1982年11月15日は上越新幹線が開業したり、岩手と秋田を結ぶ田沢湖線が電化されたり、常磐線の我孫子-取手間の複々線化工事が完了し、事実上、「首都圏五方面作戦」が完成したことなど、大きな変革がもたらされたダイヤ改正でしたが、あれから40年、上越新幹線から枝分かれして北陸新幹線が出来、田沢湖線は秋田新幹線になり、常磐線も「上野東京ライン」の一翼を担うなどさらに飛躍しました。そしてもう一つ、この改正で開設されて大阪の貨物輸送の改善に一役買った施設があります。

 

 

大阪貨物ターミナル駅です。

よく大阪貨物ターミナル駅は「梅田貨物駅を移転させる目的で開設した」と論じている媒体がありますが、それは間違いで、確かに梅田貨物駅との関わり合いはあるけど、あくまでも「機能の一部移転」です。

大阪には日本一と言われた吹田操車場がありますが、国鉄時代の吹田はあくまで貨車の並べ替えを行う操車機能だけで貨物の積み卸し機能は無かったと記憶していますので、どうしても梅田に集中してしまいます。他にも大阪には安治川口や百済といった貨物取扱駅がありましたが、大阪の東北部にそういう施設がありませんでした。近畿自動車道からのアクセスが良く、卸売市場や流通団地の建設が進められていたエリアに新たな貨物駅を建設することになり、出来たのが大阪貨物ターミナル駅です。

 

大阪貨物ターミナル駅は、東海道新幹線の鳥飼車両基地の隣に建設されましたが、元々そこは、新幹線建設計画の際に新幹線による貨物輸送も検討されていて、大阪側の取り扱い拠点として用地を確保してあった場所でした。結果的に新幹線の貨物輸送は立ち消えになりましたが、前述のように大阪東北部の貨物取り扱いを行う目的で転用し、1970年代には完成する予定でした。しかし、吹田操車場から大阪貨物への連絡線の用地買収が難航し、完成は大幅に遅延。1982年11月にようやく稼働を開始しました。

吹田から大阪貨物タへの連絡線は電化はされているけど単線で、本当だったら複線にしたかったんでしょうけど、用地買収の難航さを如実に物語るかのように、線路はUの字の如く大きく迂回しています。

 

在来線からかけ離れているため、東海道本線の列車から眺めることは不可能で、新幹線の車窓からも鳥飼車両基地に阻まれて見ることは出来ませんが、1997年に門真まで延伸開業した大阪モノレールからその全貌を見渡すことが出来ます。画像も大阪モノレールの車内から撮っています。

 

2013年に梅田貨物駅は再開発のために廃止され、機能は吹田と百済に分散しました。その関係で吹田操車場跡地を再整備して吹田貨物ターミナルを新設。「貨物の吹田」が復活しました。吹田を再整備しても大阪貨物タの使命は変わっていませんが、沿線住民から「連絡線を旅客化してくれ」って声はないのですかねぇ~? でも、あんなクネクネとした線路配置では「どこに駅を作るの?」っていう話だし、よしんば旅客化したとしても酔いそうですよね。

 

 

【参考文献・引用】

ウィキペディア(大阪貨物ターミナル駅、梅田駅、百済駅など)