西九州新幹線開業に伴うダイヤ改正で、JR九州に残る鋼製車体の415-100/-500系、いわゆる「白い415系」が全車運用離脱した。
現・九州色(白地に青帯2本+車体表記青文字)が増殖し始めた1980年代後半当時、私は鹿児島線で電車通学、卒業して実家を出た後も帰省で鹿児島線を利用、当時の鹿児島線の主力車だった白い415系は30年以上の長きに渡ってお世話になった電車である。
なお、415系鋼製車は常磐線向けの一部を除き(北九州地区生え抜きは全車)元々国鉄交直流車標準の小豆色1色で登場しているが、小豆色当時は全く興味が湧かなかった。
1995年頃、大分県内某駅にて。
この当時はベンチレータあり、ボックスシートの原型車が多く残っていた。
タウンシャトルのヘッドマークが懐かしい。
右の電車は大分所属の交直流急行型475(457かも?)系。
リニューアル&ロングシート化された415系。写真の列車は筑豊線直通(方向幕が黄色地)だった。2014年、小倉駅にて。
日豊線列車に入っていたボックスシート車。
上と同じく2014年、小倉駅にて。
30年以上に渡ってお世話になった電車、
お疲れ様でした!
と言ってあげたい。
ステンレス車体の1500番台は、今後も関門間を中心にしばらくは残る予定。1995年頃の撮影で、上は博多駅、下は門司港駅。
※※415系に関わる雑ネタ※※
【其の壱:白はロングシート車?】
1986年3月頃常磐線色(白地に青帯1本+車体表記黒文字)のまま常磐線勝田から鹿児島線南福岡に異動~就役した415系は全車ロングシートの500番台である。一方、常磐線色をベースとしたと思われる現・九州色は、分割民営化を控えた同年秋頃からポチポチ増殖していた。
当時の鹿児島線ユーザはロングシートに慣れておらず、また、白=ロングシートと思っている人が多かったようで、白(常磐線色・九州色)+小豆色(国鉄交直流車標準色)の併結列車が来ると、小豆色側に寄る傾向が見られた。
余談だが、当時最新の415系ステンレス車(オールロングシート)と、引退間際の421系低運転台車(九州色化されることなく引退)の併結列車でも、ボロくて今にもぶっ壊れそうだった421系の方に客が寄る傾向があった。
なお、JR発足前後の北九州地区の鋼製415系は、色ではなくベンチレータの形で、ロングシート(500番台)かボックスシートかが見分けられたが、一般人には当然知る由もない。
↑常磐線向けは、北九州地区にはない0番台サハ、100番台最終ユニット、700番台の外観が500番台と同一のため、この法則が成立たない。
【其の弐:415系車内で1度きりのデート】
ハタチ前後の頃、アルバイト先で同じシフトだった女性に一目惚れ!終業後、帰る方向が同じだったため、博多駅から小倉方面の鹿児島線各停(415系8両編成)に女性と一緒に乗った。5号車(下り方から5両目)の戸袋部の2人掛ロングシートに一緒に座り、30~40分ほど雑談で盛り上がっていた。しばらくして学歴の話になり、そこで私は愕然としてしまった。女性は地元の国公立大学在学中、しかも私より1学年上だった。
要は私より年上でエリートだった。
とたんに私は席を離れ、向かいの乗降扉に遠ざかってしまった。
女性の下車駅に近づき、お互い「お疲れ様でした!」と挨拶をして別れた。結局、名前も連絡先も聞き出すこともなく、また以後一度も会うこともなく終わった。ただ、博多駅から電車乗る時、女性は「禁煙車がいい」と言ってた記憶がある(当時、415・423系列車は1・5・9号車が禁煙車。)ので、もし交際したとしても長続きはしなかったと思う。
当時年上女性を敬遠していた私だが、その15年後に知り合った今のヨメは、1つどころか4つ(数え)年上の姉さん女房であり、過去の交際相手では唯一の年上でもある。しかも禁煙支持派。何てこった!