3年振りの現地開催!「京阪電車ファミリーレールフェア2022」訪問記〜その6 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

3年振りの現地開催が、今年は再開された鉄道イベント「京阪電車ファミリーレールフェア2022」。会場の「寝屋川車両基地(大阪府寝屋川市)」にやって来ています。




この、寝屋川車両基地のモニュメントとなっている「1800系(2代目)」カットモデル。

波瀾に満ちた、その経歴について前回までは述べて参りました。



ところで、このカットモデルの「1800系(2代目)」の前には、戦後間もない時期から、京阪電車が実に先進的な技術導入を目指した証とも言える、画期的な仕組みの台車も展示されています。「日本の電車初の空気ばね台車」です。


京阪のみならず、現在のように、枕木もコンクリートでない本当の木製が当たり前で、軌道の状態も良好ではなかった昭和30年代初旬。

殊に京阪電車では明治の開業以来、沿線のあちこちにカーブが点在している環境で、旧国鉄や阪急との競合関係もあり、スピードアップや乗り心地の向上が課題になっていました。



そんな中で登場したのが、台枠と車両とを接続している軸ばねに、走行中の振動を吸収するための、ゴムベローズを取り付けた空気ばね台車でした。一台車当たり合計8個、このゴムベローズが取り付けられています。


ただし、これを履いた「1800系(初代)」という車両すべてに導入された訳ではなく、あくまでも一部車両のみへの試験的なものだったと言います。出典①。


ただ、営業列車での使用を通じ、これを実用化する目処が経った京阪は、淀屋橋へ地下線で路線延伸した際(1963年4月)に合わせて投入した次代の新型特急車両「1900系」に、本格的な空気ばね台車が導入するに至りました。

ちなみに、その「1900系」が特急車両として活躍した期間は、わずか10年強。
1974(昭和49)年にはすべて通勤型車両に格下げ、後に昇圧対応改造、さらに冷房化と大規模な車体改修の実施がなされました。



そして「中之島線」開業の前日に当たる、2008(平成20)年10月17日の定期運転引退まで、実に息の長い活躍を続けます。

本来の特急専用時代と比べ、格下げ後の通勤型車両としての活躍が、特急時代の3倍以上にも及んだという、極めて特色ある経歴でした。


ところで「1900系」というと、わたしは通勤型車両、さらに車体改修と冷房化された後しか、実際に見たり乗ったりしか知らない世代です。

ただ、乗り心地というのが他の車両とはまったく異なる、つまり一味違う、実に良いものだったことをよく記憶しています。


説明するのが難しいのですが、他のそれより深く、クッションが十分に効いた座面。
動き出すと、包み込まれるというのでしょうかほわんほわん、ほわん、とした緩い上下動のある乗り心地は、大変ゆとりあるものでした。


昭和30、40年代の京阪特急は、殊に「空気ばね台車」を履いたものというのは、こういった乗り心地だったのか、他の車系とはまったく違うものだった…と、文字にするとそうなのですが。表現するのが難しくて、申し訳です(汗)


ところで、これは「1900系」デビュー50周年を記念して、当時の特急塗装に変更されていた「1900系」最後期に当たる、2006(平成18)年秋の乗車記からでした。


「1900系」にはグループが2つあり、1956(昭和31)年に登場した「1810系」という一形式は、淀屋橋延伸時に新造された車両と性能や車内設備が同じだったことから「1900系」へと編入されました。


いささか、旧弊な印象のある角ばった顔の車両がそれですが、1963(昭和38)年4月16日の「淀屋橋地下延伸」に合わせて登場した、丸みを帯びたバンパー付きの、新造車のグループとは共通の運用が組まれていました。
「開通記念リーフレット」ブログ主所蔵。


そういったことで「1810系」から編入された車両の最古参は「昭和31年 川崎車輌製造」

これが都合、2008(平成20)年10月の引退まで現役でしたので、なんと「車齢52年」という、日本の高性能電車としては、異例の長寿を誇りました。


京都の大学に、京阪電車で通学していたわたしにとっては、毎日のように見たり乗ったりと、個人的にも大変印象に残っている車両でした。

2006(平成18)年5月、枚方公園・淀(地上駅時代)・淀〜中書島間にて。以上、ブログ主撮影。


余談になりましたが、この機会でしか見て、触れてが出来ないものです。

またも、さまざまな思いに浸れる展示でした。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「京阪電気鉄道開業五十周年記念誌 鉄路五十年」京阪電気鉄道株式会社編・刊・発行 昭和35年12月)