復活鉄から2度目の春、初めての単身赴任を宮崎で迎えた記録です。半鉄半漁の時代で日南線沿線の海岸へ投げ釣りに出かけていました。青島から南、比較的大きな港があった内海へも時々釣りに行きました。知多半島と同じ内海ですが、うつみ、ではなくつちうみという地名でした。青島から日南市へかけて太平洋に面した海岸線の国道では、当時、はるか東海ラジオの電波が入りふるさと名古屋を懐かしんだものでした。さて、今回の撮影は梅の花咲くトンネルを抜けてくる列車を撮影しています。

 

 

トンネルから顔を出したのはJR九州色のキハ40系でした。

 

 

C11だったら絵になったのに、当時、そう思ったに違いありません。

 

 

キハ40系単行の宮崎行きだったと思います。

 

 

内海駅へ到着しました。鉄道模型のジオラマのような駅でした。国鉄時代には交換設備程度はあったようですが、この時代には単線のみ使用の小さな駅になっていました。出入自由の無人駅だったと記憶します。2000年春の撮影ですから、それでももう22年も前の記録になりました。

  

(撮影:Canon iosKissⅡ)


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