NO.2766 通算10回目!「SUGOCA大回り」乗車記録(その2・特急ゆふ日田→大分乗車編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 9月23日改正後初めての「SUGOCA大回り」の話題を前回よりご紹介しておりますが、その前回では乗車駅の博多駅から始まりまして、「大回り」スタート駅の南福岡駅から日田駅までの模様をご紹介しておりました。

 

 今回の「SUGOCA大回り」は、通算10回の節目の回ではありましたが、今回の目的は、9月23日の改正で、鹿児島線とともに日豊線でも宇佐駅以南で見る事ができるようになりました、南福岡車両区所属813系電車の大分地区運行の姿を収める事を目的として行ったものであります。やはりこれまで見られておりました415系電車に代わりましての813系電車の運用ですので、「大回り」のついでにその姿を収めてみたいと言う思いがありましたので、今回の「大回り」を企画したものでありました。

 

 今回は、「大回り」という事で久大線経由で大分駅へと向かいましたが、久留米駅から日田駅へ向かいます日中の列車(1845D)におきましては車内は1両編成であった事から画像のように埋まっておりまして、正直これだけ乗車が多い中で1両編成と言うのはどうかと思う所でしたし、この日はまだ大学生だけであった事からよかったものの、テスト時等に早く終わる事にもなる高校生まで乗車する事にもなりますとより1両編成では足らないのではないか?と思う所ではありますので、せめて2両で運行してくれれば・・・と思ったほどでした。

 

 ただ、この日最も多かったのは久留米→久留米大学前間ではありました。しかし、先述のように高校生らも乗車する事にもなりますとさらに東まで乗車する学生さんもいらっしゃるでしょうから、今後考えが必要な案件ではないかという事には間違いないのではないかと思います。

 

 

 さて、今回ここからご紹介しますのは、以下画像の日田駅から東へさらに進んでまいりますが、今回は久大線の残り区間でもあります大分駅までの模様をまとめて皆様にご紹介してまいります。

 

 

 まずご紹介しますのが、久留米地区では多くの乗客が見られておりました1845Dの留置線に留置するまでの模様からご紹介してまいります。13時22分に日田駅に着きました同列車は、この後留置線へ入るために一旦大分方へ引き上げまして、それから留置線へと入る事にもなります。 

 

 こちらが日田駅の留置線であります。外側2本が該当する部分ではありますが、ここには給油も行うスペースも備わっておりまして、まさに久大線の中間駅としての姿も見られております。ちょうどこの時にはキハ200系気動車103番ユニットが留置されておりまして、次の運用まで休んでいる姿が見られておりました。正直こちらの方が1845Dに該当すればよかったようにも思いますが、運用が決まっている事を思えば仕方ない所ではあります・・・。

 

 (キハ200系気動車103番ユニット)

 

 

 ちなみに、この時3番ホームには停車する列車はありませんでしたが、毎週火曜日には3番ホームには「ななつ星 in 九州」が停車するようになっております。この日は月曜日でありましたので、残念ながら収める事はできなかった訳ではありましたが、火曜日になりますと発車時の姿も収めていたのではないかと思います。

 

 尚、この日(撮影日・10月4日)の1845Dはキハ220-1101でありました。これまでもこの列車の1両編成の姿は収めておりましたが、現在は見られなくなってきている「SSL塗装(シーサイドライナー塗装)」ではありますので、今後工場入場となれば見られなくなりますので、ご覧の皆様も記録はお早めにしていただければと思います。

 

 

 さて、本線の大分方に引き上げておりましたキハ220-204が留置線に入ってまいりました。画像のように雑草が生い茂る場所をゆっくりとした速度で進んでおりましたが、かなり多く乗車した時もあって疲れてもいるでしょうから、この後はしばしの休憩へと進む事にもなりますので、次の運用までしっかり休んでほしいと思ったほどでした。

 

 この後は、給油線にも差し掛かっていた事から給油(昼食)も行う事になるようでもありました。尚、このような姿は「ななつ星」が入る毎週火曜日には収める事はできませんので、それ以外の曜日だからこそ見られる姿でもあります。

 

 所で、この留置線外側には「日田彦山線BRTひこぼしライン」用バス通路整備のため通行止めの看板が掛けられておりましたが、恐らくは現在の運行区間とは日田駅付近では異なる事になるのでしょうか?確かに、停車地が~日田市役所前~日田駅となっておりまして、定時が重視される事を思いますと留置線外側に新たに乗場を設置する事にもなるのか気になる所ではあります・・・。

