第1504回('22) 中央本線辰野支線の全駅を制覇して『しなの』と新幹線で帰宅  | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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前回の続き…
 
2022年5月27日~5月29日、2泊3日の日程で駅数が多い飯田線の途中下車の旅へ出かけました。訪問駅数を稼ぐため金曜の夜に出発して豊橋で宿泊しました。
今回は未訪問の駅を少しでも減らすべく、1日目の土曜日は主に南側区間、2日目の日曜日は主に北側区間を降り鉄していきましたが、2日目は中央本線辰野支線の駅に惹かれてしまい、まだまだ飯田線内の未訪問駅を残した状態で帰宅しました。
きっぷは、前回と同じくJR東海区間は『JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ』(土休日の連続2日間有効。8,620円)を使用しましたが、元を取れたかどうか微妙な状態でしたw JR東日本区間は普通乗車券を使用しました。
 
また、私は3月に3回目のワクチンを接種済みでしたが、もちろんマスク・手洗い・アルコール消毒といった感染対策を徹底した上で、今回の乗り鉄を決行しました。
 
今回は最終3日目(日曜日)後半の内容です。
辰野駅まで到達後は、飯田線の降り鉄をせずに中央本線辰野支線西側区間の小駅2駅を訪問して塩尻駅へ移動しました。ここで降り鉄を終了として、中央西線特急『しなの』と東海道・山陽新幹線などを乗り継いで兵庫県加古川市へと帰宅しました。
  
今回の日程  2022年5月29日  (日)  【後半】   
 
辰野1100(中央本線辰野支線)1110小野1225(上り普通)1229信濃川島1248(下り普通)1306塩尻1406(中央西線・特急しなの14号)1607名古屋1626(東海道新幹線・のぞみ389号)1715新大阪1732(山陽新幹線・こだま863号)1755西明石1759(JR神戸線・新快速)1809           
  
【帰宅】   
  
辰野駅からはJR東日本管内の中央本線辰野支線の駅を訪問していくため、手持ちの『JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ』は使えません。また辰野支線は『Suica』を通過利用できるものの、両端の岡谷駅と塩尻駅を除き乗下車が不可能なので、私は自動券売機で小野駅までの乗車券を購入してから再入場し、既に停車していた11時00分発の下り普通・塩尻行きに乗車しました。701系と同じ顔のE127系100番台2連で、乗客は各車両5~6人ほどで少なかったです。また、東側はオールロングシートですが、西側はセミクロスシートになっています。私は後部車両のボックスシート進行方向窓側席に座りました。
 
 

 
塩尻行き電車は定刻に辰野駅を発車し、大きく右へカーブして飯田線と分かれます。その後は山間部を北上していきました。私はひたすら車窓風景を眺めていました。信濃川島駅を過ぎるとさらに山深くなり、左側車窓に一定規模の集落が現れると小野駅に到着。私は下車しました。小野駅は2面2線(以前は2面3線)の駅で、かつての本線輸送の名残でホーム有効長が長かったです。西側にトタン屋根の木造駅舎があり、簡易委託駅なので出札窓口が営業していました。駅前は住宅地で、その駅前を通る国道153号は通行量が多かったです。また、駅西側にある「みさき食堂」にはひっきりなしに客が出入りしていました。レモンラーメンが有名だそうです。
 
 

 

 
そんな店があるとは知らなかったので、私は駅の待合室にて朝に飯田のコンビニで買ったパンを食べて、昼食としました。食後は出札窓口で信濃川島駅までのきっぷを購入しましたが、信濃川島駅は小野駅から最も安い運賃で行ける駅かつ両駅間を行き来する需要は非常に少ないはずなので、キセルと怪しまれたかもしれませんが…。その後はホームへと移動し、しばらく待っていると塩尻方から12時25分発の上り普通・辰野行きがやって来ました。先ほどと同じE127系100番台2連で、私は先頭車両のボックスシートを独占しました。車内はガラガラでした。道中は先ほどと同じ車窓風景をもう一度眺めて過ごし、次駅の信濃川島駅で下車しました。横川の橋梁上にある1面1線の駅ですが、東側にあった上り線ホームは撤去されています。しかし上り線ホームのさらに東側にあった待合室(元駅舎か?)が残っているため、ホームと待合室が相当離れているという状態になってしまっています。また、駅前に民家はほとんどなく、集落から離れた駅であるため、当駅の乗車人員は中央東線の中で最少となっています。
 
 

 

  
無人駅の信濃川島駅ではきっぷを買えなかったため、そのままホームへと戻り、12時48分発の下り普通・塩尻行きに乗車しました。E127系100番台2連で、乗り込んだ先頭車両のボックスシートを今回も独占できるほど車内はガラガラでした。乗車時には整理券を受け取りました。道中は車窓風景を眺めて過ごしました。小野駅では数人が乗車してきましたが、車内はガラガラ状態のままでした。小野駅を発車後は善知鳥峠を越えて、右に「みどり湖」経由の中央本線新線を見下ろしながら盆地へと下り、その新線と合流すると定刻の13時06分に終点の塩尻駅に到着しました。久しぶりに人が多い駅へとやって来ました。
 
