その3(№5938.)から続く

今週は異例のダブルヘッダーでございます。


7000系「パノラマカー」の登場により、鉄道趣味界のみならず一般社会にも絶大なインパクトを与えた名鉄。
その後も7000系の増備は続きますが、その過程では、7000系の派生バージョンがいくつか登場しました。今回は、そのような「パノラマカー」の派生バージョン、兄弟車列伝ということにいたします。

【7500系】
7000系「パノラマカー」の改良バージョンといえる車両。昭和38(1963)年から登場。
前面展望構造は7000系と同一だが、最大の差異は高速性能の向上を図り定速制御装置を採用、さらには回生ブレーキを採用したこと。
その他外見上の差異は、低床構造を採用しているため他の7000系列よりも床面が低くなっている(990mm)。7000系では展望室の方が一般客室よりも一段下がっていたものが、7500系では同じ高さになっている(7500系では展望室と一般客室とで側窓の下辺が揃っている)。また、7000系と比べると、運転台部分の飛び出しが7000系よりも大きいため(これは、運転台の高さを7000系と揃えたため)、先頭車を見ると容易に見分けることができる。
低速制御装置は効果が薄く、回生ブレーキは列車密度・変電所容量ともに低い支線区では無用であるばかりか有害ですらあったため(実際に西尾線入線時に回生ブレーキを使用した際、変電所のヒューズが飛んで停電し、運転不能になったことがある)、名古屋本線などの本線系線区でしか運用できなかった。また、7500系はメカニックの特殊性から他のSR車(初代5000系以降の高性能車の総称)との混結が不可能であり、これらにより運用上の制約が他の系列よりも大きく、次第に使いにくい車両に成り下がっていった。
決定打は空港線の開業で、空港線各駅はバリアフリー対応のため、従来の990mmのホーム高さを当初から1070mmにしていた(既存各駅も順次1070mmに改修中だった)。このため、床面高さ990mmの7500系が空港線へ入線すると、同線各駅でホームと車両の間に逆の段差ができてしまい、乗客が危険に晒されるということで、同系は空港線入線が禁止になってしまった。これにより、名鉄は運用上の桎梏が多すぎる7500系を退役させる方針を固め、空港線開業と同じ年の平成17(2005)年、7500系は全車退役、廃車となった。本家の7000系よりも4年も早い退役となっている。
なお、廃車後の機器類は1030系などに流用された。

【7700系】
次項の7300系の2年後、昭和48(1973)年に登場した、言わば「貫通型パノラマカー」。貫通型であり、前面展望構造を有していない。これは、支線区直通など7300系と同じ用途のため。
当時の名鉄では、旧型車の置換え(更新)を車体新造・機器流用で行う方針をとっていて、7300系もその方針に従って登場した車両であるが、完全新造車を望む声が高まっていたことから、旧型車の機器流用ではない完全新造車としての「貫通型パノラマカー」として製造されたもの。
前面形状は7300系と異なり、国鉄の「東海型」に類似した半流線形であり、かつ貫通扉の窓と扉両側の窓の下辺が揃っているため、7300系のような鈍重な印象はなく、むしろ精悍な印象を与えるものとなっている。
7700系は7500系以外の全てのSR車(初代5000系以降の、7000系などの高性能車)との混結が自由自在であったため、運用の自由道が高く、晩年まで三河線のワンマン運転用などとして重用されていた。
退役は本家「パノラマカー」の翌年、平成22(2010)年のこと。他社へ譲渡されたものはない。

【7300系】
昭和46(1971)年、前面展望構造の「パノラマカー」が入線できない支線区直通の特急用として登場した系列(当時の支線区では通票閉塞を行っていた路線があり、そのような路線には高運転台の『パノラマカー』は入線できなかった)。前項の7700系よりも、登場は2年先んじている。
7700系と同じ前面貫通型で前面展望構造を採用してはいないが、固定窓・連続窓構造、完全空調完備、一部を除いて転換クロスシートを備えるなど、7000系と同等の車体・内装を備えている。ただし先頭形状は、パノラミックウインドウを採用しているものの正面は平べったく、しかも貫通扉の窓の下辺が下がっているため、鈍重あるいは野暮ったい印象を与えるものとなっている。
他の7000系列と決定的に異なるのは、足回りが吊り掛け式であること。これは、当時大量に在籍していた旧型車両の更新を兼ねてこの車両を投入したためで、実際には新造車ではなく車体更新車である。
この車両は前面展望構造ではない上に吊り掛け駆動であったため、会社は「セミパノラマカー」と称していたが、「似非パノラマ」「パノラマもどき」「変形」などと、あまりありがたくない愛称をいただいていた。後年には「吊り掛けパノラマ」と鉄道趣味界で呼ばれていた。
7300形は平成9(1997)年に全車が退役、その後豊橋鉄道(豊鉄)に移籍するが、居住性が大幅に向上したものの、2扉転換クロスのため乗降性は悪く、特に朝晩のラッシュ時を中心に遅延が頻発したため、豊鉄では僅か3年で元東急7200系に置き換えられることになった。豊鉄でも平成14(2002)年までに全車が退役している。

…とこのように、本家「パノラマカー」ばかりではなく、「パノラマカー一族」が覇を競った名鉄。
しかし、かつて土川氏が理想とした「快適な車両」は、ラッシュ時の混雑という現実の前にはあまりにも無力でした。乗客が多いのであれば編成両数を増やせば対応できますが、乗降性ばかりはどうしようもありません。それが3扉車、具体的には東急3700系の導入(3880系)やその後の6000系の導入につながっていくわけですが、2扉であるが故の乗降性の悪さ、転換クロスシート装備による立席スペースの少なさは、後年まで「パノラマカー一族」について回る桎梏でもありました。
結局、このような現実に屈せざるを得なかったこと、そして「パノラマカー一族」の車齢自体が高くなってきたこと、特に7500系は運用上の制約があまりにも多かったことなどで、退役が進められることになってしまいました。
本家「パノラマカー」7000系は平成21(2009)年までに全車が退役、その翌年までには全ての「パノラマカー一族」が退役に追い込まれています。「パノラマカー一族」ばかりではなく、「パノラマカー」のDNAを有し、最後のSR車と称された2扉・転換クロスシートの5700系・5300系も、令和元(2019)年までに全車が退役、これにより2扉車は特別車に限られることになりました。
それでも有料特急には前面展望構造を持つ車両が充当され続けていますが、それも世代交代が図られています。


追ってこれらの「新世代パノラマカー」も取り上げますが、その前に小田急ロマンスカーの発展と、東武・長電などの幻の前面展望車両の計画、さらに国鉄~JRにおける前面展望車両の展開を取り上げてからにいたします。

その5(№5944.)に続く