汐留駅を深夜の23:30に発車した急荷39レは、横浜羽沢(現・羽沢横浜国大)・沼津・富士・静岡・浜松・豊橋・熱田と荷扱いのために停車し、名古屋駅に翌朝6:25に到着します。ここで、編成の前部に3両の荷物車が連結され、以下の13両編成になります。
①門荷203 マニ44(鹿児島行き)
②門荷202 マニ44(〃)
③門荷201 ワキ8000(〃)
④門荷1 マニ50(〃)
⑤門郵1 スユ15(〃)
⑥南東郵303 スユ44(東小倉行き)
⑦南東荷202 ワキ8000またはマニ44(〃)
⑧南東荷201 マニ44(〃)
⑨四荷201 マニ44(高松行き)
⑩南東荷1 マニ50(高知行き)
⑪名荷1 マニ50 (青森行き)
⑫名航1 マニ50 (旭川行き)
⑬盛荷202 マニ44(盛岡行き)
なおこの3両は次の停車駅・岐阜で早くも切り離され、その後は東海道本線上りの急荷2030レとして東京方面へ向かいます。一方急荷39レは岐阜から元通りの10両編成になり、その後は米原・京都に停車して大阪に10:07に到着します。
今日はここまで。
この編成を見ると、大半の車両がパレット輸送用のマニ44やワキ8000で占められているのが分かりますね。車内で荷物の仕分けを行う荷物車は、末期には編成内に全くないか、あっても1~3両程度という列車が多く、逆にいえばそれだけ国鉄の荷物輸送が衰退しかけていた時代という言い方もできそうです。この急荷39レでは4号車の門荷1運用のマニ50が編成内で唯一の車内仕分けを行う荷物車で、5号車の門郵1運用のスユ15は郵袋を直接載せ下ろしはするものの、仕分けは車内では行わない「護送便」という扱いになっていました。ちなみにパレット車も途中の停車駅でパレットの載せ下ろしは行いますが、どの駅で何号車の側扉を開けるかはある程度決まっており(ホームの客扱い設備とパレットの載せ下ろし位置との関係で、パレット扱いができる場所が制限されるため)、停車駅では深夜であっても列車の到着時にはパレットの荷扱いの音が響いていたそうです。