省型旧形国電の残影を求めて

戦前型旧形国電および鉄道と変褪色フィルム写真を中心とした写真補正編集の話題を扱います。他のサイトでは得られない、筆者独自開発の写真補正ツールや補正技法についても情報提供しています。写真補正技法への質問はコメント欄へどうぞ

ジャンパ栓受けが省略されていた、信越線のクハ68058 (蔵出し画像)

 こちらは、信越線で70系と共に使用されていたオリジナルタイプのクハ68です。信越線では、軽井沢ー長野ー直江津ー柏崎間でパンタグラフをパンタ折りたたみ高さの高いPS-13から、山用の折り畳み高さの低いPS-23に取り替えた70系が使われました。それ以外に、信越線の70系は車両基地が松本運転所だったので、入出区のため篠ノ井線の長野ー松本間の運用も設定されていました。元々は、信越線の70系は長野運転所に配置されていましたが、特急型の381系の増備で押し出されて松本に移管されたため、夜間に一往復のみ、篠ノ井線の運用が設定されていたのです。ちなみに、信越線の直江津ー二本木間では、松本の70系と長岡運転所の70系とが混用されていました。

 70系の地方転用でクハ不足になることから、1962年に始まった70系の新潟地区転用以降、京阪神地区で使われていた51系のクハ68が転用されてきました。のちに、さらに不足した分を、サロ75を格下げして制御車化したクハ75や、80系の元サロ85を70系に転用したクハ77などで補いました。本車も70系と混用されていた1輌です。但し、本車は一旦仙石線に転出して、ご用済みになった後、神領から移ってきた70系とともに使われるようになりました。

クハ68058 (長モト) 長野駅 1977.7

 オリジナルタイプのクハ68はいずれも偶数車でしたが、信越線70系は、偶数側がトイレ付きのクハ76、奇数側がトイレなしのクハ68に揃えられていました。このため本車は信越線転入時に方向転換されています。

クハ68058 (長モト) 長野駅  1977.7

 ただし、奇数に方向転換されたにもかかわらず、奇数車にあるべきジャンパ栓受けがなぜか省略されています。また信越線70系のジャンパ栓は、信越線の70系の大半が横須賀線中央西線信越線と流れてきたためか、オリジナルの3栓になっています。そのため本車もジャンパ栓は3栓に改造されています。

 ジャンパ栓が省略されている理由ですが、本車はテールライトが他車と比べるとやや内側に設置されています。例えばこちらの身延線のクハ68093と比べてみるとわかります。そのため、ジャンパケーブルが3線となっていることもあり、ジャンパ栓受けを設置するスペースがなかったものと思われます。元々偶数車ですし、しかもジャンパケーブルが3線になることも想定されていなかったので、そういうこともあるでしょう。

クハ68058 (長モト) 長野駅  1977.7

 豪雪地帯を走るためスノープロウが増設されています。新潟地区の豪雪地帯も走っていましたので、必須の装備です。

では、本車の車歴です。

1938.9.9 川崎車輌製造 (クハ68020) → 1938.9.29 使用開始 大アカ → 1944.5.2 座席撤去・改番 (クハ55134)  → 1948.12.5 座席整備 → 1953.6.1 改番 (クハ68058) → 1957.5.8 更新修繕I 吹田工 → 1969.8.30 仙セキ → 1971.4.1 仙リハ(所属区名称変更) → 1971.9.11 長ナノ → 1974.12.17(?) 長モト → 1978.1.17 廃車 (長モト)

 本車は、クハ68の新製最終番号車として1938年川崎車輌で製造されました。新製配属後、関西時代はずっと明石区を離れることがありませんでしたが、103系の投入で、仙石線の快速運転用として転出することになりました。またセミクロスシート車の投入と合わせて、仙台-石巻を58分で結ぶ特別快速の運転も始まりました。この所要時間は現在の仙石東北ラインの通常の快速列車と同じ所要時間です(特別快速は49分)。しかし、1971年、セミクロスシート車は持て余されたのか、あるいは特別快速に限定運用することにしたのか分かりませんが、大幅に削減されることになり、クモハ54は大糸線へ、それ以外は信越線に移動し、本車もそれで長野にやってきました。

 信越線の70系ローカルは元々長野運転所の担当でした。Wikipediaによると、1972年3月から70系の運転が始まったとされています。しかし、1975年3月改正で特急「しなの」が全面的に381系化されることとなり、それに伴って、1974年12~1975年1月に381系の増備車が長野運転所に配置されることになりました。それによる検修作業の負担増を避けるために、長野運転所の70系は80系とともに松本運転所に移管されることになり、本車も移動してきました。また入出区のために篠ノ井線の運用も生まれました。なお、70系の松本への転属時期は鉄道雑誌の車輛の移動記録に掲載されておらず、明確な転属日は分かりません。但し、長野所の80系が1974.12.17に一斉に松本所に移っているので、それと同じと推定しました。しかし松本の70系の運用は、80系とは異なり、普段はもっぱら信越線を走り回っており、松本へは検査回帰で来るだけでした。

 そして、1977年、信越線への115系の投入により引退となりました。写真を撮ったのは最末期です。