特急「かもめ」は1976(昭和51)年、長崎本線と佐世保線の電化に合わせて登場。博多と長崎を結ぶ、九州を代表する列車の一つとして親しまれてきました。国鉄時代からの485系は2000年まで使われ、783系「ハイパーかもめ」時代を経て、近年は主に885系や787系によって運行されてきました。

 

 

博多ー肥前山口間では線路容量の関係もあり、佐世保行きの特急「みどり」と併結運転する期間が長くありました。子どもの頃「かもめ」を見るのがたいてい博多駅だった私には、両特急の先頭車両クハ481形が顔を合わせている姿がデフォルトで、今でも強く印象に残っています。以下、同駅で撮った「かもめ」の今昔を何枚か載せてみました。

 

 

博多駅で発車を待つ485系時代の「かもめ」。クハ481には多彩なタイプがありボンネット型も入ることがあったようですが、私が見るときはいつも貫通扉付きの200番台でした

 

 

子どもの頃に写した「かもめ」「みどり」の連結部(印象に残ったので撮ったと思われますがアップにしすぎで、向かいのホームを歩くおじさんが主役になってしまっています…)

 

 

【参考】後年リバイバル運転されたときに再現された連結部。細部は異なっていますが、昭和50年代もだいたいこのような雰囲気だったと思われます=門司港駅、2011年

 

 

 

私にとっての「かもめ」は485系時代で止まっていて、その後に接したのは2010年代になってから。使用形式は885系と787系に変わり、「みどり」との併結運転は11年3月のダイヤ改正を機になくなりました。発着する博多駅も九州新幹線開業に合わせて大きな駅ビル「JR博多シティ」が開業するなど、すっかり変貌していました。

 

 

11年に撮影した885系「かもめ」。この頃は同系登場時の黄帯の車両が残っていましたが、日豊本線の特急「ソニック」との運用の兼ね合いもあり、のちに増備車と同じ青帯に統一されました

 

 

 

787系の「かもめ」。この形式は1990年代の鹿児島本線の特急「つばめ」のイメージが強いですが、長崎本線での運用もだいぶ長くなりました。現代の博多駅は商業施設などが充実しましたが、80年代の頃と比べると周囲が塞がり、少々窮屈な雰囲気となりました

 

 

 

23日に西九州新幹線の武雄温泉(佐賀県武雄市)ー長崎間が先行開業し、これまでの博多からの在来線特急「かもめ」は「リレーかもめ」となり、武雄温泉駅で新幹線「かもめ」と同一ホームで接続するようになります。

 

 

新幹線開業まで2週間。個人的には、泉質が好みの嬉野温泉(佐賀県嬉野市)へ鉄道で行けるようになるのは楽しみです。一方で鉄道ファンとしては、長崎本線を走り博多ー長崎間を直通していたこれまでの「かもめ」がなくなることには寂しさもあります。

 

 

西九州の発展と観光振興への期待を背負って羽ばたく新時代の「かもめ」。私が親しんだ485系併結特急の姿はさらに遠い過去になりそうですが、新幹線は武雄温泉以東への延伸計画が進んでおらず「リレーかもめ」は長く続きそうです。今後どのような展開を見せるのか注目したいと思います。

 

 

 

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