9月23日の九州新幹線長崎ルート開業に伴って西九州の鉄道網は大きく変貌しましたが、その前に行ってきた乗り鉄旅の続きです。
メインの『415系長崎本線横断号 THE FINAL』ツアー(※8月20日下りのみ参加)は無事終了、その翌日、佐世保から先の行程を紹介します。尻すぼみ的な内容になってしまいますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
 
その8月21日(日)。
東横INN佐世保駅前の朝食…なんと!長崎皿うどんもラインナップされており、3日連続で食べる事になったのでした😅メニューのクオリティは他の東横INNとは一線を画する豪華さ(?)。
 
 
 
その東横INNを後にして、佐世保駅に向かいます。
 
 
 
結局、悩みに悩んだ揚げ句、8月21日は長崎空港からの航空機に乗る前に佐世保駅では見納めとなってしまう787系みどり号にまずは乗り、ちょっと複雑なルートで一部非電化になる前としては本当に最後になる長崎本線の旅を敢行する事にしました。
その9:42発4010Mみどり10号ですが、せっかくだからまたDXグリーンでも奮発するか…と思ったのですが、みどりの窓口で尋ねた処なんと満席!それならば自由席でいいや…という事で鳥栖までの乗車券と自由席特急券を買って改札を抜けるのですが、ナンダカンダしてるウチに発車3分前と結構ギリギリになってしまいました。
 
 
 
発車時刻が迫る中、急いでホームに上がったのですが、 肝心のみどり10号の車両はおらず、各乗車口には列車を待つ乗客が列を成していました。
アレェ?と思っていると、福岡県内の豪雨の影響で鹿児島本線内でのダイヤが乱れていたらしく、折り返し運用となる4001Mみどり1号の到着が遅れたからなのでした。
 
 
 
佐世保駅からはかつてのJR松浦線だった松浦鉄道『西九州線』が接続しており、コチラにも乗ろうかとも迷ったのですが、全線乗り通すまでの時間は取れず断念(早起きしたら間に合ったけど 😓)。
 
 
 
みどり1号は所定より16分程遅れの9:43にようやく到着、急いで車内整備が進められます。
 
 
 
その間、 佐世保駅では見られなくなってしまうノーマル787系(その代わり『36ぷらす3』編成は月曜日コースで入る事にはなるが…)と松浦鉄道のMR-606気動車と絡めて、いかにも佐世保駅で撮ったど~!的な写真を撮らせて頂きました😅仮に定時でみどり1号が到着していたらそんな余裕はなかったかも😓 
 
 
 
さて…今回乗車したのは本ミフBM-12編成の6号車自由席クモハ786-12。どうやらこの編成だけ南福岡車の中で唯一6両固定で使用されているようで、内装もシートモケットがブラック基調(シートサイドのロゴは『TSUBAME』)、運転台仕切り壁も木目調ではなく製造当初のグリーンメタリックという仕様。
このような写真を撮れる余裕がある位、自由席は意外な程ガラガラなのでした…(私は車内前方に席を確保、他の佐世保からの乗客はほとんどが荷物置場を挟んだ後方に着席)。肥前山口方面へ向かう列車は早岐駅で進行方向が変わるため、 予め座席の向きは逆にセットされています。
 
 
 
慌ただしく車内整備を済ませたみどり10号は、定刻より10分遅れの9:52に佐世保駅を発車。
 
 
 
コチラが佐世保駅で購入した切符類。
佐世保~早岐は宮崎~宮崎空港と同様、乗車券のみで特急列車に乗れる区間なので自由席特急券の区間も早岐からとなっています。
 
 
 
その早岐駅に停車。インフォメーションボードにも進行方向が変わる旨を表示。
 
 
 
そして、佐世保からの線路を見ながら早岐駅を発車。 
 
 
 
有田焼の窯元の煙突が見えてくると有田駅に到着。そういえば前日に乗車した415系には『有田陶器市号』の方向幕もありました…(前回記事に添付の動画をご覧ください)。
当駅は佐世保から海岸沿いに大きく迂回する松浦鉄道西九州線の接続駅。3番線にはMR-614が停車していました。
 
 
 
有田駅はJR貨物の駅でもありますが、現在は貨物列車の発着がなくなりトラック代行の『オフレールステーション』に。上屋に置かれた緑の廃コンテナC20…。国鉄時代ではコンテナといえばコレ!という位沢山見られたのですが。今でも駅などで倉庫として使われているのを多々見掛けます。 
 
 
 
列車は佐世保線の単線区間を行くため、途中交換で三河内・三間坂(写真)の両駅で運転停車。いずれもダイヤ乱れのための臨時停車と思われますが、通常時の交換駅は地元ファンでないため判りかねます。
この三間坂駅の木造駅舎…なかなか風情がありますね。
 
 
 
