書類上では昭和48年(1973年)10月 秋の改正で関西本線は無煙化された事になっていますが、実際にはDD51の配属が上手く行かずに昭和48年10月に入っても暫く細々と奈良区のD51が荷物列車や貨物列車を牽いていました。 私は何でその情報を得たのか?記憶も訪れた日も定かではありませんが、半信半疑で関西本線を訪れることにした日の事です。
関西本線に蒸気機関車の「さよなら列車」が走った事がテレビニュースで大々的に放送されたので、さすがに他の撮影者に出会う事はありませんでした。ただ沿線でカメラを構えていると地元の親切な方の何人かからは すまなさそうに「もう蒸気機関車は無くなったよ」と声を掛けて戴き、暫定的に一部にまだ蒸機列車が残っていることを説明するのに苦労した記憶があります。
さて、当日は関西本線に行くときに何時も降りる加太駅ではなく、大阪からは一つ先の関駅まで行き、加太までの一駅を歩くことにしました。
撮影日 : 1973年10月
D51463が牽く荷41レが関を発車します。
ハザ掛けの田園風景が広がる長閑な風景を撮ることができました。
関西本線 関-加太
上の一枚を撮っただけでも行った甲斐がありました。
加太川に沿って荷物列車の44レがやって来ました。
関西本線 加太- 関
後補機のD51は足回りをクローズアップで
関西本線 関-加太
唯一のD51貨物が峠を下って来ました。
この貨物にはD51の後補機が付いてたので今思うと柘植側で撮ったほうが良かったですね。
関西本線 加太- 関
何かのイベント列車で使用されたのでしょうか?
荷44レは赤プレートで過度な装飾のD51940が牽引
関西本線 加太- 関
荷44レで行ったD51940が荷45レを牽いて帰って来ました。
一日に数本しかない蒸機列車をわざわざ撮りに来たのに、どうしてこんな厚化粧の機関車が来るのだろうと運のなさを嘆いたものでしたが、復活蒸機の常軌を逸した装飾を考えたら随分と贅沢なことを思っていたものです。
関西本線 関-加太
前述のようにどこで情報を得たのかは忘れてしまいましたが、50年ほど前の記憶などはどんどんと薄れてしまいますので、時々こうして写真を焼いておくのも大事ですね。
最後まで御覧戴いて ありがとうございました。