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テーマ:鉄道(21804)
カテゴリ:九州新幹線
諫早駅(いさはやえき)は長崎県諫早市永昌町にあるJR九州・島原鉄道の駅です。
JR九州の長崎本線と大村線と西九州新幹線、島原鉄道の島原鉄道線の計4路線が乗り入れている駅です。 長崎本線の諫早駅と長崎駅の間は運転本数が多く設定されています。 長崎本線の新線(市布経由)を通る列車は、普通列車が毎時上下各2本程度であり、ラッシュ時間帯以外で毎時上下各1本程度のピストン運転。 また、佐世保・大村線直通の快速列車も毎時上下各1本設定されています。 逆に、長崎本線の上り湯江駅・江北駅(旧・肥前山口駅)方面は普通列車が毎時1本程度で、昼間の時間帯によっては3時間程度普通列車の運転間隔が空きます。 大村線に関しては快速列車と普通列車がそれぞれ毎時各1本ずつの運転となっています。 1898年(明治31年)11月、九州鉄道長崎線の駅として開業しています。 1911年(明治44年)8月、島原鉄道の諫早駅~本諫早駅の間が開業。諫早は地形的に島原への入り口になりますが、国有鉄道に13年ほど遅れてこの諫早駅から島原方面へ向かう島原鉄道が開通しました。 2022年(令和4年)9月、西九州新幹線が開業。 新幹線が開業する以前は博多から”特急かもめ”が長崎駅まで走っていて、この諫早駅に停車する姿を見ることができましたが、新幹線開業後は長崎本線の肥前鹿島駅までしか在来線の特急が走らなくなってしまったため(特急かささぎ)、新幹線は停車する駅になりましたが、電化設備も撤去され在来線の特急列車は見ることができない駅になってしまいました。 現在の駅舎は3代目で、東口(永昌東町)と西口(永昌町)を結ぶ自由通路と接続した橋上駅舎となっています。 先代の2代目駅舎は1934年(昭和9年)竣工の木造2階建てで、外観は2か所の出入り口部のみ上った上屋軒先に、駅舎内も構成的な意匠が施された柱や梁、折り上げ天井の待合室など、洋館風のモダンなものでした。 諫早駅のホームは西九州新幹線は2面2線、在来線は2面4線となっています。 JR九州の2019年度(令和元年度)の1日平均乗車人員は5134人です。 長崎県内の駅では長崎駅に次いで、長崎本線では佐賀駅、長崎駅に次いで3番目に利用者が多い駅ですが、西九州新幹線開業によりその順位にも変動があるかもしれませんね。 諫早という場所を見れば、長崎県の中央部に位置し、周囲を有明海、大村湾、橘湾の3つの海に囲まれ、長崎県内の交通結節点としての役割を持っています。 北は多良山系の山地が聳え、西側は長崎半島の、南側は島原半島のそれぞれ付け根となる場所です。 北東部は北西部で大村湾・東側で有明海(諫早湾)・南側で橘湾の3つの海に囲まれています。 東部の諫早湾では古くから干拓が進められ、平成時代の初期には国による諫早湾干拓事業も行われたことで、長崎県では数少ない平野地形が広がり、この干拓地は県下最大の穀倉地帯となっています。 隣の佐賀県では佐賀平野・白石平野など平野が多くみられ”米どころ”ですが、長崎県は山が多く諫早のようにまとまった平野が見られるところは長崎県ではなかなかないのではないでしょうか。 諫早の名物のひとつとして「諫早おこし」がありますが、”おこし”というのは加工した穀物を飴で固めた和菓子の一種で、干菓子の一種で、おこし米などともいわれています。 「諫早おこし」は江戸時代、長崎の米どころであった諫早の地においてうまれました。 江戸時代ではそれぞれの藩の豊かさは”石高”=どれだけ米を生産できるか、で決まっていました。 余った米を菓子にできるということは、諫早の土地が昔からそれだけ豊かだったということでしょうね。 また、長崎街道沿い、いいかえればシュガーロードにある途中の場所であったということも「諫早おこし」が作られた要因のひとつだと考えられます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.09.16 14:27:01
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