さて…列車は問題の武雄温泉駅に停車。
9月23日からは『リレーかもめ』と新幹線の乗換駅として機能していますが…一体この不便さはいつまで続くのやら…?ここは私なりの提案を延べさせて頂きたい処ですが、ヨソ者の分際で「なんば言っちょる!」と抗議されそうなので控えておきますm(__)m
 
 
 
これまた9月23日で、その名を『江北』に改名してしまった肥前山口駅に到着。ここから長崎本線に入ります。ここまでで遅れは5分にまで回復していました。
 
 
 
その肥前山口駅1番ホームの端には、かつての門司鉄道管理局長が揮毫した「旅情」の石碑が建立されていました。皮肉にも…乗り鉄にしてみれば鉄道の旅から旅情がどんどん失われていくのは悲しい事です。
当駅は稚内を起点とした『最長片道切符』の終着駅の座を新大村駅に譲りましたが、『鉄道タレント』の伊藤桃さんが早速一番乗りで到着されたそうで…。その節はお疲れ様でした。
ただ、私にしてみれば今のズタズタになってしまったJRの路線網でそこまでする気は更々ありません。宮脇俊三氏の著書『最長片道切符の旅』の発刊当時は特定地方交通線が転換される前だったので、非常にやり甲斐もあったでしょうが(鉄道ファンだからといって全線完乗しなければならないという決まりはない。趣味は大らかに楽しもう!)。
 
 
 
列車は毎年11月にバルーンフェスタが河川敷で開催される嘉瀬川を渡り、やがて佐賀駅へ。
 
 
 
ダイヤ通りの運転ならば11:11着の鳥栖駅から11:16発の2017Mかもめ17号で返す事ができるのですが、やはりみどり10号が遅れをひきずったままだったので、結局私は新鳥栖駅で降りる事にしました。ちなみに佐世保駅からの運賃料金は鳥栖駅までと同一なので、途中下車したからといって損する事はありません。
 
 
 
しかし…私が諫早まで乗ろうとしていた『白いかもめ』かもめ17号は定刻だったため(?)数十秒の差で乗り遅れ…😖(特急ニセコの『やき弁』乗り遅れ記事を書いておきながら、その前に私はこんな大失態を犯していましたm(__)m)コレは大いなる判断ミス…。
次の12:20発のかもめ19号(コチラも『白いかもめ』)でも間に合わなくはないのですが、空港へはかなりギリギリになる事必至…。まぁとりあえず、1番ホーム側にある『中央軒』で名物のかしわうどんでも食べようかと…😅
 
 
 
鳥栖名物のかしわうどん、初めて口にする私にしてみれば本家鳥栖駅との味の違いはわかりませんが、薄口のツユと甘じょっぱいかしわ肉の味わいがなかなか絶妙で、いつかまた鳥栖に来る機会があれば是非とも食べたいなと思いました。
 
 
 
しかし…うどんを食べている最中に構内放送でかもめ19号の前に11:43発の臨時列車かもめ93号が来る事が判明!急いで食べ終えて再び2番ホームへ向かいます。
その臨時便(JTB『小さな時刻表』夏号には非掲載8003Mかもめ93号(博多駅11:15発)は『白いかもめ』ならぬ『白いソニック』用885系SM8編成(乗車したのは6号車自由席クモハ885-8)でした。コレで長崎空港へ余裕を持って到着する事ができる…と胸を撫で下ろしたのでした😅
 
 
 
本来かもめ93号は787系による編成だったらしく、先述の豪雨の影響により車両を変更したとの事。奇しくも、ソニック編成代走による在来線特急かもめ号最後の乗車という貴重な体験をさせて頂きました🙇‍♂️
 
 
 
当ブログでは初紹介となる885系乗車ですが、実はその前、8月上旬にもかもめ号で乗車しています。その旅の全貌の紹介はしばしお待ちを…。
このタイプのシート、19日に乗車した883系ソニックよりはグッと座り心地が向上しており(あくまでも個人の感想)、同タイプのシートは787系ビュッフェ車改造のサハ787形200番台やD&S列車『かわせみ やませみ』にも採用。
 
 
 
やはり臨時列車からなのか、車内はガラ空き!ソレをいい事に、最後尾の運転台側席を確保。但しカブリツキ行為は車掌のご迷惑になるため行っておりません。
 
 
 
実は…かもめ17号に乗り遅れた原因が新鳥栖駅で一旦改札口を抜け、券売機で切符を買っていたからなのでした…(汗)。やっぱり事前に佐世保駅で買っておくべきでした。反省m(__)m
 
 
 
列車は有明海沿いの干潟を見ながら走行。
 
 
 
9月23日から、在来線特急かもめ号の後継として走り始めた『かささぎ』号が発着する事となった肥前鹿島駅に到着。駅前の祐徳バスセンタービルが威容を誇っています。
当駅では2018Mかもめ18号(787系BM-5編成)と交換。
 
 
 
