こんにちは(`・ω・´)ゞ

 

秋晴れの気持ち良い天候が続いてますね~

 

少し時間が空いてしまいましたが・・・

 

10月23日は東予地方最後の秋祭り

 四国中央市伊予三島地区秋祭り最終日でしたが

 

所用があって松山市へ

 

所用先近くの四国霊場49番と50番にお詣り

 

四国霊場49番浄土寺

 

伊予鉄道の郊外電車を利用して48番から53番まで

 ゆっくりハイキングも楽しいかも(^^♪

 

浄土寺の御朱印を頂きました

 

惚れ惚れする見事な書体

 真ん中は何て書いてるのだろうw

 

釈迦如来かな?

空也上人(903〜72)が四国を巡歴し、浄土寺に滞留したのは平安時代中期で、
 天徳年間(957〜61)の3年間、村人たちへの教化に努め、布教をして親しまれたそうな
 
「霜月の空也は骨に生きにける」正岡子規
 

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伊予鉄道 横河原線 久米駅

 

横河原線は松山市駅から東温市の横河原駅までを結ぶ13.2kmの路線で

 全線にわたって単線で、高浜線との直通運転を実施しています

 

老朽化した700系から3000系への置き換えが進んでる
 
1991年のトレンディードラマ、東京ラブストーリー
 梅津寺駅のロケでは700系が登場しましたねチュー

 

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続いて、畑寺の50番繁多寺へ

 

繁多寺は山裾の静かな場所にありましたニコニコ

 

山裾の木々に囲まれた質素な山門をくぐります

 

 

イマドキ珍しい昔の電話帳の様に大きな御朱印帳びっくり

 こちらでも御朱印を頂きました

 

う~ん、読めませんw

49番の流れでゆくと

 東山 薬師如来 繁多寺 なのかな?

 

違うかも(;^_^A

 

山裾の小高い場所に位置するので

 境内から近くの市街地を見下せます(標高約60m)

 

これから紅葉の季節ですね~

 

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さて

 

折角、繁多寺まで来たので・・・

 

アメブロでもよく目にする淡路ヶ峠(あわじがとう)

 峠は「とうげ」では無くて「とう」と読み、ピークになります

 

今日は秋晴れの最高の天気だし

 ちょっとだけ寄ってこうかな~ウインク

 

繁多寺の山門から北谷池を回り込むようにして山間部へ分け入ります

モノレールが敷かれた日当たりの良い斜面

 

何年か前までの今時分は

 色づいた柑橘の実が秋の陽射しに輝いてた事でしょうオレンジ

 

残念ながら現在はかなりの面積が廃園になってる

 高齢化で後継ぎがおらんのやろね

柑橘園地を過ぎ、しばらく登り続けると
 こちらも廃園になった倉庫と草ヒロになった軽トラ
 
どうやって持って来たんや
 と思ったら反対側から農作業道が続いてた
 
今はもう車が通れる状態じゃないけど
 かつてはここが車道のどん詰まりやったみたい
 
ジオグラフィカで現在地を確認すると
 尾根伝いに淡路ヶ峠へ向かう予定やったのに
 
尾根の分岐を通り過ぎてるしぃ(◎_◎;)あせる
 
どして、気付かんかったんやろか
 と思いつつ分岐まで引き返します
分岐に戻って確認すると
 尾根伝いに虎ロープがしっかりと張られてる
 
これを見落とすとは
 下ばっかり見ながら歩いとったんやね~てへぺろ

改めて尾根伝いに辿りますが

 剥き出し岩の急登で面白そうなルート(^^♪

 

淡路ヶ峠ハイキングコース案内図が
 5合目(山頂まで490m)地点に設置されていました

 

ここから山頂(淡路ヶ峠)までの尾根伝いの区間が

 1998(平成10)年にハイキングコースとして整備された様です

少し上りの勾配が緩くなって一つ目の鉄塔を潜ります

 

6合目(山頂まで390m) アカメガシワ

 

二つ目の鉄塔を潜ります

 

ここに芝ヶ峠へ向かう分岐があります

 

尾根ルートを辿らずに先程の草ヒロを越えて

 ここで合流する淡路ヶ峠へのルートもあります

(地形図には載っていませんが道標は設置されてます)

5合目から先の尾根ルートは松山市が整備しただけあって

 しっかりした道標やベンチが所々にありますが

 

20年以上を経てかなり古びており、展望も無くなってる

 

このモノレールは植林用でしょうか?

 

松山変電所・りつりん館からのルートと合流

 

そのすぐ先で隣の宝ヶ峯への稜線に通じる分岐

分岐から宝ヶ峯まで800m

 

8合目から淡路ヶ峠までは200m

植林が切れて自然林になり明るくなった

 

標高273mの淡路ヶ峠山頂に到着です

 

繁多寺からは25分の予定だったけど

 倍の50分を要して到着です(;^ω^)あせる

 

ここまでの距離は迷走分も含めて1.6kmでした

 

山頂には立派な東屋と展望デッキが整備されてます

 

繁多寺とは逆の北側から尾根を辿って来る

 坊ちゃん・赤シャツコースの標識が設置されてる

 

淡路ヶ峠    
 標高275mの淡路ヶ峠は、東方に金毘羅街道・四国の霊峰「石鎚山」、南に土佐街道・久万山、南西には、大洲街道・伊予地区、西方はるか瀬戸内海の島々、北方には高縄連山を展望する位置にあり、また眼下には松山城を中心に、県都松山が展望できるすばらしい景観の山頂である。

