東海道ブルートレインの一つだった寝台特急「瀬戸」は、1988年の瀬戸大橋開通後もかつて東京機関区にいた田端運転所のEF65 1000番台(PF)が高松まで直通し、現在の「サンライズ瀬戸」に変わる98年まで変わらぬ活躍を見せていました。


「瀬戸」「出雲」「彗星」などの東海道・山陽筋の運用は、主に後期型の品川運転所常駐機(1098〜1116・1118号機)が担っていましたが、90年代前半の一時期は新しい保安装置ATS-P形の搭載工事の関係で、田端本所のPF形が車両不足を補う応援のため回ってきていました。その中には、旅客会社では珍しかった中期型の1053号機も入っていました。


 

寝台特急「瀬戸」をけん引して東京駅に入線するEF65 1053号機。ブロック式でないナンバー、PS17形パンタグラフ、スノープラウ付きの姿でした=1993年


 

田端運転所に所属していた同じ中期型の1052号機は東海道・山陽筋の運用によく入っていたためか、PS22形パンタに換装しスノープラウを外すなど装備を後期型に合わせていました。一方、1053号機は中期型のスタイルを維持していて、いつもと違う「瀬戸」は新鮮でした。


私がブルトレをけん引する1053号機を見たのはこの時だけで、その後のことは全く分かりませんが、品川常駐組へのATS-Pの搭載が完了する頃までには応援運用を終えていたと思います。もしくは品川に回ってくる機関車は、定期的に交替していたのかもしれません。


1053号機は2001年に廃車となりましたが、私としては同機の「瀬戸」は、花形運用に入った貴重なシーンでした。

 

 

 

 

※田端運転所(品川常駐)のEF65PFは以下の記事でも紹介しています

 

 

 

 

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