シベリア鉄道・欧州遠征13 コルマールからの帰国

今月末、2022年10月の下旬より、プライベートでは約2年8カ月ぶりになる海外旅行へ出発する。その前に、2018年のこの「シベリア鉄道・欧州遠征」ブログ投稿を完結させたい。

8月27日にコルマールを出発してから8月29日に帰国するまでを1エントリーにまとめている駆け足な投稿だが、この旅の終盤にかけては写真の撮影枚数が減っていた都合でもある。ご容赦頂けたらと思う。

8月25日と26日をコルマールで過ごした後、8月27日の午前中に、コルマールからパリへ直通のTGV(コルマール発9:55→パリ東12:13 TGV 2356列車)で一気に移動した。

コルマールという街は、アニメに登場する小さな街という印象だったので、パリへ乗換なしで行けることを知った当時は、本当に行けるのだろうかと驚いたように思う。

当日になって、線路乱入のためコルマールではなくストラスブールから出発するという案内が届き肝を冷やすも、コルマールからの在来線に接続してストラスブールにて対面乗り換えが手配済みで、無事にパリまで最大時速320km/hのTGVでの旅を楽しむことができた。

移動日なのでキャリーバッグを引っ張っており、ストラスブールから乗車のバタバタでまったく写真を撮れていなかったのは後悔するばかり。

パリ東駅でもわずか2, 3枚スマートフォンで写真を撮っただけ。ちょうどパリ東駅に着いたのが昼過ぎということで、駅のコンコース内のFoodissimo!という、スタローバヤ的なレストランに入ったところ、パスタ類をその場で調理してくれる非常に優れた場所だった。

パリでは宿泊せず、到着も昼頃ということであまり時間的な余裕はなかったが、第一に、エミレーツ航空のオフィスに行き、ドバイからアブダビまでのトランジット客向けのバスを予約できないかという相談へ。ただ、直前予約はNGということで駄目だった。

もうひとつはエッフェル塔を順光で見たいというもの。高校の修学旅行がイギリスとフランスで、フランスは全行程バスツアーだったのだが、なぜかエッフェル塔も凱旋門も逆光で記念撮影。なんでや、という訳で、再履修。

セーヌ川とエッフェル塔を無事に順光でカメラに収めることができて、数年間の課題が無事解消となった。

本当は凱旋門も行きたかったし、セーヌ川を渡るメトロの撮影もしたかったが、タイムオーバーとなったので、このまま対岸のChamp de Mars Eiffel Tower駅からRER線を乗り換えてシャルルドゴール空港へ向かった。

シャルルドゴール空港発ドバイ行きのEK76便。この時が人生初のA380搭乗となった。

フライトは21時50分だったので、夜までパリを散策しても構わないという説はあるが、管理人はそもそも空港には早めに行っておきたいし、それなら日没前に空港に着いておいた方が安心だと思う。


翌朝、8月28日の午前6時半にドバイ到着。タラップで降機してバス移動だったので、出口でスマートフォンでこの写真を撮っていると、乗務員にDo you like airplanes?などと聞かれたように思うが、とっさのことで返事もできずにスルーしてしまった。

愛想良く返事をしていれば、コックピットを見せてくれた可能性もあるよなと今でも後悔しているが、まあ仕方ない。

空港を8時くらいに出て、メトロで移動して、Al Ghubaiba Bus StationからE100系統のバスでアブダビへ。

E100系統のバスが大混雑している場合があるということで、エミレーツのトランジット客向けのバスを使いたかったが、実際は全く並ぶことなく、満席どころか半分も乗っていないバスで快適に移動できた。

アブダビ到着後に、バスターミナルの近くのAl Wahda Mallのフードコートで昼食を食べたらしい。

わざわざアブダビに向かったのは、世界最大のモスク「シェイク・ザイード・モスク」を見に行きたかったからだ。

本当は、青い空に白い大理石、というのが理想的だったが、実際は残念な空模様だった。

天気が残念だと、白一色の外観を撮っても仕方ないことになってしまうが、内装は圧巻の一言だった。

もっとも、豪華なスワロフスキーに興味があるかと言えば別に興味はないので、すごいなあと思うだけで、勿体ない気はする。

体感として結構長時間いたように思うが、ブログを書くためにGoogleのタイムラインを見ると30分ほどしかいなかったらしい。

帰り際にやや晴れてきたので、もう少し粘れば良かったのにと今になって思うが、外気温に参っていた可能性は非常に高い。

アブダビのバスターミナルとモスクは勿論タクシー移動である。

アブダビからドバイへの復路はややトラブルがあった。なぜ往路と同じE100系統に乗らなかったのか忘れたが、Ibn Batutta行きのE101系統に乗ってしまったらしく、ドバイの遥か手前で降ろされてしまった。

