今日はブログを書くネタがないな、と思っていたら、ヤフーに「栃木県にあった織田信長の位牌…どうして」という記事があった。

これに関して以前ブログに書いたことがあるので、その抜粋を。

 

「栃木県のお寺に織田信長の位牌がある。と言えば大抵まさかと思うだろう。

ところが、那須烏山市の天性寺に織田信長の位牌がある。

信長の次男の信雄は、北条氏滅亡後、秀吉から三河への転封を命じられたが、拒否して怒りを買い野州烏山に改易となった。

その時持ってきた位牌が、天性寺に残っている。

元々烏山城主であった那須氏は、小田原に参戦しなかったために改易となり、その後に信雄が転封されてきた。

那須6代の墓は天性寺にある。

墓の右手に3つの社があり、その1つに那須与一が祭られている。」

 

持ってきた位牌と書いてしまったが、どうやら寄進したというのが正しいらしい。

もう一度確認して、訂正しておきたい。

さて、天性寺の写真を、と思って探したが見つからない。

同行者と話していて撮り忘れたらしい。

 

関連の写真が1枚あったので掲載する。

天性寺からの景観。

烏山線キハ40の撮影スポットを探して右往左往していた時のもの。

 

そのうち天性寺の写真を改めて撮りたいと思う。

 

追記

その位牌は、信雄がこの寺を菩提所として信長の法要を行った時にこの寺に寄進したものらしい。

つい、いくら何でも位牌を忘れるとは、と思ってしまった。

信雄は、一面的なステレオタイプの評価を受けがちで、損をしている。誤解が一つ溶けて納得した。