北東北遠征の計画はほぼ完成。
簡単に行ける距離ではありませんので、少しでもノスタルジックな気分を多く味わうため、この遠征で攻略予定の路線の歴史を予習してきましょう。
上野発の夜行列車降りた時から…♪
という歌でおなじみの東北本線から。
1⃣東北本線
言わずと知れた東北地方の大動脈。
東京駅を起点とし、盛岡駅が終点ということは何度も伝えてきましたが、東北新幹線全通までは青森駅が終点だったことをご存じの方も少なくなったのではないでしょうか。
全国的に見ても新幹線開通と同時に並行在来線が廃止や第3セクターに転換されることが多いわけですが、盛岡駅⇔青森駅間は「青い森鉄道」に転換され、東北本線の終点は盛岡駅ということになりました。
今後、北海道新幹線全通後、長万部~小樽間140.2kmも廃止の見込みだそうです。
この話題で案外知られていないのが東京駅⇔上野駅間。
もともと東北本線は上野駅起点なのですが、昭和初期に利便性を高めるため宇都宮線が東京駅に乗り入れ、起点が東京駅になったそうです。以来東北本線の起点は東京駅なのですが、時代が経過し、東北新幹線が上野駅発で部分開業。その後東京駅まで延伸しましたが、この時に起点は東京駅のまま東北本線「東京駅⇔上野駅」間は本線から分断されました。
この結果、東海道本線は東京駅止まりとなり、横浜方面⇔大宮方面間は直通では行けなくなりました。途中京浜東北線に乗り換えるか、最初から京浜東北線で向かうしかなくなったのです。
(私の会社の本社は丸の内にありますので、横浜方面在住の人は東京駅始発が便利と言ってましたが)
しかしその後、東北新幹線高架を活用し2015年3月「上野東京ライン」が開通し、神奈川方面⇔宇都宮駅・高崎駅への直通が実現し、再度本線同士がつながったのです。
ついでに上野駅発だった常磐線も直通に。
私にとっては超便利。
東北本線の両端にはこんな紆余曲折があったんですね。
当路線中盤の仙台エリアにも廃線となった路線が。
「利府支線」です。今回は時間の都合で計画には入れてませんが、その昔東北本線仙台北部エリアにおいては「海線」「山線」と2路線あったそうです。もともと勾配のきつい「山線」が本線で、「海線」は勾配回避用の支線。
「山線」「海線」の分岐は「岩切駅」「品井沼駅」だったのですが、当然勾配回避用の「海線」の方が使い勝手がよく、「海線」を複線化し、主力は支線である「海線」と移行していきました。結果的に「山線」は衰退し、「岩切駅⇔利府駅」間残して支線化されたそうです。
ちなみに現松島駅は当時山線の駅だったものの、廃線とともに現在の位置に移転したとのこと。
この様な話を聞くと、是非とも利府支線に乗りたくなってきます。
2⃣山田線
この路線にも歴史があります。
盛岡駅を起点として、終点宮古駅を結ぶ路線なのですが、沿線の途中に路線名である「山田」という地名はありません。
というのもこの路線は、実は以前は盛岡駅⇒宮古駅⇒陸中山田駅⇒釜石駅と釜石駅までの路線だったのです。建設当時、この陸中山田駅を目指して建設したので「山田線」というそうです。
しかしながら多くの方の記憶に新しい、2011年3月11日の東日本大震災における津波により、宮古駅⇔釜石駅間は大きな被害を受けました。
当然JR東日本は復旧に向けてBRTによるバス代行輸送なども含めてあらゆる策を練りますが、どれもハードルが高い・・・
結果的には三陸鉄道に経営譲渡され「リアス線」として復旧したそうです。
また既に廃線になってますが、当路線「茂市駅」に接続する形で「岩泉線」がありました。
もともと「岩泉小本駅」までの路線でしたので「小本線」と称していたそうですが、「岩泉駅」まで延伸したことで「岩泉線」に改称したそうです。
岩泉線は国鉄の大幅赤字の時に一度は廃止対象の土俵に乗りましたが、あまりのローカルさ加減に代替輸送用道路建設が出来ず、やむなく廃止を免れたそうです。
しかしながらある時とどめを刺されます。そうです豪雨災害です。
震災前の2010年7月31日に押角駅ー岩手大川駅間で土砂崩れによる脱線事故が起き、以来岩泉線は長期にわたり運休が続きました。その後震災が起き、さらにその後JR東日本は復旧を断念し、バス代替輸送を提案するも地元と折り合い付かず。さらにJR東日本は並行する道路建設に協力することで、当路線は廃止になったそうです。
今日現在も先日の豪雨で不通になっている路線が多数あり、この岩泉線と同じ運命を辿らないことを願うばかりです。
岩泉線廃線跡はハイキングコースとなっているようですので、いつか廃線跡巡りをする機会があれば行ってみたい路線の一つです。
本日はここまでにします。
「八戸線」と「大湊線」はまた明日~