車庫の片隅に居た救援車 | みぃちゃんず(鉄道部)

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ちょっと昔~現代の鉄道事情を実車や模型などを交えて。

前回、ソ80で投稿しましたが、ソ80と言えば救援車とセットということで、今回は救援車ネタです。

とは言っても2枚しかありませんが。

福知山管内の旧型客車が廃止された時にまとめて綾部駅に留置されていた時の写真です。

何の目的で綾部駅に行ったのか全く記憶がないのですが、撮った写真の中に救援車の写真がありました。

当時の綾部駅は広い構内で、ホームから留置してある客車を撮影することができました。

沢山集められた客車の中で救援車が2両ありました。

 

救援車は余剰になった荷物車が使われている例が多く、救援車として新造されたものは無かったかと思います。

中には戦災復旧車もありました。

国鉄時代は機関区や客貨車区などの片隅に必ず1両は居た存在でしたが、これらも国鉄民営化とともに廃車となってしまいました。

 

 

豊岡運転区の救援車 スエ31 28 元はマニ32。元々はマニ31。

スエ31でも改造タネ車によって形態が全然違うので車番を確認するまで形式が分かりませんでした。

留置期間が長いのか車体もかなり傷んでいます。と言っても普段から走らない車両なので・・・・

デッキ部だけ雨樋があり、中間部分は張り上げ屋根な形態がユニークです。

救援車って車内が見えないようにガラスが白いですね。

 

福知山運転区の救援車 スエ71 17 元はマニ74 69。元々は戦災復旧車のオハ71 21。元元元は・・・・

この時期にまだ戦災復旧車が残っていたとは。戦災復旧車は車種もばらばら(電車→客車もあり)で形態も施工工場によってばらばらで当然仕上がりもばらばらで。

資料が残っていないものもあるようでタネ車が何か分かりません。

こちらも車体がかなり傷んでいます。やはり留置期間が長いとこうなります。

しばらく後にDD51に牽引されて解体場に向かったようです。

本当に走るのかな?と思いたくなるほどボロい客車でした。

張り上げ屋根で雨樋はなく、扉の上だけ雨避けが付いています。

客車で上下2段窓も戦災復旧車にはありがちです。

 

こちらは救援車ではありませんが一緒に留置されていたマニ50です。

比較的新しいマニ50も長期間使われずに留置するとこのように車体から傷んできます。

新しい客車だけにもったいない気もしますが、荷物列車も廃止になったので致し方ありません。

中には救援車代用として利活用されたマニ50もあったようですが少数だったようです。

救援車というカテゴリ・形式自体が無くなりつつある(もう無くなった?)昨今です。

 

最後までご覧いただきありがとうございました。