黄色と青は“要記録”のしるし。【10/2⑦&10/10】そして2027Fは永遠の旅へ… | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

『縁は、連結する』鉄道など交通を中心に興味の赴くままに、日々呟き語るブログ。
※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

記録を積み重ねて、5時間。

この10月2日の記録も、そろそろ“打ち上げ”の時間を迎えようとしていた。


その前に、玉川上水駅に再入線した2000系2027Fの記録に動く。


ホームを移動しながら、改めて外観を眺める。

車体塗装の痛みは相変わらず著しく、一時の運用離脱の時にも直されることは無かった。

そんな痛々しさを引きずりながら、2007F引退から半年、新宿線、拝島線、国分寺線を主戦場に

老体に鞭を打つように日々奮走を続けてきたが、それももう限界なのだろうか。

それとも、その痛々しさをも演出しているのだろうか?

いずれにせよ、その奮走ぶりに一区切りをつける日もいよいよ遠くなさそう…

この日、そう間違いなく感じていた。


そしてまた、旅立ちに向けて呼吸が整えられていく。

ところが、その時だった。


15:07。

2027Fと2403F、並ぶ。


しかも、2027Fは停車中なのに前照灯が…

前面点検後に一度消していたはずなのだが。

どうやら、こちらが撮っているのに気づいて点けてくださったらしい。


思えば一昔前は、こんなこと日常茶飯事のことだったのだろうが。

一昔前どころか、ほんの数年前までは極めて頻繁にあったはずの光景。

結構西武線は利用していたはずなのに、その反動で写真を撮っていなかったものだ。


ここ数年ほどで、西武鉄道の勢力図は大激変している。

しかも、それは現在進行形でだ。

その切迫感がお尻を一段と強く叩き、激しく背中を押している。


…とりあえず、2403Fに乗って先行する。

2027Fを撮りたいために、敢えて先回り。

相も変わらずに、可能な限りのパワーを使って走っていく。

時に100km/h近い速度を出して、その存在を誇示する。




まだまだ優等列車の先頭を切って走る姿が見られるが、それもいつまでか。

先日、田無事故の代替製造編成である2419Fが検査出場してはいるものの、先行きは厳しい。


この日、最終的に2403Fには花小金井まで乗車した。

少しでも長く乗っていたい、その思いがギリギリまで乗車時間を引き延ばしたのだった。

だがこの後、下り電車にすぐ飛び乗って小平に引き返し、下りホームで2027Fを出迎えるという

段取りを組んでいたのだが、少々遅延していて動きが非常にタイトになったのはここだけの話。


ゼイゼイ…ゼイゼイε-(´∀`; )


電車内で後ろから前まで歩いて、それが各停の8両編成だったもんだから小平駅に着いたらまた

ホーム先端まで早歩きして、どうにか2027Fを想定通りに迎撃する事態に。

もう数秒遅れていたら、ここで撮れなかったかもしれなかった。

ホームの上下移動を面倒臭がると、場合によっては泣きを見るぞという話。


痛々しい車体を改めて見て、その壮絶な43年に思いを重ね…


引き上げから再入線までを眺める。

その間3分ほどと、思いの外慌ただしい。



一時は最先端だった3色のLED行き先表示器を装備した、最後の編成。

平成ならではのアンマッチなスタイルも、いよいよ歴史の彼方へ。


その発車を見送ろうとした、その直前。

今度は6101Fが新宿線に戻ってきた。


6000系はこのアングルで何度か撮っているけど、30thヘッドマーク付いてからは初だったか。


と、入れ替わりに2027Fが発車。


この日の運用はあと1往復残っていたが、この日はこれでお別れとした。


そして、6101Fもここで見送り。


この後は、拝島線で小川に抜け、国分寺線に乗り一連の撮影を終了。

東武100系の臨時特急「スペーシア八王子きぬ」の撮影に軸足を移したのだった。


…そして、10月10日月曜日、祝日。

朝なんの気なしに西武線アプリなどを眺めていると、ある事象に気づく。


2027F、快速急行のある運用に入っているじゃないか!

急ぎ西武線内に針路を取り、田無で前運用の準急に入っていた2027Fを迎撃。

西武新宿側には、2505F4両が連結。


そのまま2027Fに乗り、西武新宿へ。


8:51に西武新宿に到着し、3番ホームに移動。

束の間の編成撮影に取り組む。




2027Fが引退すると、3色LED付の車両は10000系10112Fのみとなる。


本当はこの日、もう少し追跡をする予定だった。

しかし、この後の予定に関して体力を消耗したくないという考えが、僅かに動きを鈍らせた。


タッチの差で、乗れず。

中途半端に見送り、終わり。


…その予定終了後の帰路。

10月10日19:06、東村山駅。

これが、2027Fの最期の記録となった。


今日、廃車回送。


前日のうちに南入曽から小手指に臨時回送されていたが、今日横瀬送りとなった。

これをもって、残る旧2000系は6両編成1本、2両編成5本のみとなった。

実質的に、純然たる旧2000系と考えると2両編成3本のわずか6両までに減った。


さぁ、いよいよ来るところまで来た、の感が強くなってきた。

既にクハ2001が保存されているため、いつ全廃と言われても不思議ではない。

ここからは、どう記録を打っていけば良いだろうか。

新2000系の方向幕車、とか、引き続き6000系6101・6102Fとか…

考えうる記録を、可能な限り引き続き仕掛けていくしかなさそうだ。


とにかく、この2027Fの引退は大きな転機であることには違いない。

ただ今思うのは、10月2日に腰を上げておいて良かった、というところである。

奇しくも、この記録を出し切る今日、自分と同じ43年に及ぶ活躍に幕を下ろしたのであった。