JR西日本マイテ49形 | 車内観察日記

車内観察日記

鉄道の車内の観察する日記ですよ。目次に記載した「☆お願い☆」をご一読の上、ごゆっくりどうぞ。

一等車、各地の電化が進んだ1960年くらいまで存在していた車両等級で、高額な料金を必要とした庶民になど手の届かない上流階級や要人専用の列車として、大幹線の客車特急列車の最後尾に連結された車両でした。

 

そんな車両たちのうち、(事実上)令和4年まで本線走行が可能だった伝説の車両が1両おりまして、それがマイテ49 2でございます。国鉄の看板特急「つばめ」などに運用されたあとは26年ほど今はなき交通科学館の中で眠りにつき、JR化直前に搬出・整備の上で車籍復帰、「旅立ちJR号」として本線に返り咲きました。その後は「SLやまぐち」等に連結されたり、団体列車に運用されたりしましたが、2010年代以降はほぼ宮原のヌシとして保管され、時折検査のために網干へ行ったりする程度でした。

 

令和4年、住み慣れた宮原をオヤ31と共に経ち、ここ梅小路にある京都鉄道博物館に輸送されました。再び保存車として眠りにつくためで、鉄道開業150周年というオマケの名のもとに、「特別なSLスチーム号」として最後の営業運転に供されました。…まぁ当時を知る人がいれば、機関車の次位に展望車って何やねんとツッコミが入りそうですが、外から撮る側からすればこの方が見映えがいいんですよね(苦笑)

 

一応機関車にも触れておきましょう。推進・牽引を担当したのはマイテよりも先輩の「ハチロク」こと8620形8630号機です。実際本線の営業運転で牽引したことは無いとは思いますが、かつて牽引していた機関車たちが軒並み運用不能だったせいかこちらで運用に充てられておりました。まぁ、SLスチーム号を牽ける最も古参な機関車ですし、鉄道開業150周年を考えれば適任と言えばそうなのでしょう。


旧梅小路蒸気機関車館の扇形庫にて。保存により本線上を走らなくなったのは残念ですが、足回りなどを間近で見られるのはいいですね。

 

台車を見てみましょう。旅客用車両としては珍しい3軸台車で、地方路線でも抜群の安定感を誇っていたんだとか。ここ京都鉄道博物館に先に保存された車両の中にも、3軸台車を持った車両がいましたっけ。

 

通常は編成の端に連結されるマイテ49、実はあまりこちら側を見る機会が少なかったのでは無いかと思います。いつ使うのかは分かりませんが、右側には梯子がありますね。

 

今回のSLスチーム号では、オリジナルのサボも付けて運転されました。

 

出入り口上に表示された「1等」の文字。等級記号「イ」は、九州のななつ星in九州やここ西日本のトワイライトエクスプレス瑞風などで復活していますが、そんなクルーズトレインに乗車するようなお金持ちでも中々乗車が難しい高貴な存在だったのでしょう。

 

それでは参りましょう、まずはデッキから、ドアです。この頃の客車は外装は鋼鉄製でも内装には木材が多用されておりまして、こちらも同様です。それにしても、かなり黄色いですね(^^;;  ドアは窓が二段式、開き戸タイプで自動開閉機構やロック機構はありません。

 

車掌室です。ここに配置することで、招かれざる乗客をシャットアウトしていたのでしょう。そう言えば、ここの色使いは暗めの色調なんですよね。その奥にはカーテンで仕切られた部屋がありますが、恐らくここは洗面台、立ち入り禁止とされておりました。

 

向かい側は乗務員室…。車掌室と何が違うんだ、って話ですが、恐らく通常執務はどちらかで行い、ホーム監視などで反対側を見る必要がある際に使用するのでしょう。英語で「CREW」とも書かれているので、こちらが常務される室なのかもしれません。

 

さて、車内へと入ってみましょう。「マイテ」とは、42.5〜47.5t未満の重量で一等車と展望車の合造車であることを意味しており、大きく分けて客室内は3区画で仕切られております。まずは車端部側の開放一等客室から参ります。1人掛けの座席がロングシート配置でセットされています。

 

奥の区画との仕切りです。上部を除いてニス塗りの木製で、美しく塗装されたか景色がすこし反射しています。

 

デッキとの仕切りを見てみますと、上部に何やら模様付きの吹き出し口があります。これ、実は冷房でして、戦後GHQの接収から解放された後に改造で設置されたものなんだそうです。しかしながら効力は気休め、季節のハイシーズンには半分ほどズレた室温程度にしかならなかったそうです(乗車時はエアコンがいらないちょうど良い気温だったので問題なしだったのですが)。通路右側には操作パネルがありますね。

 

天井です。丸いカバー付きの照明に扇風機が交互に並びます。両サイドのラインもアクセントになっていていいですね。しかしながら、扇風機には「JR西日本」の文字、間違いでは無いですがちょっと無粋に感じます。

 

窓です。換気のため少し開けてセットされていますが、基本的にこの状態での使用、触れることは許されておりません。日除けは一等車らしく横引き式のカーテンの2枚仕立て、現在のグリーン車では、14系客車の「サロンカーなにわ」、キハ85系のキロ85、キロ47「etoSETOra」、この客車を模した35系客車のオロテ35にしか存在しない、特別な車両のアイテムのひとつとなっています。

 

