【前書き】乗合処やまやのブログは、私が興味を持った物や出来事をダラダラと綴るブログです。
これは駅舎ではなく、公衆トイレです。屋根はオレンジ色の洋瓦で周囲とトイレ内の下側の壁にはガラスのおはじきを張り巡らせたような素敵なトイレです。入口に駅名板があれば浜辺をゆくローカル線の駅と勘違いされそうです🤣。
駅舎のようなトイレの裏には…
旧駅舎😲?
倉庫😳⁉︎
実はここは遠州射場跡と云って、太平洋戦争の開戦も近い1938年に現在の掛川市浜野から御前崎市池新田にかけての凡そ16kmに及ぶ遠州灘沿岸は日本陸軍(当時)に接収され、1940年より榴弾砲や加農砲、高射砲の射撃訓練場として使用され、正式には東京第一陸軍造兵廠 遠江射場と称しました。太平洋戦争中には約100名が従事していたそうです。
今回、この太平洋戦争時代の戦争遺産を教えてくれたのは、このおじいちゃん…ではなく実は息子でした。ガンダム(やまやは興味無し)から近代戦争史に興味を持ち、最近は近場にある太平洋戦争の遺構巡りをしています。そこで話題となったのが掛川市浜野の遠州射場跡でした。ここは自分は全く知りませんでした。
この建物は、高射砲へ電気を供給するための機器室だったようです。
トイレ右側には、トンネルがあります。
このトンネル、コンクリート造の立派なモノですが擁壁も無く、そもそも上には山も無く上には鉄道や道路もありません。
反対側(南側)から。どうやら道路を通すため作られたトンネルでは無く"土塁トンネル"と云われ、空襲時には防空壕としての役割も果たしたのだそうです。北側の坑道が少し右に曲がっている点も興味深いところです。
トンネルを一度戻ってトイレ前駐車場東側には大砲の台座が3基確認できます。遠江射場には固定式大砲(2門)と高射砲(2門)が設置されており、ここから東方へ7Kmと10Kmに向けて試射を行い、目的地付近には監視台もありました。
いまでは長閑な海辺の耕作地、今から80年前ここは紛れもなく軍事訓練の最前線だったのです。