 

 

 
塩尻駅では次に乗車する列車まで時間があるため、一旦改札を出ました。最初に指定席券売機で乗車列車の特急券を購入してから待合室へと移動し、室内にある売店でお土産と飲料を買ってからベンチでしばし休憩しました。駅自体は前年の2021年に観察しているため、今回はパスしました。そして発車時刻が近付くと席を立って再入場しましたが、その際に有人改札で駅員に『JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ』を提示すると、当駅はJR東日本の管理駅であるため駅員がこのきっぷの存在を知らず、私はJR東海のフリーきっぷである事を説明してようやく改札を通過できました。分割民営化の弊害か…と思いつつ5番線ホームへと移動し、少し待つと長野方から14時06分発の中央西線特急『しなの14号』名古屋行きが到着しました。383系2連+6連で、今回は指定席を選択したため、4号車(前から5両目)に乗り込みました。私は進行方向左側の窓側席に座りましたが、車内を見渡すと大半の窓側席と一部の通路側席が埋まる乗り具合で、日曜午後の列車にしては乗車率が低い印象でした。コロナ禍の影響が大きいです。
 
 

 
『しなの14号』は定刻に塩尻駅を発車し、木曽谷へと分け入っていきます。単線区間も多く残っており、速度が上がらない区間も見られました。私はひたすら車窓風景を眺めました。宿場町である奈良井を過ぎて鳥居峠を越えると信濃川水系から木曽川水系へと変わり、太平洋側へ向けて下っていきますが、木曽川や谷の景色は右側車窓に偏っていて、左側はしばらくの間つまらなかったです。しかし、南木曽駅を過ぎると左側でも木曽川が見られるようになってきて、私は再び真剣に車窓風景に見入りました。そして田立駅を過ぎると岐阜県に入り、木曽川と別れて東濃地域の山あいを西へと走ります。多治見駅発車後は土岐川~庄内川の深い谷に沿ってトンネル主体で走行して愛知県に入り、高蔵寺駅からは次第に都会の景色へと変わっていきました。最後は名古屋市街を半周し、定刻の16時07分に終点の名古屋駅に到着しました。
 
 

 
名古屋駅では東海道・山陽新幹線に乗り換えて帰宅しますが、名古屋までの乗車券は『JR東海&16私鉄 乗り鉄☆たびきっぷ』を利用していました。米原まではこのきっぷを利用できるものの途中下車が必要、さらに特急券は区間内~区間外の通しで買えないなど制約が多いため、今回は『スマートEX』を利用する事にして、一旦改札を出て再入場しました。そして16時26分発の下り『のぞみ389号』新大阪行きに乗車しました。車両はN700A16両編成で、JR東海所属のG49編成でした。私は1号車自由席に乗り込み、3人掛けの窓側A席に座りました。窓側席が埋まる程度の乗車率で、やはりコロナ禍の影響で空いていました。コロナ禍以前の日曜夕方の列車は乗車率が高く、名古屋から自由席の窓側席に座れる確率が低かったですから…。道中は車窓風景を眺めつつスマホを操作して過ごし、わずか49分の乗車で終点の新大阪駅に到着しました(17:15着)。
 
 

 
新大阪駅では南端の単式ホーム(20番線)へと移動し、17時32分発の『こだま863号』博多行きに乗り継ぎました。JR西日本所属の500系V8編成8連で、私は最後部8号車自由席に乗り込みました。乗客は少なく、窓側A席に座りましたが、一番後ろにある子ども用の疑似運転台には家族連れが2組いました。この列車でも車窓風景を眺めながらスマホを操作して道中を過ごし、17時55分に到着した西明石駅で下車しました。
 
 

 
西明石駅では早歩きで構内を移動し、中間改札を通って在来線2番のりばへ。4分の接続で17時59分発のJR神戸線下り新快速・播州赤穂行きに乗り継ぎました。225系8連+223系4連で、私は先頭1号車(225系)に乗り込みましたが満席で、立席になりました。トイレ脇に陣取り、道中はスマホを操作して過ごしました。そして私は次の停車駅である加古川駅で下車しました(18:09着)。
 
 

 
翌日は仕事なので、加古川駅で下車後は自宅へ直行しました。
 
これにて変則2泊3日の飯田線乗り鉄・降り鉄旅行を終えましたが、実は2日後の5月31日夜に湯谷温泉~三河槙原で落石が発生し、完全復旧は6月20日と、影響が長引きました。不通区間には代行バスを運行していましたが、もし今回の乗り鉄計画が1週間後にずれていたら、落石による行程への影響は必至で、延期していたかもしれません…。
 
 
(つづく)
 
 
今回の新規踏破路線、新規探訪廃線跡はありません   
 
 
(参考:Wikipedia)