Ibn Battutaはメトロがあるのでこれでドバイに戻ろうとしたが、普通に方向を間違えてより南のEnergy Metroに向かってしまった挙句、経緯を忘れたが(おそらく2020年ドバイエキスポ向け延長工事関連だと思うが)代行バスでIbn Battutaに戻る羽目になった。

アブダビからの戻りで時間ロスをしてしまったが、ブルジュ・ハリファまで戻って来れた。

しかしこれでOKという訳ではなく、ブルジュ・ハリファを順光で撮りたかったのだが、隣接しているドバイモールから外に出る方法が分からずに、ドバイ噴水の前で日没になろうとして焦っている際の一枚である。

結局、ドバイ噴水の北側の遊歩道の端にある階段を上って、なんとか日没寸前にブルジュ・ハリファの順光側に到着することができた。

近くから撮ると、ビルの上のほうなどピントが外れているし、良く分からない写真になってしまった感は拭えない。普通にドバイ噴水の湖畔からウォーターショーを見て、日没も眺めたほうが良かったと今になっては思うが、当時はこれが正解だと思っていたのだから、仕方ない。

日没後、メトロで空港へ戻り、シャワーなどを浴びて、ドバイ発東京成田行きのEK318便にて帰国の途に就いた。

ドバイから7,980km、東京へ着いたのは8月29日の夕方である。

2018年8月2日の午後に関西国際空港を出発してから、実に27日ぶりの帰国となった。

成田空港からはスムーズに出国をすることができた。成田エクスプレスで横浜駅へ向かい、ひとまずは実家へと向かった。

同行者とは乗車列車が異なったので、別れを惜しむことも無く実にあっけない旅の終わり方になってしまった。ただ、ドバイからのエミレーツは日本人の客室乗務員が、日本のキャリアに乗っているかのように日本語で接客をしてくるものだから、異国を旅しているという感覚はドバイで終了済みだったという気はする。

これにて「シベリア鉄道・欧州遠征」完結。

旅を振り返って

この旅行はもう4年以上も前のことである。

2018年のこの旅行は、管理人にとって初体験の多い旅行だった。第一に4週間も出国しているのが初めてだったし、ロシアに行くのも、シベリア鉄道に乗るのも、Eurail Passを使うのも、ICEもTVGも乗るのが初めてだった。

この旅行がなければ、翌年の夏も4週間の旅行を計画し、カザフスタンに行くことも、ウクライナに行くことも無かっただろう。様々な形でこの旅行は管理人に影響を与えたと思っている。

しかし、振り返って思うのは、写真のことだ。ブログを書いていて、なぜもっと写真を撮らなかったのだろう、なぜスマートフォンの写真で済ませてしまったのだろうと残念に思うシーンが多々あった。今回紹介した、コルマールから帰国までの数日間はその最たるものである。

勿論、ある場所に行ったという事実は変わらないし、思い出も残っている。しかし、撮り足らなかった写真を後から再訪して撮り直せばよいという話ではない。

2019年末からのCOVID、2022年2月からのロシアによるウクライナ侵攻で多くが変わってしまった。

ゼロコロナ政策を継続する中国は、気軽に訪問できる国ではなくなったし、ロシアに行き、鉄道を撮影しようとは思えない状況だ。サンクトペテルブルクとヘルシンキを結ぶ特急アレグロ号に至っては、廃止されてしまった。(厳密に廃止届が出たのかは不明だが、フィンランド国鉄の資産は除却されたようだ)

旅行先のあらゆるシーンを写真に残すべきであるのは疑う余地のない事実だ。時間があれば面倒がらずに一眼レフを取り出すべきだし、慌ただしくてもスマートフォンで記録を残すべきである。

約2週間後にはラトビアに向けて出発する。ひょっとすると、今回こそ、ソビエトの機関車を撮影できる最後の機会かもしれないという想いで、記録を残したいと思う。

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