「57.11改正に向けてラストスパートをかける列車や車両」の第7弾はこちらです。

 

 

寝台特急「北星」です。

急行時代から延々と上野-盛岡間を往復した列車でしたが、その存在は極めて地味。日中は特急「やまびこ」がいたし、「少しでも安く・・」というコスパを重視するのであれば、急行「いわて」と「もりおか」があり、さらに「いわて」には夜行便も設定されていたので、何が何でも「北星」に乗るんだという人は少なかったのでは? と思います。

 

特急に格上げされたのは昭和50年3月で、20系客車を使用しての運転開始でしたが、同時デビューだった「北陸」と共通運用が組まれました。これは、向日町運転所(大ムコ)から品川客車区(南シナ)に24系客車が転配されて、「はやぶさ」「富士」「出雲」に投入されるのですが、その玉突きで尾久客車区(北オク)に弾き出された20系客車を活用したもの。「北星」も「北陸」も(寝台特急としては)短距離運転のため食堂車は連結されませんでしたが、SLブーム去った後のブルートレイン人気に肖って、地味だった「北星」と「北陸」の乗車率をテコ入れしようという狙いがあったのかもしれません。でも、スジ的には急行時代と大差なく、特急料金をブン取られるだけの、事実上の「値上げ」ということで、その狙いは逆効果でした。

運転開始当初の「北星」は、新聞輸送も兼ねていたので、上野-仙台間(下りは長町まで)でパレット荷物車のワサフ8000(20系対応の8800番代を別途、新製)を連結していました。急行「天の川」にスユ16を連結していた例とともに、20系客車の「珍百景」として特筆されています。

基本的に上野方にワサフ8800は連結されるので、画像でも機関車の次位に連結されていると思われます。

 

 

昭和53年10月、いわゆる「ゴーサントー」改正で14系客車に置き換えられます。これも「北陸」と一緒。確か、「ゆうづる」の24系化に伴って、14系化が実現したと記憶していますが、それは記憶違いで、実際は「あかつき」の14系15形化で余剰となった早岐客貨車区(門ハイ)の14系14形は全て尾久に異動、「北星」「北陸」、そして「ゆうづる」の14系化が実現したというのが正解です。

14系に置き換わったことで少しでも「北星」の人気を盛り立てようという魂胆が見え見えなわけですが、事態は好転しませんでした。それでも、夜行移動が基本だった出張サラリーマンには有り難い列車であったのは確かです。でも、どちらかといえば東北で出張といえば仙台が中心だったわけで、盛岡への出張は限られていたはず。しかも仙台は通過(運転停車)だし、仮に停まったとしても真っ暗だし、「旨味があるか無いか」と問われれば、「無い」と答えるしかないですね。

なお、この改正では、上野-黒磯間の牽引機がEF65PFに置き換わっています(その前はEF58)。

 

そんな立ち位置ですから、ダイ改の度に去就が取り沙汰されまして、それでも55.10、56.10と比較的規模の大きいダイヤ改正でも乗り切った「北星」。しかし、さすがに57.11では延命を維持することが出来ず、廃止の憂き目に遭います。本来ですと、東北新幹線が開業した6月23日で廃止されるべきだったのでしょうけど、6.23はあくまでも「暫定開業」で、ダイヤも暫定ダイヤだったこともあって、首の皮一枚残存が決まりました。

 

昭和50年代の前半から中盤にかけて、ブルートレイン人気が最高潮に達していたのは「昭和の鉄道ファン」なら誰でも知っている史実ですが、それは表向きであって、実は斜陽化の一途を辿っていたのもまた事実。50.3改正では「北星」「北陸」の他にも、「いなば」「紀伊」、そして「安芸」が次々に寝台特急化されます。しかし、どの列車も急行からの格上げで、ブルートレインになったからといって人気がうなぎ登りになるはずもなく、前述のように「急行時代の方が良かった」という列車が大多数。53.10改正では早くも「安芸」が廃止され、「いなば」は「出雲」に改称して本筋の「出雲」のフォロワーとして機能していくことになりますが、その他は頭打ちで、特に新幹線網と航空機網の発達によって関西ブルトレは増減が著しく、整理しないと増えたんだか減ったんだか判らないのが現状でした。実際に乗っても「寝台が窮屈だ」とか、「食堂車の料理が高くて不味い」とか、何よりも「寝台料金を含めた運賃が高い」とか、酷評の方が多く耳にするようになり、選択肢の多様化によってブルートレインが選ばれなくなり、55.10、56.10、57.11、59.2、そして60.3・・・とブルートレインは次々に数を減らしていきます。「安芸」「北星」「紀伊」の廃止はそれを見せしめるための措置だったのかもしれませんね。

 

今、夜行移動が再認識されて「ブルートレインの復権を」という声もあるようで、私も諸手を挙げて賛成したいのですが、以前お話ししたように、JR各社の夜行列車に対する温度差が違いすぎて、「賛」か「否」かと問われれば、「否」の方が多いと思います。JRとしては、「夜行移動はバスに任せておけ」という考えなんでしょうね。

 

 

【画像提供】

1枚目:タ様

2枚目:ウ様

【参考文献・引用】

鉄道ピクトリアルNo.791

鉄道ピクトリアル別冊「国鉄形車両の記録 20系固定編成客車」

(いずれも電気車研究会社 刊)

日本鉄道旅行歴史地図帳第2号「東北」 (新潮社 刊)

時刻表各号