番外 過去撮影画像より、熊本電鉄に存在していた「青ガエル」5000系電車の姿(前編・5101A) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 これまでも当ブログでもご紹介しておりますように、熊本電気鉄道(熊本電鉄)では、車両の置き換えが進んでおりまして、令和元年から翌令和2年にかけましては上の画像にあります東京メトロ03系電車を2ユニット4両導入しておりまして、その分古参車両の置き換えにも貢献しております。
 
 この03系電車に関しましては、元々は東京メトロ日比谷線を8両編成で運行されていた電車でもありまして、熊本電鉄では2両編成として全線(藤崎宮前~北熊本~御代志間、上熊本~北熊本間)でワンマンの形で運行されておりまして、カラーや車内もかつての日比谷線としての姿を残しつつ運行されております。
 
 その前に導入されましたのが、こちらも東京メトロからの移籍車両でもあります、元は銀座線で走っておりました01系電車2ユニット4両でありまして、現在は川崎重工製の次世代台車であります「efWING」を載せまして運行されておりまして、こちらも当初は銀座線時代のデザイン・カラーをそのまま出した状態で運行されておりましたが、後に「くまモン」のラッピングを互いに施しまして、135ユニットに関しましては黄色まで含めました全面ラッピングを施すに至っております。
 
 (川崎重工製、「efWING」)
 
 また、今年に入りましてからは、静岡鉄道で運行されておりました1000形電車1009号+1509号のユニットが導入されておりまして、運用に入る姿が見られております。この姿からもわかりますように、静岡時代の姿が見られておりまして、車番も変わりませんので静岡からそのまま熊本に持ってきたような印象さえも感じさせられております。しかも私自身3年前の静岡訪問でも写真には収めておりませんが拝見はしていただけに、正直懐かしい印象さえも感じさせられておりました。
 
 (1009号)
 
 (1509号)
 
 残念ながら、画像のように北熊本の車両基地で休んでいる姿しか収めておりませんので、現時点乗車には至っておりませんが、今後運行する姿を見られました際にはぜひ当ブログでも改めましてご紹介したいと思っております。
 
 
 こうした移籍車両を導入する事で、置き換えが進んでいる事が伺わせておりまして、これからご紹介します元東急電鉄の「青ガエル」5000系電車や、元南海電鉄の200系電車、そして元東京都交通局の6000系電車にも廃車が発生しておりまして、この中には前面に「くまモン」が見られておりました6228A+6221efのユニットも廃車となっておりまして、置き換えが着実に進んでいる事が伺わせております。
 
 (現在廃車、6000系電車6228A+6221ef)
 
 (200系電車)
 
 
 しかし、かつてはその下の画像の貼り紙にもありますように、非冷房車でもありました5000系電車の冷房設置ができなかった事や、置き換えが代替車両の調達ができなかった事もありまして、その結果所有車両2両とも更新を受けまして延命するにも至っておりました。けれども、これは最終的には全国的にも貴重な電車としての姿も見られるようになりまして、逆に良かったのではないかとも思う所でもありましたでしょうか。

イメージ 1

 

 (平成19年撮影、5000系電車で見られていた、冷房設置ができない事&置き換えができない事を知らせる貼り紙)

 
 
 さて、ここまで前置きとしてこれまでの導入履歴などをご紹介しましたが、今回と次回では、過去の撮影画像から「青ガエル」こと5000系電車5101A・5102Aそれぞれに関しましてを2回に分けまして皆様にご紹介してまいります。まず今回は、現在も車籍はありませんが動態保存されております5101Aをご紹介させていただきます。
 
 (上熊本方)
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 (北熊本方)
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 この5101Aは、東急時代は5031号でありまして、昭和32年東急車輌で製造された電車でありまして、東横線を中心に使用されておりました(画像の銘板は平成21年の更新時に撤去)。
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 昭和60年には東急では廃車となりますが、この年熊本電鉄に譲渡されまして、5101号を名乗る事になります。ちなみに、この譲渡の際には両運転台改造を施されておりまして、上の画像にもありますように上熊本・北熊本方それぞれ違ったスタイルを見る事ができるようになっているのが特徴でありまして、それに加えまして運転台もそれぞれ違った位置に設けられているのも特徴でありました。尚、熊電譲渡時には、塗装は上の画像の現在は見られなくなりました200系電車のように濃淡の青地赤ラインが入った塗装ともなっておりました。

 

 

