415系と瑞風 / さよなら東海顔交直流電車 | 安芸もみじ / Historys, Trains, Townbikes - Hiroshima JAPAN

415系と瑞風 / さよなら東海顔交直流電車


9月最後の日は、今月23日に開業した西九州新幹線のダイヤ改正で、経年により用途廃車となった415系の100番台・500番台をUPします。

JR旅客6社で最後の砦となっていたJR九州から、東海型フェイスの交直流電車が引退し、遂に残るのはJR西日本の直流電車 113系 115系のみとなりました。

153系から脈々と受け継がれてきた国鉄の伝統デザインの終焉に、もう目前となった一抹の寂しさが残ります。



今回の写真は最終営業日の9月22日ではありませんが、トワイライトエクスプレス瑞風と合わせて撮影した下関駅での6月20日です。

この日は瑞風の運行開始5周年記念セレモニーが催された日ですが、この時が東海型フェイスの415系と会った、最後となってしまいました。

新旧415系と115系そして瑞風との共演シーンを見ながら、終わり行く一時代を懐かしみたいと思います。



今回のJR九州のダイヤ改正は2018(平成30)年3月17日改正以来、約4年半弱ぶりで西九州新幹線部分開業に伴う長崎本線を主軸に、鹿児島本線・日豊本線などダイヤ修正の他、山陽本線でも大規模なダイヤ改正が行われました。

新幹線開業により並行在来線は、JR九州が第一種鉄道事業を廃止として第二種鉄道事業者となり、一般社団法人佐賀・長崎鉄道管理センターが第三種鉄道事業者となりました。

上下分離式による在来線存続となったことにより、JR九州の車両に余剰車が発生するので、老朽化が進んでいる国鉄時代の車両の内、車齢の古い415系鋼製車体の電車を全廃することとなりました。



交直流直通電車はJR九州には415系しか存在しないため、ダイヤ改正以降は新湘南フェイスとも呼ばれる211系と同じ顔立ちの、ステンレス車体電車の415系1500番台によって運行されます。

しかし東海型フェイスの415系鋼製車体電車が全廃されたことにより、関門区間運用の小倉での系統分割が進められました。

下関始発の日豊本線直通列車はこれまでの9本から朝の1本に、日豊本線からの下関行きは11本から朝の2本のみに、鹿児島本線方面では早朝に1.5往復3本のみとなりました。



これらの処置は、ワンマン対応していない415系1500番台の運用を限定することで、日豊本線にて最大6両編成によるワンマン運転を実施して人件費削減に繋げるため。

日本人の人口も急速に減少している実情もあり、これからますます増大する労働力不足にも対応しなければならない対策です。

そういった諸事情を反映させて、南福岡区から817系2両編成を鹿児島エリアに、813系3両編成を大分エリアに、821系3両編成を熊本エリアにそれぞれ転属して運用開始が始まっています。



415系電車は1971(昭和46)年~1991(平成3)年に488両製造された形式で、東海型フェイスの415系電車は1978(昭和53)年~1984(昭和59)年に九州へは投入されました。

元々は401系・421系電車として誕生した交直流電車で、401系は1961(昭和36)年の常磐線 取手~勝田間の交流電化、421系は山陽本線 新山口~下関間直流電化と鹿児島本線 門司港~久留米間の交流電化のために設計されました。

西日本仕様の421系の新製配置は南福岡電車区(現:南福岡車両区)でしたが、最初の試運転はすでに北陸本線で実施され、その後九州での各種試験運転を実施しました。



ところが営業運転開始後に関門トンネルや海岸線沿いを運転した際、付着する海水の塩分や塵害による汚損などにより、碍子の閃絡事故が相次いで発生したため、一部列車は客車や気動車で代走することが多発したようです。

また421系は近郊型普通列車用電車として設計そして誕生したものの、中には特急列車として運用に就いた3両がいました。

それはサヤ420として誕生した形式で、1964(昭和39)年に東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正において、直流電車として製造されてた151系特急型電車を、交流電化区間へ直通させるために製造されました。



山陽本線は直通電化区間で新大阪~博多間は門司駅構内デッドセクションが介在し、九州島内は交流電化区間であったため、そこを直通運転するために誕生したのが421系で、直流電車の151系は九州では走れないため機関車で牽引しながら車内へ照明や空調などのサービス電源用電車として機関車と151系の間に連結されました。

やがて直流運転可能な481系が完成するとサヤ420の役目も終わり、1966(昭和41)年にモハ420として本来の普通列車へと戻りましたが、415系グループで唯一ですが、特急つばめ・はとの運用に就いた変わり種でした。

元サヤ420はモハ421-21~23へとなりましたが、後に全車冷房化改造が施工されたものの、JR化後に811系・813系と置き換えられて、1993(平成5)年~1996(平成8)年にかけて全車廃車となりました。



産業界では電気製品の技術も進化し続けて、西日本でも東日本でも使用できる家電が普及してくると、鉄道車両も東西交流区間と直流区間を運転できる3電源車両が標準形となります。

401系は403系へ、421系は423系へとバージョンアップしていましたが、3電源方式を搭載した統一形式として誕生したのが、415系でした。

実際には国会で予算通過しなかったため実施されませんでしたが、新時代に相応しい更新工事を行って401系と421系は411系へ、403系と423系は413系へ形式変更する計画があったため、411系と413系の型番は飛ばされての415系の形式名付与でした。





415系は特にさよなら運転などは行われませんでしたが、9月22日に「415系白電ラストラン!」「最後の運行を終え、大分車両センターに入庫する列車のお見送りイベントを開催いたします」「20:46着~20:53発 大分駅4番のりば」との案内があったようです。

その様子はTwitterのリンクを上に貼らせて頂いていますが、参加は入場券のみで良いものの、駅到着後にはドアを締めるため、車内見学などは不可と注意喚起もあったそうです。

記念きっぷの発売もあったようですが、惜別運転は事実上 日豊本線で運転された9月9日・門司港 22時29分発~鹿児島中央 9時41分着、10日・鹿児島中央 21時19分発~門司港 7時58分着の、「415系夜行急行『日南』号の旅」となりました。

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