤で登り塩小路高倉は築堤上でT字(左右)に分岐していた。

※京電研究オーソリティーの大西友三郎氏の図に加筆

 

また東海道新幹線建設に伴い高倉跨線橋の南側スロープは黄線の様に、ほぼ東西向きに線形が変更された。

 

伏見・稲荷線には⑨⑱⑲の3系統が走っていた。

⑨京都駅前-塩小路高倉-勧進橋-中書島

⑱河原町二条-※-塩小路高倉ー勧進橋-中書島

 ※昭和38年までは一旦京都駅前を経由

⑲京都駅前-塩小路高倉-勧進橋-稲荷

河原町二条は京都市役所を過ぎた位置にあり折返しが可能なため、⑱系統は伏見と市役所を結ぶ交通機関として活躍した。

 

京都駅前の停留場は塩小路烏丸の東西に東乗り場と西乗り場が有り、東乗り場(2面)は南側に伏見・稲荷線、北側に河原町線系統の停留場、西乗り場(3面)は烏丸線、七条線経由の東西方向系統の停留場があった。

東西の線路は連絡線としてつながっていて、初詣の時などには四条大宮や白梅町から連絡線を経由してスイッチバックをして伏見稲荷と直通していた。

 

黒線で書かれた駅前のループ線は1952(昭和27)年に廃止され、茶色の折り返し線に変更された。(1953(昭和28)年地図)

 

 

①京都駅前停留場

ストリートビュー

 

 

発車した伏見線の電車が道路中央に遷移する塩小路東洞院の交差点南西角には「電気鉄道発祥地」の碑があり、南へ少し行った付近から南へ向けて京都電気鉄道伏見線は走り出した。

 

 

つづく