ついに本日9月22日を以て、長崎本線の肥前浜~長崎の電車運転が終了し、同区間から在来線特急列車も姿を消す事となります。その惜別を込めて私が8月に西九州エリアのJR線を乗り鉄した旅ですが、今回は415系ツアーの後半以降を紹介します。いつもながら長ったらしい記事ではございますが、最後までお付き合い頂ければ幸いです。
(※本記事は後日加筆修正や写真の追加や差し替えをする場合がございます。予めご了承ください。)
 
長崎本線と佐世保線(『元祖』長崎本線)が分かれるジャンクションである肥前山口駅では10分停車。かつては485系『かもめ』『みどり』のL特急や、ブルトレ『さくら』が分割併合する駅として全国の鉄道ファンには知られた駅名でしたが、その伝統ある名を捨て、所在する自治体名である『江北』に改名されてしまいます。コレは我が北海道の宗谷本線にある『音威子府』が元々の自治体名だった常盤村から改名したのと真逆なパターン。
 
 
 
停車中の間、783系による佐世保線特急『ハウステンボス』『みどり』(共に11号)が3番線に13:27到着(13:28発車)。後部の『みどり』編成は通常とは異なる非貫通型のシルバーボディ(いわゆる『1次リニューアル車』)という変態編成で、私も一度だけこのパターンの列車に乗った事がありました。
 
 
 
本当はホーム駅名標を絡めて撮りたかったのですが、撮影者があまりにもいっぱい過ぎて人物が目立つ写真しか撮れなかったため、掲載は控えさせて頂きました…。
当駅では乗務員が交替し、運転士・車掌とも長崎総合乗務センターの担当となります。
 
 
 
さて…列車はいよいよ長崎本線の単線区間に入り、有明海沿いルートを南下、9月23日からは電車列車の終着駅となる肥前浜駅3番線に13:47到着。
 
 
 
当駅では41分もの停車時間が用意されており、定期列車退避の間に1番ホームにて地元特産品販売のおもてなしがありました。
 
 
 
せっかくなので、跨線橋を渡って駅本屋側へ移動。
 
 
 
当駅は1930年開業当時の木造駅舎が今も現役。その駅舎内にはかもめ号などの歴代特急列車の写真、485系と811系の方向幕の一部が展示されていました。
 
 
 
レトロな雰囲気が漂う駅舎正面。
ツアー日程表には「途中停車駅では駅の外に出ることは出来ません」と記載されていますが、当駅は無人駅(簡易委託駅)で改札業務はないため出入りは自由。元の駅事務室には観光案内所があり、切符の委託販売も行われているのですが金額式(一応常備券)だったので記念に買う事はしませんでした(「肥前山口ゆき」という券があれば記念に買ったのに…)。
 
 
 
1番ホームの特産品販売。当駅は『36ぷらす3』の停車駅でもあり、月曜日に運転の長崎ルートが廃止された後も、代わりに運転される佐世保ルートの途中で「寄り道」するという異例の対応となりました。
 
 
 
その特産品販売の中で、『安富餅屋』さんの餅菓子『ケーラン』(¥300)を購入。店主の「駅の裏の田んぼで獲れたもち米を使ってます。あんこは北海道産小豆ですが…」という言葉に惹かれてつい買ってしまいました。北海道産の材料を使って頂いてる事は誠に光栄であります🙇‍♂️「是非宣伝してください!」と仰ってたので店主の顔出しで掲載させて頂きました(スミマセン遅くなりまして…)。お店も駅から近いので今後当駅に降りる機会があれば寄ってみては如何でしょうか。
今回買ったケーランはその後オヤツとして頂きました。ごちそうさま🙂
 
 
 
停車中はいくつかの列車を退避するのですが、817系による長崎発鳥栖行2860Mの到着を待って14:28に発車。
 
 
 
多良駅は運転停車で、787系の8074Mかもめ74号(臨時列車)と交換します。
 
 
 
列車は本格的に有明海沿いの区間に入りますが、私は山側の席につき海の車窓は勘弁してください…(そんな事もあろうかと?かもめ号に乗って海沿いの風景を満喫させて頂きました)。
 
 
 
この辺りは忠実に海岸線沿いに走行しますが、『波瀬の浦』という入江を橋梁で渡ります。
 
 
 
そして一旦海岸沿いから離れ、佐賀県内最後の肥前大浦駅に14:51到着。約6分停車します。
 
 
 
ここで『白いかもめ』885系による2024Mかもめ24号と交換。
 
 
 
列車は長崎県に入り、諫早市内を走行。小長井の港に通じる船津川の河口を渡り、最も海に近い小長井駅に15:06到着。当駅は2022年夏の青春18きっぷポスターの題材となったのはご承知の通りかと…。ホーム端ではツアー参加者や撮り鉄らでごった返しており、2枚目のような写真しか撮る事ができませんでした…。
 
 
 
その代わり、当駅停車中のお楽しみとして『幕回し』があり、私は側面のほうを動画で撮らせて頂きました。お時間のある方はご覧ください↓

 

