東高野街道を行く(富田林市最終編) | としのブログ

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東高野街道と一里塚



N35   すみません、前編で紹介し忘れていました、滝谷不動駅にある東高野街道の説明看板からスタートします、説明の様に東高野街道は兎も角、滝谷不動駅も明治35年と言うから歴史ありますね、高野鉄道とは現在の南海高野線ですね。





N37  府道202号を横切るこの交差点を直進します


N38  この付近には東高野街道の案内板が至るところに立っています、案内板に「一里塚」とありますが、久々に見る文字で後ほど紹介します。


N39   大きな地蔵尊の前に小さな祠の地蔵菩薩があります。


中々珍しい坐像の地蔵菩薩




N40   曲がりくねった道に杉塀の古民家、いい雰囲気です。


N41   二つの地蔵菩薩があります。


一般的な地蔵尊です。


これは可愛い地蔵尊です。


N42  少し広い道に出ます。


N42の場所を反対側から見ました、右手から合流するのが東高野街道です。


N43    踏切を渡ります。




N44  踏切を渡ると旧国道170号に出ます。


同じ場所を振り向きました、手前が旧国道170号で、正面からこちらに合流するのが東高野街道です。


N45  旧国道170号を南下します。


N46   道端に小さな祠があります。


小さな地蔵菩薩です、やはりこの街道には地蔵菩薩が多くあります。


N47  なお南下します。


N48  左手の駐車場に向こうにこんもりした盛土が見えて来ました。



N38で紹介した「一里塚」です。


その案内板です、一里塚とは街道の一里(約4km)ごとに石碑と木陰になる木を植え、旅人が目安にし、木陰で休む為に設けられた休憩所で、基本は東西や南北に一対であります、東高野街道には全部で十二箇所設けられましたが、この富田林の錦織一里塚と八尾市の垣内一里塚の二箇所しか残っていません、八尾市の垣内一里塚は、東と西にもかろうじてそれらしき碑は残っていますが、この錦織一里塚は東しか残っておらず、西は現在は消滅したようです。


車で走ると見落としてしまいそうですね。



真向かいには、何も残っていません。



八尾市垣内に有る一里塚の東塚です。


八尾市垣内一里塚の西塚は碑だけです。


N49  東高野街道の旅を続けます、富田林市もあと100mほどで終わりです。


N50  東高野街道はこの踏切を渡り河内長野市に入ります。



ローカル色全開ですね。


N51  踏切を渡ると河内長野市です、長い富田林市の東高野街道も終わります。


最終の河内長野市につづく