民営化になってからはあまりそういうのは感じなくなりましたが、国鉄時代のダイヤ改正はその度に一喜一憂していました。

改正の度に、その使命を終えて消え去る列車や車両があれば、期待を一身に受けて登場する列車や車両もあります。

シリーズ化している昭和57年11月の改正では、多くの列車や車両が整理や世代交代で去っていきましたが、このコーナーでもお伝えしたように、特急「鳥海」や寝台特急「出羽」、そして山陽本線の115系3000番代や常磐線の203系といった具合に新設した特急や、沿線や地域の期待を背負ってデビューした車両がありました。そんな中、画像の「白根」を始めとする上州路の特急も57.11改正で新たに運転を開始した上野駅の新たな “星” でした。

 

この頃、国鉄では特急と急行の一本化が推進されていましたが、特に50.3改正以降は軒並み、急行の特急格上げや快速格下げといった具合に、宙ぶらりんな立場にあった急行列車の整理が行われていました。背景には国鉄の赤字があって、真説が俗説かは定かではないけど、「安い急行料金を払わせるなら、高い特急料金を払ってもらおう」という意図も見え隠れしており、とにかく中長距離の旅行に特急に乗ってもらおうと、特急の増発を繰り返していました。「大衆特急」を意味する「エル特急」が大躍進した時期とリンクしますが、古くからの鉄道愛好者は「国鉄も安く見られたもんだな」と呆れ顔だったようで、我々お子ちゃま鉄道マニアはエル特急をアイドルとして崇めるようになっていましたけど、現実は特急の威厳凋落ばかりが目立っていました。それが決定的になったのは昭和56年に登場した185系「踊り子」。およそ特急車両として相応しくない出で立ち、特急ばかりでなく普通列車にも充当する使い方など、私は大好きな車両でしたけど、コアな愛好者からは「こんなの特急車両じゃない」と失格のレッテルを貼られてしまいました。

 

湘南・伊豆方面向けの0番代は153系の置き換えを名目として登場しましたが、同時に上州方面で活躍していた165系の置き換え用として185系を増備する計画があり、0番代をベースにして耐寒耐雪装備及び横軽対策を施した寒冷地向けの200番代が昭和56年末に登場しました。実際の営業運転開始は昭和57年からですが、0番代同様、一気に置き換えるのではなくて、165系と共存しながら段階的に置き換えていきました。そして同年6月23日の東北新幹線開業後は、新幹線が大宮発着の暫定開業だったということもあって、上野と大宮を結ぶ連絡列車、「新幹線リレー号」に使用されるようになって、一気に知名度が上がりました。「新幹線リレー号」充当後は165系との併結列車は少なくなり、ましてや「新幹線リレー号」は新幹線のキップがないと乗れない列車だったので、乗車する機会は減りましたが、まぁ、それでも「新幹線リレー号」は上野駅の新しいスターとして受け入れられたのは事実です。私は嫌いだったけど。

 

そして57.11改正です。

185系200番代は、「新幹線リレー号」の他に、急行を格上げして新設した上州方面への短距離特急にも充当されるようになり、前述のようにそれまでは新幹線のキップがなければ乗車できなかった車両に、至極普通に乗れるようになりました。

具体的には前橋や桐生へ行く「あかぎ」、水上へ行く「谷川」、そして万座・鹿沢口へ行く「白根」が設定されて、「あかぎ」を除く2列車はエル特急になりました。高崎線・上越線の主役は「とき」でしたが、上越新幹線開業時に廃止、「はくたか」や「いなほ」も廃止されたので、上越線内の優等列車は皆無になるはずでした。でも、大宮暫定開業だったということと、新幹線の停まらない駅への利便性を考慮して短区間の特急を設定し、上野開業まで急行も残存しました。

 

画像は「白根」ですが、「白根」は以前から設定されていた特急でした。運転開始は昭和46年ですが、オンシーズンのみに運転される臨時特急でした。当初は157系で後に183系に置き換わるのですが、いずれも田町電車区配置車を充当していました。オンシーズンでなくても、沿線には草津や四万といった著名な温泉地があり、以前から「「白根」を定期特急に」という声があったとか。吾妻線のフラッグシップは急行「草津」でしたが、「白根」を定期化すれば、一ローカル線でしかない吾妻線に箔がつくと考えたんでしょうね。その念願が叶うのが57.11改正だったわけですが、定期化と同時にエル特急に “昇格” して、まさに二階級特進的な大出世を遂げるのです。

「白根」は渋川(高崎? 新前橋?)まで「谷川」と併結する、急行時代と変わらない運行形態を採り、編成も急行時代と変わらないグリーン車付きの7両編成でした。

 

しかし、「白根」としての栄華は長く続かず、昭和60年3月に東北・上越新幹線が上野まで開業すると、今度はホントに在来線の優等列車に大鉈が振られ、特に首の皮一枚残っていた急行は全廃、新幹線の影響を受けない特急「あさま」と「ひたち」はその急行を吸収する形で増発されました。そして「新幹線リレー号」の役目も終わり、185系200番代は一部が「踊り子」用として田町に転属した以外は上州方面への短距離特急に専念することになります。ですが、この特急に関しては急行との兼ね合いから、別途料金体系を設けることになり、一般の特急料金より些かリーズナブルにし、且つ特急料金さえ払えば定期券でも乗れるようにした通勤特急的な「新特急」を設定し、「谷川」「あかぎ」そして「白根」をその対象にしましたが(それと東北線に「なすの」を設定)、この改正で「白根」は「草津」に愛称を変更します。つまり、定期の、エル特急の「白根」は約2年半のみの運行で終わってしまい、白根山を描いたヘッドマークは見られなくなりました。

 

以前にもお話しましたが、オリジナルカラーである「グリーンベルト」の185系200番代を見る度に、昨今、リバイバルで塗り替えられた車両を思い浮かべ、「今更遅いっちゅうねんっ!」と憤慨しています。もっと早い段階でこのカラーを復活させるべきだったんですよ。

 

 

【画像提供】

タ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.838 (電気車研究会社 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第3号「関東」 (新潮社 刊)

時刻表1980年12月号 (日本国有鉄道 刊)