 この5101号は、導入当初よりワンマン対応の改造を施しまして導入されております。そのため、画像のようなドアに関しました表示も導入当初より取り付けられておりました。
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 その後平成16年には、現在のような緑一色の塗装に戻りまして、まさに「青ガエル」が復活する事になります。また、それとともにATSが取り付けられた事もありまして、車番も「5101」と改番されておりました。
 
 
 しかし、老朽化が進んだ事からこの電車に代わる車両をどうするかと言う話が平成15年頃から上がり始めまして、加えまして上の画像の貼り紙にもありますように冷房改造もできないと言う難点も見られておりましたが、結局は平成21年に創業100周年を迎えた記念としまして車内外の更新工事を5102Aとともに行いまして、車内に関しましては画像の姿に生まれ変わっておりました。それとともに、車体や車内の座席も、破れましたり色あせたりしていた部分も新しくなりまして、新たな姿に生まれ変わっておりました。
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 (座席アップ)
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 それでも、画像のようにつり革では東急時代のものを残しておりました。この5101Aでは東京のファッションの発信基地として君臨しております「渋谷109」のつり革も残しておりまして、この「109」自体も歴史がある事が伺えるようであります。尚、5102Aに関しましては違ったつり革もありまして、それに関しましては次回ご紹介させていただきます。
イメージ 8イメージ 9

 

 

 さらに、平成24年から26年までには、画像にもありますように「ケロロ軍曹」のキャラクターをラッピングしました「ケロロ電車」が運行されておりまして、車体に「ケロロ軍曹」のキャラクターであります「ケロロ小隊」のラッピングも貼り付けられておりまして、熊本電鉄に「侵略」しておりました。と言いますのが、この「ケロロ軍曹」の作者であります吉崎観音(よしざきみね)先生は熊本市出身でありまして、この電車が登場するきっかけとなりましたのも熊本市が政令指定都市となった事を全国へPRする事を目的に運行されていたものでもありました。
 
 (前面)
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 (側面公式側・リア)
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 (側面非公式側)
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 私自身は、この「ケロロ電車」に関しましては残念ながら乗車には至る事はできませんでしたが、こうして収める事ができただけでも良かったと思っております。と言いますのも、まさに「青ガエル」と称しているだけありまして、この「ケロロ軍曹」と「青ガエル」とが一致していたのが良かったのではないかと思う所でもありましたでしょうか。
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 その後、ラッピングが解除されますが、それでも引き続き上熊本~北熊本間で運行されておりました。その間平成27年にはようやくの置き換え車両導入となりました01系電車の導入、相方でありました5102Aの廃車と言った流れはありましたが、5101Aに関しましては毎日運行ではなく画像のように車庫内で休んでいる姿は見られましたが、それでも休日には運行する姿が見られておりまして、「くまモンのICカード」導入に伴い運賃表の液晶化や読み取り機設置も行いまして、引き続き健在ぶりをアピールしておりました。
イメージ 13
 
 (液晶運賃表)
 
 
 けれども、翌平成28年に新たな01系電車が導入された事に伴いまして5101Aも現役引退となりました。引退の際には画像のようなステッカーも前後に貼りつけられまして北熊本~上熊本間を往復しておりましたが、車体自体が比較的軽い電車でもありましたので、乗車しました際に揺れる姿(特に最後の画像にもあります北熊本~坪井川公園間)が印象的ではなかったかと思っております。
 
 
 そして、現在は先述のように車籍は抹消されましたが、現在も動態保存と言う形で北熊本駅構内の車両基地で動く姿を時々見る事があるそうであります。それにしても、動いていた頃よりも再びきれいさを取り戻したような印象さえも感じさせられますが、私自身も今度はまたこの構内でこの電車が動く所を見てみたいものであります。
 
 ちなみに、現在この電車の中の行先は、東急時代の行先に換装されているようでありまして、訪問時には現在は多摩川駅となっておりますが、旧称の「多摩川園」の行先が見られておりましたし、他にも「蒲田」などの行先も見られておりまして、東急時代の懐かしい姿が車両基地内で見られております。
 
 (平成29年撮影、「蒲田」行先)~少々見にくい事はご了承ください
 
 
 今回は5000系電車5101号を中心にご紹介しましたが、もう除籍されまして6年になりまして、正直もうそれだけ経っているのかと言う印象さえも感じさせられます。この間には、他の車にも変化が見られている訳でもありますが、この電車に関しましては新たな車両の導入が01系電車導入まで至らなかった訳でもありますので、その分長持ちする事ができていた分、こうして貴重な車両とまで言われるようになった事が良かったのでhないではないでしょうか。次回は、残念ながら解体されまして姿を消しております5102Aに関しましてもご紹介しますので、次回後編もご覧になっていただきたいと思います。