旧国鉄時代から九州の鉄路を支えてきた交直流近郊形電車415系。23日に行われたJR九州のダイヤ改正に伴い、鋼製車100・500番台の全編成が定期運用を離脱しました。山陽・鹿児島本線の下関ー小倉間では短い4両編成でしたが、関門海峡を越える上では欠かせない存在でした。

 

 

関門間で40年以上にわたって親しまれた415系鋼製車。写真はセミクロスシート車のFo109編成(右)とFo112編成=下関駅 2019年

 

 

関門海峡をバックに下関ー門司間を走る415系 Fo105編成

 

 

 

関門間を最後まで走っていた415系鋼製車は大分車両センター所属車で、主力は1978〜80年に製造された100番台でした。座席の間隔を広げ快適性を向上させた車両で(大半の車両が後年ロングシート化されましたが)、直流近郊形では115系2000番台とほぼ同世代です。

 

 

当初からロングシート車だった500番台も少数在籍し、こちらは82〜84年生まれ。元は常磐線で活躍していた車両で、鉄道ファンの間では注目されました。

 

 

JR発足以後、九州では独自の交流近郊形電車が続々登場し415系は脇役に回った印象でしたが、直流電化の関門間では後継形式は登場せず、引退当日までバリバリのエースとして働いていました。下関市民にとっては小倉方面に行くときに必ずお世話になり、「九州に向かう白い電車」といえば誰もがイメージできるほど、広く浸透していました。

 

 

朝の通勤輸送を終えた頃、下関駅に入線する415系。写真はFo108編成

 

 

夕方、関門トンネル(奥)に向かう415系Fo106編成

 

 

関門トンネルを抜けて門司駅に入線する415系Fo111編成。もう少し進むと、直流から交流に切り替わるセクションを通過します

 

 

門司駅に到着した415系Fo119編成。写真は門司港行きの列車

 

 

 

下関〜北九州は通勤や通学、買い物などで多くの人が往来します。海峡で隔てられているのに一体的な都市圏が形成され、市民が県境越えをあまり意識しないのは、関門シャトル列車の存在も大きかったことでしょう。415系鋼製車は、両市の結び付きを深める一翼を担ったようにも思います。

 

 

 

下関、北九州両市の結び付きを象徴する415系FJ103編成の関門ラッピング列車。下関駅ビル内にオープンした「ふくふくこども館」や小倉駅前の子育てふれあい交流プラザ「元気のもり」など、両市の施設のPRが施されていました=2014年

 

 

 

415系鋼製車の定期運行最終日となった22日夜、私もお別れをしようと下関ー小倉間でしたが乗客の一人となりました。下関はJR西日本の駅なので特に何もなく、いつもどおり発車し関門トンネルをくぐり抜けました。「普段着」のまま引退するのは、黙々と働いていた415系らしいな…とも思いました。

 

 

定期運行最終日の夜、下関駅で発車を待つ415系。Fo126編成が充当されていました。国鉄車両では原色が好みの私ですが、415系のそれは幼少期に見た常磐線で、関門地区ではいわゆる「白電」の方がなじみ深い姿で、落ち着いた塗装は結構好みでした

 

 

下関から小倉までわずか十数分のお別れ乗車。415系鋼製車はこの日、各地でラストランがあったためか、あるいは夜遅くだったせいか車内は閑散としていて、最後までのんびりした「日常」が味わえました

 

 

 

40年以上にわたって関門や九州各地に足跡を残した415系鋼製車。特急列車のような派手さはなくても日々の暮らしを支える役割を全うしました。きっと多くの人たちの人生の思い出の中で、一緒に記憶されていくことでしょう。

 

 

門司駅を発車する小倉行き415系Fo108編成

 

 

長きにわたる活躍、お疲れさまでした…。

 

 

※運用を終えて門司に疎開留置された415系鋼製車4編成は、こちらの記事で紹介しています→門司疎開留置の415系〜元JR東Fo520など4編成

 

 

 

※姉妹ブログでは、国鉄末期〜JR初期を振り返っています