国鉄514-4001
三菱MR430(1964年)
関西地方某所
2000年8月27日
三菱MR430を語る上で国鉄バスに導入された6輌を外す訳にはいきません。
国鉄バスでは1964年度に514-4001〜514-4003、1965年度には514-5001〜514-5003の6輌が導入されています。
国鉄車番より、最初の❺は全長8,600mm以上のもの、次の❶はシートの配列を指しこの場合はロングシート(横向きシート)を表します。
三桁目の❹はメーカー分類で、❹は三菱ふそうになります。ハイフンの次の4桁の最初の❹は導入年の下一桁で、残りは固有番号(何番目に導入されたか)を表示します。
落成当初の国鉄バス514-4002
三菱MR430(1964年)
富士重工業伊勢崎製作所(当時)
1964年
当初は大都市圏での輸送を検討して居ましたが、フルサイズのバス輸送が出来る場所がなく、1964年春に514-4001〜514-4003は国鉄中部自動車局近江今津営業所小浜支所に配属されて活躍を開始します。このうち2輌(514-4001・514-4002)は同年5月には国鉄近畿地方自動車局福知山営業所檜山支所へ転属となりました。
514-4003のみは唯1輌、九州へ渡り国鉄九州自動車局直方営業所へ転属、福岡2あ3246が付番されています。
福知山営業所転属後は、国鉄バス園福線(園部駅ー福知山駅・下山駅ー桧山)に使用されます。
福知山駅で出発を待つ桧山行き
三菱MR430(1965年)
1965年5月、514-5001〜514-5003が増備され、小浜車庫より転属してきた2輌と併せて5輌が揃い、このとき登録番号が京2い5271〜5275に付番されています。 当時、国鉄園福線は学生輸送が盛んで導入前は大型路線車を導入しましたが、ここで"真打ち登場"とばかりに三菱MR430を導入しました。
車内をよく見ると既に車内は満杯、更にバスの周辺には乗車待ちの学生が散見できます。
満杯の学生を運んだ三菱MR430も当時の国鉄バスと同じく車齢7年を以って引退(1964年式は1971年度、1965年式は1972年度)しました。次第に減る利用者に相応して後継車は導入されませんでした。
引退後、沿線に2輌が倉庫利用として引き取られました。1輌は1965年式でしたが程度はあまり良くなくて1970年代のうちに解体されてしまいました。
国鉄514-4001
関西地方某所
2000年8月27日
514-4001は1971年に引退後、山陰本線胡麻駅近くの畑で倉庫として使用されていました。バスファンの注目を集めたのが、バス趣味団体機関誌にレポートが上がっていた事でした。まだバス趣味に於いて黎明期でしたが改めて三菱MR430が知られ、エンスージストのO氏により引き取られました。旭川電気軌道の三菱MR430とともに幸いだったのがエンジンが残っていた事です。
三菱DB34ディーゼルエンジン
三菱DB34の写真は、この車輌のエンジンです。O氏は手弁当で修理をしましたがターボなどの部品入手が困難であり、この日は残念ながらDB34の咆哮を聴く事は出来ませんでした。
しかしこの保存車輌群の見学会は単にバスを見て終わりではなく、O氏や主催雑誌社の総力でのおもてなしや、バス以外にも様々な事を学べ、以降イベントやツアーの企画、バスや鉄道しか見て来なかっだ自分は以降、歴史や建物など幅広く視野を持てるようになりました。
車内はやはりロングシート、国鉄バスらしいブルーのモケットです。
国鉄514-4001
運転席
2000年8月27日
旭川電気軌道
旭2い・128
三菱MR430(1963年)
運転席
旭川電気軌道Twitterより
僅か14輌しか生産されていない三菱MR430ですが、ダッシュボードがまるで別車のようです。
通常では車体架装は異なっていてもメーター類はシャーシメーカーが用意するものなのですが、メーターが違ったり完全オーダーメイドなのでしょうか?
今回の廃バス🚌
①⑤④国鉄バス514-4001
京2い5271(推定)
三菱MR430(1964年)