名古屋を歩く(四間道・名駅・熱田神宮) | 鉄道で行く旅

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名古屋を歩くの続編です。

四間道(しけみち)です。石垣の上に建つ土蔵群と軒を連ねる町家が通りに面して建ち並んでいる四間道の景観は、元文年間(1736年~1741年)に形成されたものです。

 

↓伊藤家住宅から名鉄百貨店までの歩行経路です。

 

以下は「四間道 街並み保存地区」の景観です。

四間道は、名古屋の城下を流れる堀川の西側にあって、江戸時代の初め慶長15年(1610年)名古屋城築城とともに始まった清須越にともなってつくられた商人町です。

 

四間道は、元禄13年(1700年)の大火の後、防火の目的と旧大船町商人の商業活動のため、道路幅を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれています。

 

♪白い街 白い街 名古屋の街~ (石原裕次郎の「白い街」からの引用です)

 

ここまでが四間道で撮った写真でした。

 

四間道に面した浅間(せんげん)神社です。

創建は不詳ですが、「尾張史」によりますと、正保4年(1647年)に、この地に遷座したということです。

 

堀川の桜橋を越えて、名駅五丁目に入っていきます。「名古屋名駅五郵便局」です。

 

この文字の中では、食べたことがない「名古屋焼きそば」が気になりました。

名古屋市内に本社がある「コーミソース」の情報によりますと、「名古屋焼きそば」とは、昔ながらのウスター系ソースでつくる、キャベツのシャキシャキ感を生かした、ほどよい甘みとコクのある、香ばしい風味の焼そばです」ということです。

 

あんこう料理の有名店である「得仙(名駅5丁目)」が閉店していました。

「得仙」の屋号の照明器具が取り外されていた「得仙」の店跡です。(名古屋市中村区名駅5丁目25−6)

この状態を見て、あわてて、スマホで「得仙」の現状を調べました。

名駅5丁目の「得仙」の閉店理由は「移転」のためということです。同店のホームページへのリンクを貼っておきます。

新店舗(仮店舗)は「名古屋市中区栄2丁目9-3 伏見第一ビル地下1階」です。御園座の近くです。

 

愛知トヨタ名駅の前を通りました。

 

今はマンションになっている、かつての納屋橋饅頭(旧本店)の跡地です。

 

↓2000年7月に、ほぼ同じ場所を巡ったときの記録です。

 

 

納屋橋から見た堀川の上流です。

ここから名古屋駅前まで戻ります。

 

移動途中に撮影した「モード学園スパイラルタワーズ」です。

 

名鉄百貨店前のナナちゃんです。(2022年10月27日)

 

山本屋総本家の本家(栄)が長期休業中なので、名鉄百貨店9階にある山本屋総本家を利用しました。

 

山本屋総本家の親子煮込みうどんを頂きました。

 

昼食後は、名鉄名古屋駅から神宮前駅まで名鉄特急の一般車に乗りました。

 

神宮前駅まで乗車した名鉄1800系です。

 

神宮前駅で撮影した名鉄9500系です。

 

熱田神宮に参拝しました。

 

ついでに立ち寄ってしまう信長塀です。

 

信長塀の説明です。

 

熱田神宮の佐久間灯籠です。

寛永7年(1630年)5月、尾張御器所の城主である佐久間盛次の四男大善亮勝が、海難に出会った際に熱田神宮に祈り、加護によって事なきを得たことを感謝し、熱田神宮にこの燈籠を寄進したと言われています。

 

熱田名物のきよめ餅総本家の名鉄神宮駅前売店(喫茶室を併設)です。

 

近鉄名古屋駅の「特急ひのとり」専用発車メロディ「ひかりの鐘」に見送られて、近鉄名古屋駅から大阪難波駅まで帰ります。

 

「ひのとり」のプレミアムシートです。アーバンライナープラスのデラックスシートよりも快適でした。

 

「ひのとり」から見た中川短絡線の車窓風景です。この日は、四日市付近で地震を検知(実際には震度2程度・・・近鉄では震度4として検知)したので、近鉄名古屋線の全列車が一旦停車しました。このため大阪難波着が7分の遅れでした。

(おわり)