 



15:15、小長井駅を発車。 
 


次の停車駅である湯江駅には15:22到着(15:30発車)。
BM-1編成のかもめと交換しますが、当駅で両系列が見られるのも9月22日限り…😢
 
 

この後肥前長田駅で運転停車、諫早駅までの間、ツアーオリジナルグッズの抽選が終了しましたが、残念ながら『JR九州オリジナル座布団』のみハズレてしまいました…😣座布団は昨年暮れに参加した787系つばめ号ツアーの時に購入はしていますが、 実用品としてもう1枚欲しかったのです😅ちなみに今回販売された座布団はつばめ号ツアーの時と同じ青系生地のモノでした。
他の3品は購入できましたが、やはり運転士時刻表レプリカは2枚¥6000と高価だったため売れ残ったようです。車掌時刻表レプリカ(¥2000)も抽選の対象でしたが無事購入、乗車記念の号車札(¥2000)は実際に乗車した車両のモノが選べるようになっていました(勝手ながら各乗務員時刻表はボカシ処理させて頂きます)。



そして…問題の九州新幹線長崎ルートの高架橋が見えてきました。 
 



その『日本一短い』新幹線接続駅となる諫早駅1番線には15:48到着(9分停車)。いよいよツアーも終盤に迫ってきました。
1枚目は先発する817系の長崎行831M。415系1500番台と共に最後まで長崎口の電車列車と活躍していた同系もいよいよ見納め…😢
 


諫早駅から2つ目、市布経由の新線と長与経由の旧線が分岐する喜々津駅(16:03着)に停車。11分停車しますが、途中駅でドアが開く停車はここが最後。
駅名標はイラストの入った新型のモノに交換されていました。
 


撮影タイムが取れるのもここまでなので、非電化になってしまう当駅の姿をしっかりと記録させて頂きました。市布経由の新線も、開業からちょうど50年でさらなる節目を迎える事になります。
 


喜々津駅発車後、乗客全員にはかつてマルス券が主流でなかった頃に指定券として用いられていた緑色のD型硬券封入の記念乗車票が配布されました。硬券には一応JR字紋も入っています。
 


新線区間は肥前古賀と肥前三川(信)を除く各駅に停車しますが、全て運転停車。
 


長崎トンネルを抜け、市街地の高架区間に入り最後の1駅・浦上駅で1500番台車の肥前山口行2878Mと交換。
 



そして…終着駅を告げる車内放送が流れ、ついに415系による長崎本線の旅もフィナーレに…。西九州新幹線開業効果を当て込んだ再開発工事の光景を見ながら、長崎駅に進入。
 


16:42、ついに終着・長崎駅3番線に到着!7時間余りもの旅が終わりました。
長崎本線を415系で走破すると共に、最初で最後の同系クロスシート車に乗るという目標をようやく達成!惜別感無量です…😭
 


ツアー参加者はじめ、待ち構えていた撮り鉄らは回送列車の出発を見送りました…。高架新駅と415系普通鋼製車の組み合わせも貴重な記録になりそうです…。
 


5番線ホームには、787系BM-14編成による2025Mかもめ25号が到着(17:18発2034Mかもめ34号で折り返し)。結果的に私が長崎駅にて同系を見たのもコレが最後となりました…😢 在来線かもめ号としては最終日となる9月22日分のDXグリーン券は争奪戦になった事でしょう…。



さて、私のこの日佐世保に泊まる事になったのですが(長崎で適当な宿が取れなかったため)、一旦ホームから降りてご当地グルメ長崎皿うどんを食べに出掛けます。 
改札内通路には観光名所である眼鏡橋のミニチュアが展示。この橋といえば、40年前の長崎大水害で流されたのを当時のTVニュース映像で目の当たりにして…。子供心にとてもショックを受けた事を思い出します。その後復旧されたのは幸いでしたが。



ホームに通じるエスカレーター付近にはレゴで作った世界遺産として、大浦天主堂(長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産)と軍艦島を展示。