 400年程前の天正年間(1573~1587年)道後湯築城の砦で「淡路城」と呼び、城主は河野道直の家臣林淡路守通起(明治の元勲、伊藤博文は11代目の子孫)であった。
 「淡路ヶ峠」の山麓に展開する桑原地区は、古来豊かな歴史と数々の文化財に恵まれている。
 古墳時代の県指定史跡「経石山古墳」。中世伊予の豪族河野氏の重臣の一人 出雲房宗賢が居住し地名を姓として桑原城を築き、その子孫の桑原通興が主家の命により東予の鷺森城に移った後、松末氏が統治し今から四百余年前、9ヶ年の歳月をかけて湯山から三町まで約4kmの市乃井出水路を建設した井出若狭守の遺跡。松山藩主 松平定行公が隠居所として万治2年(1659年)3ヶ年かけて、御殿・庭園・茶室・観音堂を東野から畑寺に及ぶ広大な台地に構築した県指定史跡「東野お茶屋跡」。後世ここを訪れた正岡子規や高浜虚子の句碑など多くの歴史的文化遺産に恵まれ、また明治後期より村丸寿平翁(元桑原村長)など先駆者により山麓一帯に早くから果樹園芸が行なれている。

 第二次世界大戦後は、県下各地から来住する方も多く、松山市のベッドタウンとなり、現在豊かな歴史文化の栄える文教地区として発展している。


平成10年2月 淡路ヶ峠ハイキングコース整備工事完成に当たりて記す。

 

以上、説明板より

 

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松山平野を一望飛び出すハート

 

左(南)から右(北)へ時計回りで4枚・・・↓↓↓↓

 

ざっと動画も撮ってみた 0分12秒

 

パノラマ撮影はこんな感じ!

 

未熟な写真では大パノラマの臨場感は

 十分に表現出来ず、残念からげるぞよ

 

宝谷池方面へ鶴ヶ畝尾根を下ります

 

淡路ヶ峠から北の尾根は繁多寺からのルートより展望を楽しめます

 

桑原中学校裏からの坊ちゃんコースと

 宝ノ谷の砂防ダムからの赤シャツコースになっており

 

絶えず人が通ってる感じで大半の人はこちらを辿るのかも

松山変電所が近くにあるため

 近辺には四国電力の送電線が5本通っており

 

今日3つ目の鉄塔(松山西連絡線2番鉄塔)を潜ります

 

鉄塔巡視路も網の目と云っては大袈裟ですが

 張り巡らされており、ハイキングコースも巡視路を利用してる

 

宝ノ谷を越えて続く、隣の尾根の鉄塔の場所が

 宝ヶ峯(標高284m)で、淡路ヶ峠より9mほど高くなってます

松山城の左に見える大峰ヶ台は松山総合公園となっており
 山上に西洋風の城郭を模した展望台があります
 
右の美しい山容は正岡子規も愛した
 興居島の小富士(標高282m)で淡路ヶ峠より8m高い
 
対岸の風光明媚な梅津寺海岸にはかつて海水浴場や遊園地もありました

 

正面の北方向には伊台地区の山なみ
 瀬戸風峠から30年前に見た松山市街地の夜景は見事やったね~
 
ここからの夜景も素晴らしいと思うけど
 夜間に来るのは難儀やね
 
見晴らしの良い分岐で赤シャツコースは
 砂防ダムへ向けて右の宝ノ谷へ降ります
 
坊ちゃんコースはトラバース気味に次の鉄塔まで尾根を下り
 北松山連絡線3番鉄塔から左へ折れ、桑原中学校裏へ降ります

見晴らしの良い分岐(淡路ヶ峠まで610m)

 

稜線には踏み跡が無かったので
 次の鉄塔まで坊ちゃんコースでトラバースして
 
北松山連絡線3番鉄塔から尾根に復帰する

ここから先の尾根は踏み跡が薄く

 檜の植林地帯で展望も皆無でした

 

薄いけど踏み跡はある

 

最後は左へ巻いて「グループホーム東野」前へ出る

最後まで尾根を辿ろうと手前の車道を右へ 

宝谷池の提頂部を通り抜けようとしたけど・・・

 雑草が繁茂してて諦め、僅かに刈られていた法面を降りる

水路沿いに進もうとしたけど

 エルサレムの壁が張り巡らされてて

 

とどのつまりはグループホーム東野前へ出た

 どなんしても此処へ出る運命やったんやw

目指すは宝ヶ峯へ続く尾根の取り付きルート

 

宝ノ谷へ続く車道の入口には

 「淡路ヶ峠入口」の標識と案内図が設置されていました

image

現在地と案内図

 

よく見ると案内図の砂防ダムルートの表示が間違っています

 

砂防ダムから登る赤シャツコースは

 北松山連絡線3番鉄塔少し上の

 

11時34分に辿った見晴らしの良い分岐に出るはず

 

峠まで400mの第二鉄塔と記されている

 松山西連絡線2番鉄塔への巡視路は

 

砂防ダムから上流の宝ヶ峯下から登る

 砂防ダム上コース(第二鉄塔経由コース)になります

 

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宝ヶ峯へ続く尾根と一番池(左の鉄塔が宝ヶ峯)

 

尾根の取り付き口が見つからず

 一番池の提体部からアクセスしようとしたけど

 

こちらも草茫々で、

 引っ付き餅がいっぱいくっつきそう驚き

 

草刈りしないと、とても通れそうにない泣

 

池の提体部内側のコンクリート製法面上を通り抜けようかと思ったけど・・・

 

良い子はこんな危険な場所に近づきません注意

 

そんなことをすればアメブロに掲載出来なくなっちゃうじゃん真顔

 

さて、さて

 

どうしたものかと

 思案しながら途方に暮れるお昼時よだれ

 

次回に続きます

 

では、またバイバイ

 

 

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