肥前浜駅から先の区間に広がる有明海。
もう特急列車、そして電車列車からこの眺めを味わう事はできません。
 
 
 
そして…問題となった諫早湾干拓の水門が見えてくると、海の景色ともお別れ。
 
 
 
13:03、諫早駅1番線に到着。
ついに、西九州新幹線開業前の長崎本線の旅は終わりを迎えたのでした。
 
 
 
かもめ号を見送り、お隣2番線に停車中の13:12発大村線竹松行普通234Dに乗り換えます。車両はYC1-211+1211(→竹松)の2連。
 
 
 

私は13:26着の大村駅で下車。

長崎空港へは新大村駅が最寄りとなりましたが、この時はまだ未開業。

 
 
 
大村駅は無人駅ではありませんが、この日は日曜日だったからか?窓口業務はお休みで出改札業務は行われていませんでした。
 
 
 
今回大村駅で降りたのは、この風格ある木造駅舎が見たいからという理由もありました。
ちょうど接続する路線バスがなかったため、空港へはタクシーで向かう事に。
 
 
 
世界初の海上空港である長崎空港へは箕島大橋を渡ります。
今回乗車したタクシー(長崎合同タクシー)のドライバー氏とも少々お話しましたが、せっかく新幹線が通るにも関わらず、地元民はあまり関心がないとの事で…。その地元民も「話のタネ」としては乗るものの、せいぜいその程度でしか利用はしないだろう…という事を仰っていました。中途半端な形で開業してしまった西九州新幹線ですが、コレが現実。
 
 
 
長崎空港に到着。ここまでの料金は¥1850ナリ。
記念にドライバー氏に断ってクルマの写真を撮らせて頂きました🙇‍♂️車種はトヨタ・コンフォート(SG)?ボンネットの形状はどう見てもクラウンコンフォートなのですが、グリルは明らかにコンフォートで、リアのエンブレムまで確認してなかったから果たしてどっちだったのか?
 
 
 
その長崎空港から見た大村湾と、対岸の大村市街。
 
 
 
帰路は当然新千歳への直行便がないため、伊丹空港乗継で北海道へ戻る事となりました。
まず搭乗するのは14:45発のANA786便
 
 
 
機材はボンバルディアDHC8-Q400(機体番号JA850A)で、ANAウイングスによる運航。
 
 
 
そして長崎空港を離陸。開業を約1ヶ月後に控えた九州新幹線長崎ルートの高架橋と、大村車両基地を見ながら…。
 
 
 
そしてアッという間に関西へ。
写真に見える駅は新大阪駅の上り方隣、東淀川駅。
 
 
 
伊丹空港へは16:05到着。プロペラ機のため、ターミナルビルへはランプバス(日産ディーゼルKL-UA452PAN・西工ボディ)で移動。
 
 
 
ただ…乗継便までの間かなり時間が空いてしまうんです。18:40発のANA779便まで約2時間半…。ANAダイナミックパッケージで予約したため、できるだけ安い乗継便を選択したので仕方ないのですが。その間お土産を物色するなどして過ごしました。
伊丹空港には一部ゲートに今や鉄道駅でもなかなかお目に掛かれなくなった『パタパタ』が残っております。
 
 
 
8番ゲートには、宮崎空港から16:30に到着したANA508便が。このボーイング737-800(機体番号JA12AN)が今回搭乗する新千歳空港行779便の機材。南へ北へ…日本中飛び回ってご苦労様🙇‍♂️
 
 
 
気流の関係からか、順調なフライトで新千歳空港へは定刻の20:30からなんと15分も早着。
 
 
 
そして地下の新千歳空港駅へ。
帰路は733系B-3110+B-3210編成の3961Mエアポート209号に乗車したのですが、ちょっと事情がありまして、えきねっと予約していた他の列車の指定席から変更の兼ね合いでuシート利用となりました(あんだけ値上げを批判しておきながら結局乗ってるじゃねーか!というツッコミはヤメてね)。
 
 
 
21:32、札幌駅へ到着後は、21:40発の学園都市線1641Mで帰路に就いたのでした。
オール731系6連で、G-101(ローレル賞受賞プレート付)+G-119編成。
 
 

こうして、2泊3日の西九州乗り鉄旅は完結。新幹線開業前の長崎本線に対してもう未練はない…と言えばウソになりますが、やっぱり風光明媚な長崎本線の海岸線沿いに特急列車が走らなくなるというのは一抹の寂しさを感じてしまうのです(新幹線になった分、災害リスクから回避されるというメリットも理解できなくもないのですが…)。

せっかくの開業ムードに水を注すようで申し訳ないのですが、その新幹線と、一部非電化となった長崎本線、どちらもイバラの道が待ち受けているのは目に見えており、今後どうなっていくのやら。

 

今回は備忘録的な事もあり、最初から最後まで詳細な行程を紹介させて頂きました。長々とお付き合い頂き、ありがとうございました🙇‍♂️

 

おわり