また同じ画像で恐縮ですが、ねるねるの等身大パネルその他…。何故か?この日はキハ80系かもめの写真パネルがありませんでした。 
 


駅の外に出ます。
旧地上駅時代の施設は跡形もなく消え去り、駅前周辺の整備が進められていました。
 


駅前へはプレハブの仮設通路で結ばれていますが、高架化の代償として駅が遠くなる…というのはどこも一緒のようです。
 


完成予想図ですが…富山や広島などのように、なぜ路面電車を駅直結にしなかったのか理解に苦しむのであります…。
 


2000年に完成した先代の駅舎は短命に終わり、これまた跡形もなく消え去っていました。たったの20年で役目を終えてしまったのは実に勿体ない。
 


さて、私は美味い長崎皿うどんを食べに長崎電気軌道の路面電車に乗る事にしました。
 


ちょうどやってきた1系統崇福寺行308号(長崎電軌標準色)に乗りましたが、混雑がひどく立ちンボに…。おまけにICカード(Kitaca)をかざす余裕もなく💦
 


お目当ての店は大浦天主堂電停近くにあるのですが、新地中華街電停で乗り換えが必要。結局現金を払って降車し、店まで歩く事にしました…。
 


Googleマップを頼りに歩く事10数分…。ようやくお店の場所が近づいてきました。旧英国領事館の近くです。
 


そして辿り着いた店が、『みらく苑』という中華料理屋。「ちゃんぽん・皿うどん」の垂れ幕がデカデカと掲げられています。
あ…何故このお店を知ってるかって?実は…私夫婦の新婚旅行のコースとして半ば強引に長崎を組み入れたからであって(14年前。何故かは勘のいい方ならお判りかと…。長崎駅から813系に乗ったのもこの時)、その時泊まったホテルの近くにあったのがここだったのです。
 


週末なのでそれなりに混んでるかと思いきや…店内には他の客は誰もおらず。
メニュー表はなく、壁に貼ってあるだけですが「本日はちゃんぽん皿うどん類のみとなっております。」と書いてある通り、実質的にはその専門店なのでしょうか?
 


そして注文したのが皿うどん大盛(¥1100)。新婚旅行で行った時に食べた味が忘れられなくて…。甘めの味付けですが美味さは健在!しかし…なんでこんなに美味いのに客がいないのか不思議でしょーがない。結局私が店にいる間、他の客が来る事はありませんでした。
 


お腹も満足した処で、今度は大浦天主堂電停から路面電車で再び長崎駅に向かいます。まずは5系統蛍茶屋行で新地中華街まで乗車、来たのは371号(『こころ号』)で、1964年に長崎電軌で初めての全面広告車となったうちの1両なのでした(最初の広告はカネボウ化粧品『ベル号』)。
 


新地中華街で乗り換えた赤迫行は、車体更新車の1702号『転生したら長崎電鉄だった件』(転スラ電車)。
 
 

そして夕闇に包まれた長崎駅に戻ってきました。
 


佐世保へはちょうど19:05発の普通248Dには間に合わず、次発の19:29発3246D快速シーサイドライナーに乗る事にしました。
 


改札口を抜けてホームに出ると、5番線には19:18発2042Mかもめ42号の885系SM4編成が停車中でした。もうコレで長崎駅で特急型車両を見るのは本当に最後…😢
 


19:09、佐世保からの249Dが到着、折り返し私が乗車するシーサイドライナーとなります。まぁ…しかしYC1は凄まじいデザインで…何て言ったらいいか…😅
 


キハ66・67やキハ200の転換クロスから、YC1はほとんどロングシートになってしまったのが残念でなりません。県都長崎と第2の都市佐世保を結ぶ列車としてはあまりにお粗末過ぎて。シートも一見豪華に見えて実はビニールレザー張り、おまけに固い座り心地という、座席テツを自負する私にしてみれば酷評せざるを得ません(地元ファンの方には申し訳ないが)。両都市の移動は高速バスのほうがよっぽどいいかも…。
 


しかもトイレがやたらだだっ広いのは交通バリアフリー法の弊害でもあり、我が北海道のH100形(製造は同じKawasaki製)もソレで客室面積が犠牲になっています。ここまで奥行を広げないとダメなのか?
 


列車は諫早から大村線に入り、ハウステンボスを経て佐世保線との接続駅・早岐に到着。流石に1時間半も座りっぱなしだとオシリが痛くなってきました。
 


快速にも関わらず早岐では10分も停車。その間、博多行特急ハウステンボス(臨時便のため号数不明)が発着。
 


ようやく、21:21に終着・佐世保駅に到着。
車内にゴミ箱がないためか、後部運転台のほうにはゴミが放置され、床には飲み終わった飲料のペットボトルが置かれていたりと、民度の低さを思い知らされるのでした…。まぁ何処に行ってもモラルの欠片のない輩はウジャウジャしてますが。
 
 

ついに来ました、JRの西の果て・佐世保駅。
余談ですが、この日から数日後に最東端の根室にも行ってるんです…😅
 


この日の宿も、やっぱり東横INN(佐世保駅前)。駅に最も近いホテルという事で、乗り鉄のアクセスには大変便利です。
 


夜の佐世保駅舎。
もう415系ツアー以降、宿泊と帰りの長崎空港からの航空便までの間は行きあたりばったりで特に予定も決めておらず、この時点では翌日の行程もまだ決まっていなかったのでした…(汗)。
 
今回はここまで。
次回で西九州篇は完結しますが、翌日佐世保からどうしたか?まぁ想像してみてください…(そんなの知るか!って言われそうだけど💦)。
そして…長崎への在来線特急『かもめ』と電車列車…。長い間ご苦労様でした。明日からの新幹線、前途多難になるのは必至ですが、中途半端な形で開業に至ってしまったのは残念でなりません。取り残された在来線もローカル線に転落、これからどうなっていくのか、見守っていきたいです。素直に「新幹線開業おめでとう!」とは言えない…それが私の正直な気持ちである事を伝えつつ、本稿を締めさせて頂きます。
つづく