座席です。両側に1人掛けが配置されています。ヘッドレストにはカバータイプのリネンが掛けられ、更には肘掛けにもリネンが掛けられています。これ、一等車のみならず、旧国鉄のグリーン車でも同様の仕様となっております。

 

この座席は回転も可能です。ロック機構は無いのですが、当時の列車は加減速も(緊急停車を除くと)緩やかだったでしょうから、慣性の法則で回転してしまうことも無かったのでしょう。なおロングシート配置で用意されていますが、1等車は天上人たちの社交場という側面もあったことから、明治時代からロングシートであることが多かったそうです。そのため斜め方向に向けて車座のようにすることはあっても、クロスシート配置で使用することは稀だったのでしょう。

 

壁面には、暖房のものと思われる吹き出し口があります。冷房吹き出し口同様、飾り付きで丁寧な造りがされています。

 

座席と窓の間にも暖房配管が入ります。かつてはSLの蒸気を利用した「蒸気暖房」だったでしょうから、最後尾に連結されていたこの車両の暖房能力とはどのようなものだったのでしょうか。

 

窓の柱の下には固定テーブルがあります。当初は折り畳みが可能だったそうです。

 

窓下にはボタンがあります。当時はコールボタンとして使われでもしたのでしょうか。

 

続いて車両中間に設定されているボックス席です。一等車の開放席区画と、展望車区画との緩衝地帯となっております。

 

窓は2枚あてがわれており、その上には飾り照明が設置されております。

 

座席です。今で見ればどうということはないボックスシートですが、この列車が登場した時期は三等車は背ズリが木の板でしたでしょうから、いかに一等車として居住性を重視したかが見てとれます。


こちらも開放席区画と同様、ヘッドレスト部分とアームレストにリネンが取り付けられています。シートピッチは広く、4人で座っても膝がぶつかりません。背ズリの盛り上がり方を見るに長時間の乗車は疲れが出そうには思います。

 

中央にはテーブルがあります。ここは折り畳みが可能には見えますが、実際のところは分かりません。しかし、支える金具が見た目かなりオシャレに見えますが、ぶつけると痛そうです(笑)

 

ここにもボタンがあります。

 

最後は展望車区画です。豪華絢爛と言いますか、他の2区画よりも明らかに造りが異なります。

 

一等客室との仕切りは開き戸、窓はすりガラスとなっております。こちらのドアも、今回の運用時では開いたままで運転されています。

 

展望デッキ方面を1枚。特急列車で使用されていた時は、ホームからの見送りの人々に対応するために使用されており、高速走行時には使用されていなかったそうです。展望デッキの柵は転落防止のために製造時よりも嵩上げされており、本来は少し低い位置にある太い柵が上辺でした。

 

左上には車番のプレートがあります。

 

この時代にしては窓は非常に大きなものを使用しており、展望車と言えども当時としてはかなり高価なものだったのでしょう。またSLからの煙が入らないようにするためか、二重窓となっておりました。仕切り扉は開き戸なので、戸袋窓では無いんですよね。

 

天井です。こちらはダブルルーフとなっており、明り取り窓ではありませんがメインの照明が仕込まれています。その両側、窓上には飾り照明が補助的に備えられています。あ、そうそう、登場当初は車軸発電だったかと思いますが、この運用時はお隣のスハフ12に搭載された発電機から給電されておりました。

 

飾り照明をクローズアップ。照明カバーは泡模様があしらわれておりますね。その両側には帽子掛けが設置されております。

 

座席です。1人掛けと2人掛けの組み合わせで、ソファが並んでいます。今回のスチーム号乗車では、ここにお邪魔しました。

 

見た目にもソファ調としたもので、とにかく背ズリを中心にかなり沈み込みが強いものです。ちょっとした会話程度でしたら問題ありませんが、ここで起点から終着まで、となるとかなりしんどいと思います。

 

暖房の配管は、飾り照明と同じ泡模様があしらわれています。こちらについては見えにくい場所も含めてしっかり作り込まれているんですよね。

 

開放区画との仕切には消化器を取り付けた台があります。

SLスチーム号では展望デッキへの立ち入りは出来ませんでしたので、ここからの展望で勘弁してください(笑) この風景も立ちながらの景色ですので、走行中はこの視点から見ることは出来ません。

 

各席にはこのようにリーフレットが置かれていました。注意事項が中々たくさんありますが、何より「このリーフレットは持ち帰らないでください」が2回も書かれてるんですよね(笑)

 

一日の運用が終わり、機関車が切り離されました。この時くらいしか展望デッキの顔を拝めなかった訳ですが、皆様からすればシャッターチャンスですね。


機関車は転車台にて方向転換して、給水・給炭を行います。手前にいる作業員さんのヘルメットには血液型が書かれています。万が一輸血が必要になった際に、確認が迅速に出来るようにするためでしょうか。

 

通常30〜60分間隔で運転されるSLスチーム号ですが、この特別なSLスチーム号運転期間は、15〜30分間隔と大増発されておりました。往復に10分かかるので、15分間隔の列車を予約した方々は5分しか乗り降りの時間が許されない訳で、私も余裕を見繕って最終便を予約した次第でした(30分後にあたる間隔の列車の場合、発車の15分前から改札が始まります)。


このような機会を与えてくださった京都鉄道博物館には感謝しかありませんが、わがままを言えば、またこのようにSLスチーム号だけでも結構なので、走る姿を見たいなと思いながら、博物館を後にしました。