その2(№5928.)から続く

アップが遅れてしまいましたので、本日9月30日に記事を2本続けてアップします。


前面展望車両列伝の第2弾は、鉄道趣味界ならずとも一般社会で絶大な認知度を誇る、小田急のロマンスカー。その2代目車両、「NSE」こと3100形を取り上げます。

小田急ロマンスカーにおける前面展望車両の構想は、古くは1700形のころからあったとされています。しかし1700形の投入時は、今から考えると信じがたいことですが、「特急専用車の投入は設備投資として過大である」という意見が車内で根強かったもの。これは当時の特急の利用率が、平日と土休日では現在よりも顕著な差があったからですが、そのような意見に配慮した結果か、特急専用車両を投入すること自体は決定したものの、総投資額を抑える策がとられました。具体的には、戦災車両の復旧名義で車体を新造したこと。これは東急3600系などと共通する手法ですが、このような手法をとって導入された車両に、前面展望車両など望むべくもありません。もっとも、1700形の名誉のために付言すれば、全3編成のうちそのような経緯で製造・投入されたのは2編成で、3編成目は完全新造車として投入されています。3編成目投入のころになると、特急の利用率も好調になってきて、もはや特急専用車を導入することが設備投資として過大であるという意見は、社内でもほとんど消え失せていました。
その後、数年後の一般車への格下げが前提とされた2300形を別とすれば、あの3000形「SE車」にも前面展望車両の構想がありました。しかしこれは、SE車が徹底的な軽量化を指向したことなど諸般の事情により叶わず、3000形登場の6年後に登場した3100形「NSE車」によって実現を見ることになります。

そもそも3100形が世に出たのは、小田急の中の人が特急列車を増発したかったから。当時の小田急では、SE車8連×4本で特急運用を賄っていましたが、これだと1時間に1本が限度となっていました。しかし、当時は景気の向上と同時に箱根方面への観光客も右肩上がりで増え続けていて、特急列車は休日を中心に満席が続出、特急券はプラチナチケットと化していました。
勿論小田急も拱手傍観していたわけではなく、格下げ後の2300形やセミクロスシートの2320形を使った「準特急」を運転し、特急券を入手できなかった観光客の救済を図っていましたが、やはり箱根への観光客は特急への志向が強いこと、あまりに満席が続出していると最初から小田急の利用を断念し国鉄に流れるお客が多数発生することが懸念されたことから(機会損失による顧客の逸走の防止)、小田急では特急列車の増発を決断。その際、必要となる車両について、SE車のリピートオーダーか全くの新型車を投入するかが議論されましたが、箱根への特急に新たな魅力を付与したいということで、前面展望を採用した新型特急車両の構想が持ち上がりました。それが3100形だったということです。
なお、SE車が8車体連接であるのに対し、3100形は11車体連接とされ、輸送力の増強も図られています。

3100形については、既に様々なところで語られていますので、前回の名鉄パノラマカーと同様、車両のスペック的な面については言及せず、前面展望車両としての特徴などを中心に見てまいります。
3100形の特徴は以下のとおり。

① 前面を展望席として座席を配置(10席)。この座席には特別料金を徴収しない。
② 正面は曲面ガラスとして(名鉄7000系は平面ガラスの組合せ)優美なデザインに。
③ 正面には衝突時に備え衝撃吸収用のバンパーを内蔵、灯具類と一体化させたデザインに。こちらも優美さを演出している。
④ 運転台は名鉄7000系同様客室と完全に分離するが、車外に出入口を設けず車内から梯子で出入りする構造。走行中は原則として出入りしない。
⑤ ロマンスカーとして初めて冷房を搭載。床下式で屋根上はすっきりしており、編成美にも配慮。
⑥ 座席は展望席・一般席とも回転クロスシートを装備。

3100形はETR300形と同じ有料特急用車両として世に出ていますが、これは乗車券のみでの利用が可能だった名鉄パノラマカーとは異なります。ただし先頭部は、ETR300形のような定員外のラウンジスペースとはせず、客席を設けています。この展望席は特別料金を一切徴収せず、通常の特急料金で乗車可能とされました(①)。
前面形状は、直線的な造形が目立った名鉄パノラマカーとは異なり、曲線を多用した優美なデザインとなっています。展望席は曲面ガラスとしていますが、これは曲面ガラスの採用がコスト面で折り合ったため(②)。また衝突時の衝撃吸収用のバンパーを備えながら、前照灯などの灯具類のケーシングと一体化させ、衝突対策を万全に施しつつも、デザインとしての優美さを失わないように工夫されています(③)。
そして名鉄パノラマカーと決定的に異なるのが、運転席への運転士の出入りの方法(④)。名鉄パノラマカーの場合は、特別料金不要で途中駅停車の列車に充当することと、運用の途中で乗務員(運転士)の交代の可能性があることから、車外に乗務員扉と梯子を設け、車外からの直接の出入りを可能にしています。これに対し3100形は、新宿-小田原間ノンストップが原則であり途中の乗務員交代がないことから、客室内部から梯子を使って出入りする方式が採用されました。勿論、名鉄パノラマカーと同じように運転席は客室と完全に隔絶されていて、かつ乗客の乗車中に運転席からの梯子が降ろされることは、非常時以外はありませんので、展望席以外からでも前面展望を楽しむことができます。小田急ロマンスカーのこのような運転台の構造は、その後の展望席を持つ歴代ロマンスカー、現在の70000形「GSE」にまで継承されています。
その他、3100形は、小田急の鉄道車両(ロマンスカーではない)として初めて冷房を採用したことが特筆されます(⑤)。これも、冷房が採用できなかったSE車の「忘れ物」の回収となっています。SE車の登場時は、まだ高効率のユニットクーラーが完全に実用化されておらず、大型で重量が嵩み効率の悪い機械式冷房装置しかなかったので、軽量化を至上命題としたSE車には搭載できなかったのです。ちなみにSE車に1年遅れて登場した近鉄10000系は冷房を搭載していますが、従来型の機械式冷房装置のため効率が悪く、末期に故障が多発したことが、同系が早すぎる退役を余儀なくされた一因になっています。
なおSE車の名誉のために付言すれば、後にSE車にも冷房化改造が施され、展望席の有無以外は3100形とのサービスレベルの格差は解消されました。
最後に座席について言及しておきますと、2300形で採用された簡易リクライニングシートは3100形でも採用されず、単純な回転クロスシートとなっています(⑥)。これは2300形の簡易リクライニングシートの調子があまり良くなかったことが、小田急の現場でのトラウマになっていたためだといわれていますが、あるいは軽量化の一環だったのかもしれません。

ともあれ、名鉄パノラマカーとはまた異なる、実に優美な車両が世に出たことになります。
この車両は第1編成が昭和38(1963)年に登場、SE車に伍して活躍を始めます。勿論、前面展望構造は愛好家のみならず沿線住民や利用客にも大きなインパクトを与え、小田急のロマンスカーの名声を確固たるものとし、3100形は同社のフラッグシップの地位に上り詰めました。その功績が評価され、3100形は昭和39(1964)年度の第7回鉄道友の会ブルーリボン賞受賞の栄誉に浴しています。
3100形は昭和42(1967)年までに7編成が投入されました。

このあと、前面展望車両は小田急と名鉄が双璧をなすわけですが、次回は名鉄に現れた「パノラマカー」の兄弟車列伝とまいります。

その4(№5939.)に続く