 

 また、この留置線は久留米方にも設けられておりまして、この時にはキハ125形気動車2両の姿が見られておりました。大分車両センターのキハ125形気動車は、現在18両所属しておりますが、唐津車両センターの車両と比べましても汚れが目立っておりまして、それほど唐津地区より酷な場所を走る事も伺わせているようにも思います。

 

 

 所で、大分県日田市は「進撃の巨人」の姿が各地で見られておりまして、この日田駅でも画像のように見られております。これは「進撃の巨人」の作者の諌山創氏が日田市出身である事から、進撃の日田とも称しましてスタンプラリーも行っているそうでもありまして、そう言った形で日田市を盛り上げている姿が市内各地でも見られております。

 

 

 さて、ここからはさらに東へと進んでまいります。今回は、大分駅での撮影時間を長くするために、特急「ゆふ3号」に乗車しまして大分駅へと向かいます。その際には、画像にはありませんが大分駅への特急券も改札の所で購入しまして、乗車へと至る事にもなりました。

 

 

 13時36分、キハ185-16を先頭にしました、2両編成のワンマン特急でもあります「ゆふ3号」が日田駅2番ホームに到着しました。到着前には、上の画像にもありますように交代する事になります運転士の姿も見られておりまして、ここで乗務員交代を行う事になる事が伺わせておりました。

 

 (久留米乗務センター運転士(右)から大分乗務センター運転士(左)へ乗務員交代を行います)

 

 

 こうして、私は「ゆふ3号」に乗車、これから大分駅へ乗車してまいります。尚、普通列車で大分方面へ目指すとなりますと、日田駅の次の列車が14時39分発→大分駅17時03分着となりますので、陽が降りるのが早くなってきている今となりますと結局は特急「ゆふ」で行った方が・・・という事につながっております。

 

 そんなこの列車の車内を見ますと、指定席車は画像のように埋まっておりまして、「ゆふいんの森」の補完列車としての姿が見られておりました。ただ、画像はありませんが私が座りました自由席車は画像の指定席車の半分程度の乗客しかおらず、となりますと2両では賄うかな?と言う姿が見られておりました。

 

 

 日田駅を発ちまして20分足らず、杉河内駅の先に「慈恩の滝」がありまして私は収めておりました。この時は杉河内駅より東側が線路の工事が入っていた関係で、普段の「ゆふいんの森」などの「D&S(デザイン&ストーリー)列車」に加えまして全列車徐行運転が行われておりまして、そう言った事からこの「ゆふ」でも収める事ができておりました。ちなみに、私の前の方も沿線にこうした滝がある事に驚いていたようでありまして、窓にスマホを付けまして撮影されてもいました・・・。

 

 

 日田駅から30分足らずの14時04分に豊後森駅に到着、そして発車後には「豊後森機関庫」を収めておりまして、機関庫とともに9600形蒸気機関車29612号も収めておりました。先日の宮原線廃線跡探訪時にも、この機関庫の姿を収める事にしておりましたが、残念ながら時間の都合で収める事ができなかったので、車窓からではありますがここで何とかリベンジを果たす事ができておりました。

 

 (9600形蒸気機関車、29612号)

 

 

 豊後森駅から4分、列車は隣の恵良駅で運転停車を行いまして、キハ200系気動車4834Dを行き合います。この時収めておりましたのが、佐世保車両センターにも所属しておりました12番ユニットでありまして、その証として「段差注意」のステッカーも引き続き見られております。

 

 (キハ200系気動車12番ユニット(「段差注意」のステッカーも残ります))

 

 所で、恵良駅と言いますと、当ブログでもNO.2757などでご紹介しましたように、昭和59年に廃止されました旧国鉄宮原線(みやのはるせん)の分岐駅でもありました。この回でもご紹介しましたように、かつては外側に3番ホームも設けておりましたが、廃止後は3番ホームは閉鎖、現在は1・2番ホームのみの営業となっております。

 

 

 この恵良駅からは、約2キロにわたりまして久大線と宮原線とが並走しておりました。途中までは残念ながら面影は見られなくなっておりまして、画像のように木や草が生い茂っております。

