林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

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富山地鉄市内線と万葉線完乗の旅16.

2022-10-25 | 鉄道・旅行

 16.富山港線取材-萩浦小学校前と競輪場前

蓮町(馬場記念公園前)から隣の萩浦小学校前まで行き、下車する。
萩浦小学校前電停は相対式2面2線構造である。

富岩鉄道が現在の富山港線を敷設したのは1924年7月23日で、
に富山口(現・廃止)から岩瀬港(現・岩瀬浜)の部分開業だった。
1928年には富山口から富山まで延伸され全通した。
部分開業、全通時にこの場所には駅はなかったが、
1936年12月27日に西ノ宮信号所が開設され、
ここで分岐して岩瀬埠頭(のちの富山港、現・廃止)まで支線が設置される。
1939年2月8日に西ノ宮信号所を廃止、日満工場前駅として開業する。
富岩鉄道は1941年12月1日に路線を富山電気鉄道に譲渡、
富山電気鉄道は陸上交通事業調整法によって、
1943年1月1日に富山県内の鉄道を統合して富山地方鉄道となった。
同年6月1日に富岩線は戦時買収により国有化され、
路線名が富山港線となり、同時に駅名も大広田に変更された。
国鉄分割民営化の直前、1986年11月1日に富山港までの支線が廃止された。
富山港線も旅客減少から廃止も検討されることになり、
富山市が中心となって設立された第三セクターの富山ライトレールに引き継がれ、
2006年3月1日にJR西日本富山港線は廃止、
同年4月29日より富山ライトレールとしてLRT化された。
2020年2月22日に富山ライトレールは富山地方鉄道に吸収合併、
同年3月21日に富山港線は富山軌道線と相互直通が開始された。
相互直通開始とともに電停名を萩浦小学校前に変更した。

国鉄、JR西日本時代、普通鉄道の大広田駅は単式1面1線だった。
富山ライトレールに転換するにあたり、
近接する場所に相対式2面2線ホームが設置された。

確認は取れていないが、富山港までの支線があった時代、
その名残かもしれない無駄な鉄道用地が確認出来る。
また、枕木は一部新品が使用されているものの、
多くは国鉄時代からのものと思われる、
朽ちた木の枕木が残っている。

萩浦小学校前を取材して、二つ先の競輪場前まで行く。
ここはその名の通り、富山競輪場に隣接する駅である。

ここに駅が出来たのは1959年4月18日で、
競輪場利用者のための仮乗降場として開業、
国鉄分割民営化後、JR西日本に引き継がれた時に、
仮乗降場から臨時駅に昇格した。

画像の待合室が完成したのは1993年6月19日で、
国鉄、JR西日本時代は富山競輪開催日のみ客扱いをしていたが、
2006年4月29日に富山ライトレールに転換されたのと同時に、
常設駅として競輪開催に関係なく停車することになった。
これもLRT化の恩恵と云えるだろう。


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