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京都鉄道博物館にて鉄道開業150周年・梅小路蒸気機関車館開館50周年を記念して、かつての1等車 マイテ49形を″特別なSLスチーム号″として運行しています。
運転期間は10月6日 木曜日から11日 火曜日までの6日間で、京鉄博では「レールの上を走るマイテ49にご乗車いただける最後の機会に是非ご乗車ください!」とアナウンスしています。
今後はどのように保存展示するのかは明かされていませんが、構内運転も実施する予定は無いと宣言しているものと受け取れます。
マイテ49形は1938(昭和13)年に誕生した1等展望車で、1940(昭和15)年に開催予定だった東京オリンピックに備えての登場でした。
誕生当時の形式はスイテ37040形と付与されており、それまでの明かり窓があるダブルルーフとは異なり、近代的な丸屋根構造となっています。
また車内には換気ダクトが設けられるなど、後に冷房装置の取付を想定した設計となっていました。
1941(昭和16)年には形式称号改変が実施されて、他の展望車や客車と同様に新しい形式名が付与され、スイテ37040形はスイテ49形となります。
特急富士は大連航路に接続する神戸を過ぎると、下関までは夜間となることからスイテ49形は連結を外されていました。
その合間運用で、急行安芸の前身となる7・8列車(東京~下関)に、昼間区間となる京都~下関間において連結され、呉鎮守府および呉所属の艦船に赴任・出張する海軍士官の足となっていました。
太平洋戦争末期の特急列車廃止時には、全展望車を含む優等車両は戦災を避けて地方に疎開措置が取られ、輸送力増強の名目で三等車への格下げ改造の計画も立てられました。
しかし本土空襲が続く頃になると客車の改造をする余力も無くなり、1945(昭和25)年の敗戦により連合軍が進駐すると、疎開させていた優等車両は進駐軍に接収されます。
やがて連合軍に接収されていた車両も順次返還され始めますが、展望車の冷房搭載工事が始まった1949(昭和24)年には、スイテ49形はまだ進駐軍用列車として運行されていました。
1950(昭和25)年にスイテ49-2が返還されると、整備を行い特急はと用として使用するにあたり冷房搭載工事が施されてマイテ49-2と形式変更されましたが、車内がほぼ戦前のままで使用されました。
尚、スイテ49-1は1954(昭和29)年に返還され、整備の際に一等室の座席を1人掛けリクライニングシートに変更と照明を蛍光灯化し、他の展望車と同様に冷房搭載工事が行われてマイテ49-1となりました。
この整備によってマイテ49-1は最も近代的な姿を持つ展望車となり、1人掛けリクライニングシートは後の151系電車 1等室パーラーカーの設計ベースとなりました。
1956(昭和31)年の東海道本線全線電化完成の際には、俗に青大将と呼ばれる淡緑5号に塗装され、マイテ49-2はマイテ39-1・マイテ39-2と共に、特急つばめ専用編成となります。
ちなみに、マイテ49-1はマイテ58-1・マイテ58-2と共に特急はと専用編成となりますが、近代化工事が仇となりマイテ49-1は予備車でいることが多かったようです。
晩年はこの6両のみが運用に就いており、他の展望車は順次休車そして廃車となりましたが、その頃誕生した10系客車の食堂車オシ17へ改造された車両もありました。
しかし残存6両も1960(昭和35)年に特急つばめ・特急はとが151系電車に置き換えられ、展望車の定期運用は永久に消滅となりました。
その後の展望車は団体列車用となり、国鉄等級改変によって1等車の制度が無くなったため、形式称号も変更されマイテからグリーン車を示すマロテとなります。
しかし東海道新幹線が開業する1964(昭和39)年までには全車廃車となり放置車両となっていましたが、マイテ39-11が東京都の青梅鉄道公園に、マイテ49-2が大阪の交通科学博物館に静態保存されました。
ところが国鉄分割民営化直前にマイテ49-2は突然改修のうえ現役復活し、1987(昭和62)年3月31日夜の臨時列車″さよなら国鉄 こんにちはJR 旅立ち号″として、東京~大阪間を営業運転しました。
大阪着は4月1日で、マイテ49-2はそのまま JR西日本が引き継ぎました。
JRグループ化の後には、初の年末に広島~下関間で特急つばめのテールマークを掲げ、牽引機 EF58-150号機 + やまぐち号用12系5両 + マイテ492にて、快速ふるさととして12月26~31日に運転されました。
今回はホーム側からの写真をUPしました。
尚、特別なSLスチーム号はスハフ12形は自由席となっていますが、マイテ49形は事前予約の全席指定席で販売されていたものの、期間中の指定券は既に完売となっているようです。
※ 追伸
この本文には続きがあって、下書き保存していた文章にYouTubeのリンクと文章の書き足しをして″投稿する″をクリックしたものの、反映されずに公開となっていました。
① 快速ふるさと号の動画が、YouTubeにUPされている方がいるのを見つけたので、貼ってみました。
② 12系客車も貴重な存在なのですが、スハフ12はホーム側からしか撮れないので、今回はまずホーム側から撮影しました。
この2つの箇条書きが、本来は本文となっているはずでした。
-つづく-