 

 しかし、分岐地点となりますと、この先が国道210号線・玖珠川・国道387号線をまたがる事にもなりまして、そのための築堤・橋梁の台座も残されておりまして、実際に車内からも見る事ができております。私自身も、宮原線廃線跡探訪の後にこの「大回り」に出向いてもいましたので、この時うまく収める事ができなかった分、今回しっかり収めようとしてこれらを収める事ができておりました。

 

 (別の位置)

 

 (同、台座も残ります)

 

 

 この後は、豊後中村駅に停車するも、次の野矢駅でも運転停車を行いまして、ここで同じくキハ185系気動車2両編成で運行されておりました「ゆふ4号」を行き合います。

 

 この時収めておりました、液晶の愛称表示器のスイッチでありますが、ここでは左から2番目の「ゆふ」が点灯している事がわかります。当ブログでもNO.2754「ゆふ73号」利用記録)でもご紹介しましたように、現在4通り(実際は3通り)が利用可能となっておりますが、その下の画像(「ゆふ73号」乗車時撮影)にもありますように、回送や試運転の表示は見られません。そのため、回送の際にはそのままその種別で、工場入場の際には非点灯もしくは離脱前の種別表示のままで入場する場合が見られております。

 

 (10月「ゆふ73号」乗車時撮影)~この時は使用されていませんでした

 

 

 「ゆふ3号」は、水分峠を越えまして、由布院の町へとやってまいりました。この日は天気もよくありませんでしたので、山には雲がかかっている姿が見られておりましたが、天気がいいと詳しく山々の姿も見る事もできております。

 

 

 そして、14時39分に「ゆふ3号」も由布院駅に到着しました。ここでは指定席車に座られていた乗客のほとんどが下車されておりまして、スーツケースやトランク・キャリーバックを持たれながら下車する姿も見られておりました。現在、「全国旅行支援」が始まっている事もありまして、ホテルや旅館も大幅な割引が見られておりますが、そう言った事もありまして、このような姿へとつながっているのではないかと思います。本当に「新型コロナウイルス」では大きな影響が見られた由布院ではありますが、こう言った形で再び賑やかな姿がさらに見られる事を願いたい所ではあります。

 

 尚、「ゆふ3号」は由布院駅では3分停車します。ここでは前回ご紹介しました、40系気動車スイーツトレイン「或る列車」の姿が見られておりまして、この時は画像の空気ばね台車からもわかりますように、JR九州では最も古い昭和53年製でもあります、2号車キロシ47-3505(←キハ47 1505)の姿を収めておりました(1号車キロシ47-9176(←キハ47 176)はかぶっていたため収める事ができず・・・)。

 

 

 由布院駅を発ちまして、列車はさらに大分方面へと進んで行きます。私自身も由布院駅発車後には眠ってしまっておりまして、気が付いた時には大分市に入っておりまして、豊後国分駅近くへと差し掛かっていた時でもありました。

 

 

 こうして、日田駅から約1時間50分で大分駅2番ホームに到着しまして、その結果久大線を全線回ってまいりました。入場しました南福岡駅からしましても約4時間20分でやって来ておりまして、特急「ソニック」利用と比べましても倍の時間を費やしている訳でもありますので、特急利用とは言えどもゆっくりと言う感覚であった事には間違いない所ではありましょうか。それでも、距離で計算しますと小倉~日豊線の方が約10キロ長い訳ではありますが・・・。

 

 この後、4分停車しました「ゆふ3号」はこの列車の終点でもあります別府駅へ向けて発って行きました。その後次回ご紹介しますが回送列車として大分車両センターへ向かう事にもなりますので、再び大分駅へ戻って来る事にもなります。

 

 

 今回は、その2として特急「ゆふ3号」乗車の模様を中心にご紹介しましたが、以前は3両編成で運行されていた特急「ゆふ」も今や2両編成ワンマン列車として運行されるようになっておりますので、正直寂しい所ではあります。現在は多客時には3両での姿は見られるものの、それでも「コロナ禍」の影響は否めない所ではありますが、先述のように「全国旅行支援」もスタートしておりますので、それにつながる利用を望みたい所ではあります。次回最終回では、大分駅で収める事ができました813系電車などの撮影、そして博多駅まで戻る模様までご紹介しますので、最終回もご覧いただきたいと思います。